カルチャー

ある身体的な「のぞき部屋」

Catching Art: 身体でアートを感じるために #5

2025年12月12日

Catching Art


text: Daniel Abbe

以前のコラムで「観る身体」について書きましたが、今回はこの「観る身体」の実例として、最近京都で見た展示についてお話しすると考えています。この展示は京都に住んでいる若い作家、立花光の個展であって、京都のGALLERY GARAGEで行われました。ギャラリーに入ると、色んな段ボールの箱がこのように見えます。

箱の高さ、長さと奥行きは全て異なっていますが、それぞれの箱にぴったりと合わせた台に乗せています。その台の高さも様々なので、この空間に箱が三次元に散らかっています。箱をよくみると、実際に配達されたものということが分かります。つまり微かな傷や、配達番号などを記載されているラベルなどもついています。大体茶色い箱なのですが、ZOZOTOWNの黒い箱もあります。

そしてさらに箱に近付いてみると、全ての箱に小さな丸い穴が空いていることが分かります。この穴の位置はそれぞれの箱に異なっていますが、例外なく箱の垂直線に彫ってあります。どういうことでしょう。

その穴に顔を合わせて中身を観ると、別世界が広がります。

何がみえるかと言いますと、その全ての箱の中に立花は小さな光景を作っていました。その光景は決して開放感のある光景ではない。立花の作品はある種の「のぞき部屋」ですが、楽観的ではないです。その小さな穴を通してみえるのは基本的にある室内空間の再現です。廊下、ショッピングモール、エレベーター、事務所など。誰もが経験したことがあるだろう場所ですが、恐ろしいほどその空間を細密に現れている。しかも、配達された箱の中に。その空間に人間一人もいないのですが、小さな物(椅子など)は時々置いてあるし、そして何よりも大きな手法として照明もあります。

小さなLEDライトは箱の中に設置して、光を放っています。優れている陰影やグラデーションはどんな箱にでもあって、「まさに、その場所の光だ!」という感覚が湧いてきます。例えばショッピングモールの空間に、絶対その場所に置いてありそうな蛍光灯の光が照らしています。この光のおかげで立花の細かい手作業が見えます。つまり彼はすべての空間のごく小さなディテールまで手掛けています。ショッピングモールの床をよく観ると、微妙な傷も付いています。この廊下の壁も質感も絶妙にザラザラしています。

この箱の中の空間をみると、美術作品としての良さは十分あります。硬い現代美術史から言いますと、マルセル・デュシャンの『エタン・ドネ』という作品にも言及しています。

ただ、ここで指摘したいのがこの作品を「観る身体」です。例えばショッピングモールが宿っている平たい箱ですと、穴はおそらく床から50センチぐらい離れています。ですから子供でなければ、しゃがみ込んでみる必要があります。細長い「EPSON」の箱はさらに低い位置にあって、四つん這いになければみえません。立花の話によりますとこの低さによって「みる人は、少し戸惑いながら」、「申し訳なく覗く感じ」ることが目的です。観ると、ある程度身体の緊張が走ります。この作品は「のぞき部屋」になっても、純粋に覗くことなどはないのです。

そして、箱の中をみると不思議な現象が起こります。視線は非常に限られているので、「外の世界」は完全にシャットアウトされ、「箱の世界」に完全に入ることがあります。だがこの狭い空間の中にでも、眼は意外と動ける余裕があります。光景はもちろん静止していますが、眼は自然に動き、隅々まで把握してしまうのです。

つまり、眼自体は常に動き、「じっと」見つめる訳ではないです。眼もやはり身体の一部なので。

プロフィール

ダニエル・アビー

1984年生まれ。アメリカ合衆国カリフォルニア州出身。美術史博士(UCLA)。2009年から日本の美術や写真にまつわる執筆・編集・翻訳に携わる。現在、大阪芸術大学 芸術学部 文芸学科の非常勤講師として美術史・写真史を教えている。
https://mcvmcv.net/