トリップ
ゴールドラッシュをめぐる冒険 番外編 Vol.5
写真・文/石塚元太良
2025年11月21日
その週、ただでさえ時間がないのに、突然ゲルハルドはカタールに出張にいくことになってしまった。
水曜の夜に呼びだされ、明日の朝からカタールに出張に行くと告げられる。
なんでもその出張は、ハリド・アリ・サーニに呼び出されているからだそうで、ハリド・アリ・サーニとは、シュタイデル社から4冊の作品集を出版している人物である。
彼は、資産数千億兆を誇るカタールの王族の子息で、なんでも砂漠の真ん中に競馬場を作り、その競馬場に来客用コテージのために、シュタイデルで出版した作品200点余りの額装と設営をゲルハルドに依頼しているらしいのだ。その予算感は推してしるべしである。
昨日そういえば、色校正をしながら国際電話で、フランクフルト、ドーハ間のチケットのスケジューリングをしていた。てっきり僕が帰国したのち次の週のスケジュールかと思っていたが、翌日のフライトだった。ゲルハルドは万事がこんな様子である。世界中のあらゆる人が、彼と一緒に仕事をしたがっていて、ひっきりなしに電話がかかってくる。世界中の美術館。そして、世界中のアーティスト。と、シャネルを筆頭とした世界的なメゾン。世界で一番美しい本をつくると言われる彼と、みんな一緒に仕事をしたがっているのだった。
僕とて、2016年からこの『Gold Rush Alaska』のプロジェクトを温め、待ち続けていて、ようやく印刷の段階まで漕ぎ着けたのに、明日からカタールに出張に行くと言われれば、怒り出しそうにもなる。「Alaska」とタグされた紙さえ、印刷機の横に待機しているのにである。
けれど、こうしてゲッティンゲンにきて、彼の仕事している現場にいると、彼のやっていることのスケールが大きすぎて、正直何もいえない。世界中が奪い合う彼の物理的な時間と労力が、僕のプロジェクトに向けられることを静かに待つしかないと悟る。
ゲルハルドは、カタールから週末に戻るらしいので、それまでに僕の作品集が印刷されることはない。ゲルハルドは、自分で必ず印刷機の色確認を自分で行う。それが、彼の職人としての矜持である。逆に彼が不在であるということは、Steidl社の印刷機自体が止まってしまうということでもある。
今回も僕の作品が、印刷されることはないのかとしばらく落胆していたが、カタール出発前に「君は、来週までドイツに残って、来週印刷できるようにしよう」と言ってくれたので一安心した。どうなるかはわからないが、週末の帰国便のチケットを変更して、木曜日、金曜日と残ってシュタイデル社のデザイナーたちと2冊目の本のデザインを詰めていく。
誰もいなくなった週末。印刷機のとまった静かなシュタイデル社でひとり、2冊目の編集作業を続けた。
Steidl社の4階は、アーティストに開放されているSteidのlライブラリーの空間で、そんな中でひとり静かに仕事できることもまた至福の時間である。
ゆっくりとそれらの大量の本を眺め続けていると、人間の手のひらと、本自体にある不思議な「親密さ」のことを思った。
このAI時代、人間の集合知としての「本の中身」は、丸ごとデジタル技術とインターネット空間に置き換えられていくのだろう。
そして、本そのものという「身体」は、どんどん高価で貴重なものになっていく。けれど、しぶとく「本」そのものは残り続けていくに違いない。なぜなら、僕らの「手のひら」と本という身体には、西ヨーロッパで印刷が発明されてから500年余りの時間をかけて醸成した「親密さ」があるからだ。そんなことを誰もいないシュタイデル社で考えていた。
プロフィール
石塚元太良
いしづか・げんたろう|1977年、東京生まれ。2004年に日本写真家協会賞新人賞を受賞し、その後2011年文化庁在外芸術家派遣員に選ばれる。初期の作品では、ドキュメンタリーとアートを横断するような手法を用い、その集大成ともいえる写真集『PIPELINE ICELAND/ALASKA』(講談社刊)で2014年度東川写真新人作家賞を受賞。また、2016年にSteidl Book Award Japanでグランプリを受賞し、写真集『GOLD RUSH ALASKA』がドイツのSteidl社から出版される予定。2019年には、ポーラ美術館で開催された「シンコペーション:世紀の巨匠たちと現代アート」展で、セザンヌやマグリットなどの近代絵画と比較するように配置されたインスタレーションで話題を呼んだ。近年は、暗室で露光した印画紙を用いた立体作品や、多層に印画紙を編み込んだモザイク状の作品など、写真が平易な情報のみに終始してしまうSNS時代に写真表現の空間性の再解釈を試みている。
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