カルチャー

【#4】馬だけが暮らす島|ユルリ島のこと

2022年2月3日

写真家の僕のLINEには毎朝、ユルリ島の写真が届く。

北海道の東の果て、根室半島の沖合に浮かぶ小さな無人島の写真である。根室の落石(おちいし)という集落に暮らす漁師にお願いをして、毎朝、落石から見えるユルリ島の写真を送ってもらっているからだ。はじめは、いまのユルリ島の様子を知りたい……という個人的な関心事でお願いしていたのだが、いまはその写真をInstagramのアカウント(@yururi.island)に日々投稿している。

本土最東端の根室の海を仕事場とする漁師の朝はとても早い。だから僕は目が覚めると、東京の太陽よりも先に、LINEに送られてきているユルリ島の島影に射す光を目にすることになる。そして、この無人の島で生きている馬たちの姿を想像する……。

馬だけが暮らす北辺の海に浮かぶ無人島、ユルリ。国の鳥獣保護区に指定され、立ち入りが厳しく制限されているこの島に、写真家の僕は特別な許可を得て、東京から10年以上にわたり通っている。

周囲8キロにも満たない小さな島は起伏もほとんどなく、海岸線のほとんどが切りたった崖である。だから根室からこの島を望むと、薄く平たい切り株が海に浮かんでいるように見える。そしてその切り株に、1本のロウソクの明かりを灯すかのように灯台がひとつだけ建っている。ある人はその島影を見てこう言った。

「馬たちが生きる舞台のようだ……」

春から夏の終わりにかけて、ユルリ島は海霧に覆われる。その霧の濃さは尋常ではなく、島そのものをすっぽりと覆い隠す。根室の落石という集落からわずか数キロ先にあるにも関わらず、島は1年のうちの多くの時間を霧の中に姿をくらます。

だから、この季節にLINEに送られてくるユルリ島の写真には、ユルリ島の姿は写ってはいない。海霧が境界のむこう側にある“ユルリ”という名のひとつの島を、この世界から消し去ってしまうのだ。

人が暮らすこちら側の世界さえも曖昧にする深い霧。確かにそこにあったはずの無人島。僕はその写真を眺めながら、写真には写らない“その島”を想像する。ふたたび姿を現すことのないかもしれない幻影を求めて……。想像はやがて境界を越え、霧の中に“幻の島”を描きだす。灯台の下で静かに草をはむ十数頭の馬たちの姿さえも……。

最近は名古屋にあるモユルリ珈琲店から送ってもらった珈琲を飲みながら、LINEに送られてくるユルリ島の写真を眺めている。数年前、突如、名古屋に現れた“モユルリ”という名の珈琲店。ユルリ島から1,000キロ以上も離れ、お店のロゴに馬の姿をあしらったその珈琲店の存在を、僕はずっと不思議に思っていた。なぜならユルリ島のすぐ隣には、“モユルリ”という名の小さな無人島があるからだ。そしてその島に、馬はいない。

ある時、僕は手紙を送ってみた。すると数日後、コーヒー豆と一緒に返事がきた。

「祖父が昔、ユルリ島に馬を放っていた……」と。

いま、名古屋にモユルリ珈琲店はない。尋ねると、少し離れた場所へ移転するらしい。僕は遠く離れた、ユルリ島が見える根室の霧深い草原に、“ユルリ”という名の幻の珈琲店を開いて欲しかったのだけれど……。

ユルリ島ウェブサイト
写真・映像:岡田敦
文章:星野智之(⻘い星通信社)
デザイン:鈴木孝尚
音楽:haruka nakamura
企画制作:岡田敦写真事務所
運営:根室・落石地区と幻の島ユルリを考える会

ユルリ島インスタグラム

プロフィール

岡田敦

おかだ・あつし|写真家。北海道生まれ。東京工芸大学大学院芸術学研究科博士後期課程にて博士号(芸術学)取得。“写真界の芥川賞”とも称される木村伊兵衛写真賞のほか、北海道文化奨励賞、東川賞特別作家賞などを受賞。作品は北海道立近代美術館、川崎市市民ミュージアム、東川町文化ギャラリーなどにパブリックコレクションされている。

Website
http://okadaatsushi.com

Instagram
https://www.instagram.com/okadaatsushi_official/