TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム
【#2】やっぱりハルワ
執筆:鶴見昂
2026年1月20日
お菓子のツルミです。
前回に続き、アミのえみとしょーちゃんとのインドの旅で出会った「人と人をつなぐお菓子」をご紹介します。
ところで、他人と生活を共にするにあたってまず気になるのは、やはりトイレ事情ではないでしょうか。たとえば同棲したての恋人との新生活。朝、トイレから出た瞬間に扉の前で恋人が待ち構えていたときの絶望といったら、言葉になりません。今回のインドの旅は、仲の良い友人たちと初めて、24時間トイレを共有する2週間でもありました。
ジャイプールから寝台列車に乗って砂漠の街・ジャイサルメールへ移動する途中、私は下腹部の異変に気がつきました。
「やばい、めっちゃお腹痛い」
猫の額ほどの三段ベッドの上で、17時間ほど悶絶。原因を思い返してみても、思い当たる節しかありません。
ジャイサルメールに到着してからも、それは一向に収まる気配がなく、食べるものといえばスパイスの効いた何かと、身体を冷やしそうな果物くらい。何も喉を通りません。それでも砂漠まで来たのだからと、瀕死の身体を引きずってラクダに乗り、日陰のない道なき道を太陽にチリチリと焼かれながら突き進みました。ツライ。こんなにもツライならホテルで休んでおけばよかったよ、と後悔しつつ、翌日も這うようにしてクミン農家のおうちにお邪魔し、薪に火をくべて焼いたチャパティをいただいたりもしました。
サリーを着たお母さんが地べたに座って作ってくれたのは、アター(全粒粉)のチャパティと、キビ粉のチャパティの二種類。キビ粉のチャパティはもそもそとした独特の質感があり、生地に小麦粉のような伸縮性がないので成形するのにコツが要ります。これを薪火に当ててこんがり香ばしく焼き、熱々を手でちぎって、ギー(発酵すましバター)と荒削りのジャガリー(黒糖)で和えたものをデザートとしていただきました。ギーは、クミン農家の牛小屋にいる牛の乳を搾り、手作りしたフレッシュなものです。
たっぷりのギーを吸い込んだキビ粉のチャパティは、バターが染みたイギリスのクランペット(パンケーキ)のようでもあり、クグロフやシュトーレンの焼きっ面のようでもあります。ジャガリーの粒が舌に当たるとホロホロと崩れ、溶けていくとともに花の蜜のような華やかな香りを放つ。チャパティとギーとジャガリー。たった三つの材料で作るごくシンプルなデザートが、こんなにも心に響くとは思ってもみませんでした。
本当に身体はツライけれど、来てよかった…
本当にツライけれど。
心の中で何度もそう呟きました。
ホテルに帰って三人の合部屋に戻ると、憂鬱なのはやはりトイレの時間です。できれば、もうずっとトイレに籠っていたい。誰のことも気にせず、突然襲ってくる便意と向き合っていたい。けれども、シャワールームとトイレは大抵一部屋になっていますから、そういうわけにもいきません。なるべく音を立てないように、なるべく長居しないように気を配りながら腹痛と闘う日々は、さながら連続殺人鬼に見つからないよう息を殺すホラー映画のようでした。
トイレという人間の尊厳が試される場所で、私がみっともなくなるのを見逃してくれた友人たちには、一生足を向けて寝ることができません。
ジャイプールから飛行機に乗り、最終目的地のムンバイに着いた頃には腹痛の嵐も抜け、すっかり体調が回復していました。食欲が戻ってきた私の様子を見て、「インドの旅で何か思い残すことはない? 食べたいお菓子とかある?」とアミのえみが聞いてくれたので、私はしばらく考えて「人参とギーを煮詰めたデザートを食べたい」とリクエストしました。
「あー、ガジャル・ハルワね。あれって家で作るデザートなんだよなぁ。お店で食べられるところあるかなー」
そうぼやきつつ、旅のリーダー・アミのえみは、菓子屋や飲食店に入るたびにガジャル・ハルワがないか調べてくれました。
そうこうしているうちに最後の夜を迎えましたが、結局ガジャル・ハルワは見つからず…。行くはずだったお店はラマダン(断食)で臨時休業。夕飯に行くアテもなく空腹で彷徨っていると、旅の疲れもあって、三人の空気が初めてピリピリとしてきました。
何をするにもアミのえみに頼りっぱなしだったヘタレ男二人に業を煮やし、アミのえみは「あんたたちがどうしたいか決めてよ!」と癇癪を起こします。そして近づいてきた花売りの少年からジャスミンでできた腕輪を買い、気持ちを落ち着かせるために勢いよくその匂いを吸い込んでいました。
トボトボとホテルに戻り、枕元にジャスミンの腕輪を置いて泥のように眠るアミのえみの寝顔を眺めながら、「ごめんね」と反省。いくつになっても怒られると落ち込むものです。
が、怒りを翌日まで持ち越さないのがアミのえみ。小ざっぱりとした頼れるリーダーであります。気を取り直して、旅の締めくくりに南インド料理の食堂へ行くと、なんとそこには人参のハルワがオンメニューしているじゃありませんか!
「クリシュナ(お菓子屋の守護神)が微笑んだわね」
見つけた瞬間、アミのえみがそう言って笑ったとき、私はほんの少し泣きそうになりました。
そんなこんなで、やっとこさ口にしたガジャル・ハルワ。インド菓子の例に漏れず、濃厚な甘さとミルキーな濃縮乳の風味に人参の香りが見え隠れする優しい味わいでした。けれど私にとっては、その味の輪郭なんて正直どうでもよくて、記憶に残っているのはどちらかと言えば、探しあぐねた時間のほうでした。あの夜のムンバイの湿った空気と、ジャスミンの匂いと、アミのえみの寝顔までが、ハルワの味となって思い起こされます。
砂漠の村で食べたキビ粉のチャパティもそうでした。材料はたった三つ。けれど、火をくべる音や、手でちぎった熱さや、誰かが「食べな」と差し出す仕草まで全部ふくめて、あれはデザートになっていた。お菓子はいつだって、口に入るものだけでできているわけじゃないのかもしれません。
人と人をつなぐお菓子は、口にした瞬間だけじゃなく、その前後の時間までふくめて、じわじわと糊のように私たちをくっつけていく。トイレの恥ずかしさを越えて、家族みたいな信頼を得た友人たちと、無事に旅を終えられたこと。それが私にとってのインド菓子の味でした。
ありがとう、クリシュナ。
プロフィール
鶴見昂
つるみ・たかし|1986年、神奈川県生まれ。菓子教室「ツルミ製菓」を主宰。石川県の『TEATON』や駒沢大学の『POPPY』など、カフェのプロデュースも手がけている。お菓子のZINE『天国行』を不定期で発行。
Instagram
https://www.instagram.com/hepopec/
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