TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム

【#2】湖水と雨水と私たち

執筆:濵本奏

2026年10月17日

今、都内のカフェでこの文章を書きながら、意識は湖に浮かんでいる。
繰り返しイヤフォンから流れているのは、Hana Strettonの新譜「tiarn」だ。

Hanaには、数年前の夏に一度会ったことがある。
日本を旅行するというInstagramの投稿を見つけた私は、すぐに彼女にDMを送り、ぜひ会いたいと伝えた。今振り返ると、英語が話せないのに、会おうとする自分の勢いがこわい。
彼女は河口湖に滞在するというので、友人の風人くんを連れて、山梨まで車を飛ばして会いに行くことにした。

この日は昼間から分厚い雲が垂れ込め、空は一面、靄がかっていた。本来なら湖から見えるはずの富士山は、その気配すら感じられない。とはいえ、陽射しが遮られている分、夏の真ん中とは思えないほど過ごしやすかった。
Hanaに会ってすぐ、「富士山はどこにいるの!」と聞かれた私は、「ん~、あっちじゃない?」と、テキトーな方向を指差して、笑い合った。

湖畔を散策しながら写真を撮っていると、山のほうから重たい鈍色の雨雲がずんずん迫ってきて、小雨が降りはじめた。日が暮れていくにつれて雨足が強くなり、ついには3人とも、服を絞れば水が滴るほどびしょ濡れになってしまった。
私たちは、「これだけ濡れていたら、もう一緒だよね」と言って、服を着たままいっせいに湖に飛び込んだ。

水は生ぬるかった。冷たくも温かくもない水に浮かんでいると、水に入っているというよりも、空に浮かんでいるかのように感じる。
大の字に四肢を開いて、ぷかりと浮かんでみると、鼠色の雲の切れ間に青空が見えた。昼と夜のちょうど境目に、一瞬だけ現れる青の色。
ツバメとトンボたちが低空飛行していて、水面に浮かんだ私の鼻先を掠める。

そのうち、雨はさらに強く降りだし、水面で音を立てるほどの大粒になった。
首を反らすと、景色が逆さまになって、山や湖面が頭上に見える。
見開いた目にも、息を吸おうと開けた口にも、雨粒は入ってくる。
雨と湖。水に挟まれた私の身体。私も、約7割は水。
そんなことを考えながら漂っていると、自分とそれ以外の境界線が、どんどん曖昧になっていくように感じた。
雨音や蛙の鳴き声を聞きながら、私の拙い英語でなんとかコミュニケーションを取り合い、同じ水に浮かぶ私たち。とても美しい時間だった。

それから数年後、Hanaがアルバム「tiarn」をリリースするにあたって、アナログレコードの帯のデザインを依頼してくれた。
これまでデザインの仕事はしたことがなかったので、断ろうかと思った。けれど、Hanaから送られてきたジャケットのイメージを見てみると、どうやらサイアノタイプでプリントされた写真だった。サイアノタイプなら写真だと言える。ジャケットに合わせた帯のプリントなら、私にもできるかもしれないと思い、引き受けることにした。
このアルバムは、Hanaが生まれる前、彼女の家族が日本に住んでいた頃のホームビデオを見つけたことをきっかけに制作されたという。彼女からのメールには、帯に綴る曲名は日本語にしたいと書かれていた。
私は、一緒に湖に行った風人くんと相談しながら、英語のタイトルをひとつずつ日本語に翻訳した。
このアルバムには「Salt」というトラックが収録されている。そこで、感光液を塗った紙に塩を散らし、結晶のような模様のついたサイアノタイプの帯を作った。
そうして完成したレコードは、つい先日、日本にも輸入され始めたみたいだ。
https://tempojpn.com/products/hana-stretton-tiarn

Hanaの音楽を聴いていると、懐かしい記憶と、まだ出会ったことのない景色を同時に見ているような気持ちになる。
たとえ雑踏の中にいても、あの日の夕方、あの湖のほとりに行くことができる。
そして、あの日水に浮かんでいた私の境界線が曖昧になったように、過去と今の境目も少しずつ溶けていくような気がする。
また会える日を楽しみに、私はこれからもHanaの音楽を聴き続ける。

プロフィール

濵本奏

はまもと・かなで|2000年生まれ。壊れたカメラでの撮影や、フィールドレコーディングなど複数の手法を横断し、即興的な写真展示や個人出版を通じて、人間・非人間・場所の空白に残る「記憶」を記録している。2025年に個人レーベル「真珠出版」を立ち上げ、同年に写真集『ー・・』を刊行。

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