TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム

【#2】バロックに刻まれて

執筆:ペトル・ホリー(Petr Holý)

2026年1月22日

ドブジーシュ城館のフランス式バロック庭園(https://www.zamekdobris.cz/en/home_en より転載)

私が生まれ育ったのは、首都プラハから40キロ強離れた森に囲まれた長閑なドブジーシュ市(人口8800人)。18世紀に建てられたロココ様式のドブジーシュ城館、バロック様式の美しい庭園もチェコでは有名です。子供の頃、母によく遊びに連れていってもらいました。館の施主は30年戦争時代に当時のボヘミア(現チェコ共和国)に移住した貴族、コロレド=マンスフェルド家です。フランス式の庭園の中のギリシャ神話をモチーフにした彫刻は私のよき遊び相手でした。太陽の戦車を御する太陽神として有名なヘーリオスの馬の給水情景や横たわる妖艶なネーレーイス、そして海を司る神ポセイドーンの屈強な彫刻が置かれた巨大な噴水やその他庭園に散りばめた彫刻は私にとって象徴的な幼年期の思い出です。

ドブジーシュ城館の太陽神ヘリオス馬の噴水(https://www.zamekdobris.cz/en/home_en より転載)

太陽の戦車を御する太陽神として有名なヘーリオスの馬の給水情景や横たわる妖艶なネーレーイス、そして海を司る神ポセイドーンの屈強な彫刻が置かれた巨大な噴水やその他庭園に散りばめた彫刻は私にとって象徴的な幼年期の思い出です。街には生々しくも矢を射られた姿で表現された聖セバスチャンの彫刻があり、また、ピアノのレッスンの帰り道、私をじっと見つめていた「ネポムクの聖ヨハネ像」。必ず前を通らなければならず、頭上に5つの星が輝いて非常に怖かったのを今でも思い出します。

聖セバスチャンの像(ドブジーシュ市の広場・撮影:ペトル・ホリー 2025年9月)

ネポムクの聖ヨハンの像(1864年製 ドブジーシュ市・撮影:ペトル・ホリー 2025年9月)

ネポムクの聖ヨハンの像(1864年製 ドブジーシュ市・撮影:ペトル・ホリー 2025年9月)

そのような環境で幼少期を過ごした私は13歳になると、イジー・バルタ監督の『笛吹き男』を観て感動を憶えたのでした。ドイツの街ハーメルンで1284年に起こったとされる出来事についての伝承「ハーメルンの笛吹き男」を題材とした長編アニメーション映画です。バルタ監督はゴシック時代の彫刻技法を用い、どこか昔の人形芝居のようなその技法に老若男女の目を輝かせました。

イジー・バルタ監督長編アニメーション映画『笛吹き男』(1985)

「石像」というのはチェコの文化に欠かせないものです。そして、「動く像」、これはチェコの人形劇(そのルーツもバロック時代)にしばしば見受けられるものです。チェコでは子供の頃から人形芝居を観に行く機会が多いです。人形はまた多くの作家を魅了し影響を及ぼしています。先日紹介した現役のシュルレアリストであるヤン・シュヴァンクマイエル(1934年生まれ)やユライ・ヘルツ監督(1934-2018)はその代表的な例です。シュヴァンクマイエル監督は短編『ドン・ファン』や長編『ファウスト』で魔都プラハの都市伝説ファウストを繰り広げています。かのゲーテ(1749-1832)が高名な錬金術師ドクトル・ファウストの伝説を題材として戯曲『ファウスト』(1808、1832)を書き下ろす前に、ボヘミアの各地をドサ回る人形芝居の人びとがファウスト博士や鬼々の操り人形を街角で披露し、鳴り止まんばかりの喝采を博しました。チェコ各地にバロック時代から多くの建築が今も、修復された姿で昔の栄光を輝かせています。プラハだけではありません。チェコの南にチェスキー・クルムロフ市があり、その城館にはバロック時代からの劇場が現役です。これは世界有数の例です。

チェスキー・クルムロフ城内バロック劇場(撮影:ペトル・ホリー 2011年12月)

チェスキー・クルムロフ市城下町(撮影:ペトル・ホリー 2011年12月)

また、クトナー・ホラ市の近辺にコストニツェという納骨堂があり、あろうことか人骨でさまざまなモチーフが形作られています。シュヴァンクマイエル監督は1970年に同名短編映画『コストニツェ』を撮影しました。私の話に戻りますが、18歳の時にプラハの大学に進学し、毎日のように彫刻の前を通らざるを得ないなか、今度は、プラハの「ゴーレム」、泥で作られたといういわゆる人造人間の街伝説が生きるユダヤ人街の魔法に出会いました。

コストニツェ(撮影:ペトル・ホリー 2005年11月)

コストニツェ(撮影:ペトル・ホリー 2005年11月)

また、プラハで活躍した、カバラや錬金術、占星術、神智学、多くの神秘思想から影響を受けたオーストリアの作家グスタフ・マイリンク(1868-1932)やプラハで生まれ育った作家フランツ・カフカ(1883-1924)の作品に魅せられる日々を送りました。なぜなら、彼らが描いたプラハの陰翳は1990年当時はわずかながら残っていてそれに日常的に触れることができたからです。

フランツ・カフカの墓(https://prague.eu/en/objevujte/new-jewish-cemetery-novy-zidovsky-hrbitov より転載)

プラハ旧ユダヤ人墓地(https://prague.eu/en/mysterium-prazskeho-golema より転載)

プロフィール

ペトル・ホリー(Petr Holý)

1972年プラハ郊外のドブジーシュ生まれ。1990年プラハ・カレル大学哲学部日本学科に入学し、1991年語学短期留学で初来日。93~94年早稲田大学、98年~2000年東京学芸大学大学院、2000年に早稲田大学大学院文学研究科に入学、歌舞伎を研究し、04~06年同大学第一文学部助手、06年同大学大学院博士課程を卒業。06年に、駐日チェコ共和国大使館一等書記官となり、同大使館内にチェコセンター東京を新たに開設、同時に所長に就任。ヤン・シュヴァンクマイエル監督の映画字幕作成や書籍翻訳、関連書籍の執筆をはじめ、チェコ文化を広く日本に紹介。13年にチェコセンター所長を満期退任。現在、歌舞伎研究の傍ら、未だ知られざるチェコ文化・芸術の紹介と普及を目的にした「チェコ蔵」を主宰。チェコ文化関連のイヴェントや講師・講演会など数多くこなし、公的な通訳・翻訳業にも携わる。都留文科大学・清泉女子大学の兼任講師(歌舞伎、ジャポニスム、チェコアニメーション史)を務める。

Official Website
https://chekogura.com/about.html

プロフィール写真
撮影:©︎宮地岩根