カルチャー
「自由という名の街」のはなし。/第1話:ふかわりょう
2026年2月6日
photo: Naoto Date
edit & text: Kosuke Ide
何だかとらえどころがない、でもここにしかない何かがある。
POPEYE Webが愛する街、東京・自由が丘を語るインタビュー連載!
香ばしくて美味しそうな、「こんがり」してる部分が
街にとって実は大切なんですよね。
最初に自由が丘に住んだのは、20歳のとき。大学生でしたが、もう芸人の仕事は始めていて、初めての一人暮らしでした。「最初に住むなら自由が丘だ」となぜか思い込んでいて。地元が横浜で、高校時代から通学で東急東横線を使っていて馴染みがあったのもありましたけど……やっぱり「自由」っていう言葉の響きですかね? 何というか、漠然とした、淡い水彩画のような、ちょっとファンタジックな感じ。1990年代のことで、今のように「スイーツの街」みたいなイメージでもなかったですから。
それからこのエリアで30年近く暮らしていますが、実は20代前半の頃、一時期だけ渋谷の高層マンションに住んだことがあるんです。公園通りの、もう渋谷のど真ん中。当時は「芸人なら背伸びしろ。飲みに行ってナンボ」という価値観の時代だったので、渋谷なら急な呼び出しにも対応できるかなと。それでいざ引っ越してみたら、何だか落ち着かなくて、「やっぱり自分は自由が丘が好きなんだ」と再認識した。で、一度も契約更新することなく戻ったんです。
他の場所も考えなかったか、ですか? そもそも自分はどこか保守的なところがあって、気に入ったらずっと同じものを注文し続けるタイプなんです。アイスランドにハマったら、10年間通い続けたり。やっぱり東横線のバイブスが肌に合うというか……東急の戦略に洗脳されてるのかな(笑)
その後はずっと暮らしているので、思い出は数え切れないですね。住み始めた頃に思ったのは、この街には「無印良品」「フランフラン」「L.L.Bean」がある(*当時)、もう最高じゃん!と。「L.L.Bean」では最初の自転車も買ったなあ。あと当時、舞台でいつも着用していた白いターバンは「無印良品」で買ったものでした。ラーメンを食べるときに長髪が邪魔だったので買って、日常で使ってたんですけど、ネタでも身に着けるようになって、それが何となく自分のトレードマークになりました。あとは大学で「ラテンアメリカ研究会」に入ってたので、線路脇にあった「チチカカ」(エスニック雑貨の店)でケーナを買ったりとか……。
長く通い続けているお店はたくさんあります。今日、撮影したお好み焼き屋「喜多由」や線路沿いの喫茶店「アンセーニュダングル」……髪は「カキモトアームズ」でずっと切っていますし。「魚菜学園」の裏手にあった中華料理店「香旬」は好きでしたね。20代の頃、店まで原付バイクで行って、麻婆豆腐を食べて、汗かいてそのまま原付に乗って帰ると、必ず風邪ひいてました(笑)。数年前、惜しくも閉店することになったとき、クロージングパーティーがあって、最後の麻婆豆腐を食べに行きました。普段は厨房の中に隠れているシェフが出てきて、お客さんに「ありがとうございました」と挨拶して……話してたらもう味を思い出してきた! ああ、食べたいですねえ。
昨年出版した著書『東京生まれじゃないけれど』にも書いたのですが、そんな風にお店がなくなって街の風景が変わっていくのは、やっぱりどこか寂しいですね。ここ1、2年でも、駅前の老舗の本屋さん「不二屋書店」、スーパーの「ガーデン」や「ナショナル田園」も閉店しましたし……建物とかモノだけじゃなくて、匂いとか湿気とか、そこにあった空気や人の気配ごとなくなってしまうんですよね。リニューアルして綺麗にはなっても、こちらの気持ちがそう簡単に切り替わらなかったり。
その意味では、「ピーターラビットガーデンカフェ(旧「ラケル」)」の脇のあたり、少しだけ昭和っぽいスナックなどが残っている、ちょっとゴチャッとした一角なんかは、街の「こんがり」してる部分だと思うんです。一番、香ばしくて美味しそうなところ。あるいは、昔ながらのガードや踏切の、年季の入った無骨なムードとか……それって、決して自由が丘の“核”になるような場所ではないのだけど、実は大切な部分なんですよね。「ずっとあってほしい」と望んでしまう、人の心の琴線に触れるような何かがある。
だから、街の魅力は利便性だけじゃ測れない。例えば、僕が行くようなタイプのブティックじゃなくても、それもやっぱり「必要」なんですよね。街の風景って、そういうものだと思う。ただ、変化は痛みを伴いますけれど、どんなに新しいものができても、やっぱり街の肌触りは人が作るものだから。風化とともに、徐々に愛されていくようになればいいのかなと。時の流れに一喜一憂しながらも。僕はそう信じたいですね。
プロフィール
ふかわりょう
1974年生まれ。94年にお笑い芸人としてデビュー。長髪に白いヘアターバンを装着した「小心者克服講座」が、あるあるネタの礎となる。ROCKETMAN名義でDJを続け、稀有なセンスとキャラクターで芸能界を漂う。2022年から東京新聞にて2年間連載された「東京23区物語」を書籍化したエッセイ集『東京生まれじゃないけれど』(ポプラ社)が発売中。
今回の撮影場所
「喜多由」
自由が丘の常連に愛されるお好み焼き、もんじゃ焼き、鉄板焼の老舗。
東京都目黒区自由が丘1-26-7 田中ビル2F
☎︎03-3724-8366