TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム

【#4】ケ・セラ・セラ

執筆:濵本奏

2026年10月31日

中学生のころの春の離任式のこと。
その日は朝から全校生徒が体育館に集められ、違う学校へ赴任する先生や定年退職を迎えた先生へ、生徒たちから寄せ書きや花束を渡した。
毎日、生徒ひとりひとりの名前を呼んで面倒を見てくれていた先生と、この日を境に言葉を交わさなくなってしまうのは、なんだか不思議だった。
始業式と離任式、着任式をすべて新年度最初の朝に行っていたので、集会の時間は長かった。私はいつも、この学校を去る先生がまだここにいて大丈夫なのかな、新しい学校の授業に間に合うのかな、なんていう野暮な心配をしながら式の次第を眺めていた。

3年生の春、私たちの学年で担任クラスを持っていた英語の先生が退職することになった。私はその先生に担任してもらったことはなかったけれど、あと1年で卒業というタイミングでいなくなってしまうのは寂しかった。

私はそのころ、母が手縫いで作ってくれた、スイカのかたちのポーチを筆箱として使っていた。
英語の授業中、教室をゆっくりと歩き回っていた先生は、私の席に近づくと、いつもその筆箱を褒めてくれた。廊下ですれ違うときに筆箱を持っていると、やはり「それ、かわいいなあ」と声をかけてくれたのだった。
母がつくってくれたことを話すと、先生は驚きつつ、「型紙がほしい!」と言ったので、私は母に頼んでポーチの型紙をもらって、先生に渡した。
(ところで、皆さんはスイカに塩をかけますか?私は最近、塩をすこし振ったスイカの美味しさを知りました。ちなみに、この筆箱のチャックには「アジシオ」のチャームがついていました。芸が細かい。)

それからまもなく修了式があり、春休みが明け、この離任式の日を迎えた。
結局、先生がスイカのポーチをつくったのかどうか、私は知らない。もしつくっていてくれたら、世界にふたつだけのスイカのポーチを、私と先生はおそろいで持っていることになる。

離任する先生たちが順に壇上でお別れの挨拶をし、あの英語の先生の番が回ってきた。
先生はマイクの前に立つと、ゆっくりと口を開いた。そして、旦那さんが急逝されて、退職することにしたのだと話した。
長い集会に飽きて、ふざけ始めていた生徒たちも口をつぐみ、皆が目と耳を壇上に向け、体育館がしんと静まり返った。
言葉のひとつひとつを思い出すことはできないけれど、話を聞いているうちに先生の悲しみが私の元まで押し寄せてきて、胸が押しつぶされそうになったことを覚えている。

ひととおり話し終えた先生は、「最後に、皆さんにこの歌を贈ります」と言って、「Que Sera, Sera」を歌いはじめた。
悲しくてやりきれないであろう人の口から発せられるにはあまりにも明るいこの歌を、先生はアカペラで歌った。
先生は泣いていた。泣きながら、しかし口角を上げ、震える声で流暢な英詞を口ずさむ先生の姿を、今でも鮮明に覚えている。
集会では、壇上に向かって1年生から順に並ぶので、3年生の私は先生から一番離れた場所に立っていた。それでも、先生の表情と歌声はしっかりと届いた。
あのとき、私たちに贈ると言ってくれたけれど、先生は自分自身のためにも歌っていたのだろう。

Que Sera, Sera
Whatever Will Be, Will Be
これから先、悲しいことがあっても、あの歌声を思い出せるかぎり、私はきっと大丈夫。
どうにかなる。なるようになる。

プロフィール

濵本奏

はまもと・かなで|2000年生まれ。壊れたカメラでの撮影や、フィールドレコーディングなど複数の手法を横断し、即興的な写真展示や個人出版を通じて、人間・非人間・場所の空白に残る「記憶」を記録している。2025年に個人レーベル「真珠出版」を立ち上げ、同年に写真集『ー・・』を刊行。

Instagram
https://www.instagram.com/kanadehamamoto/

Official Website
https://kanadehamamoto.com/