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〈ティンバーランド〉の「スリーアイ クラシックラグ」と渋谷・原宿。

Timberland

2025年6月11日

photo: Kazufumi Shimoyashiki
text: Ku Ishikawa

左の4枚は当時の『プロペラ』店内の様子。1階にはポルシェ356が並び、アメリカンカルチャーのスケールの大きさを感じられる。右の1枚は1981年から今も残るヴィンテージショップ『バナナボート』にて。

〈ティンバーランド〉の「スリーアイ クラシックラグ」。今ではあたりまえのように街で見かける靴だけど、日本でその人気が始まったのは1990年頃らしい。『渋カジが、わたしを作った。』(増田海治郎)によると、渋谷あたりの若者たちが、紺ブレにスリーアイを合わせて歩いていたそうだ。キレカジとか渋カジとか、いろんな言葉があって、そういう流れをたどるのも面白いのだけど、実際にその時代にお店に立っていた人の言葉を聞いてみたくて、原宿の「プロペラ通り」の名前の由来となった、1988年にオープンしたセレクトショップ『プロペラ』(現在は閉店)に在籍していた内田良和さんに話を聞いた。

今のプロペラ通りはファッションブランドのショップが多く軒を連ねるが、『プロペラ』ができる以前は、『バナナボート』と飲食店くらいしかなかったという。

「『プロペラ』の2階の一部が靴コーナーだったんですが、オープン当時から取り扱っていた記憶がありますね。他ブランドのアメリカ製モカシンシューズと同じ並びで。僕が〈ティンバーランド〉というブランドを知ったのはスリーアイが初めてでした。イエローブーツは取り扱ってなかったし、ヒップホップやローライフ、B-BOYの人たちが履いていて、アメカジとは全く別の文脈だったから。周りの子たちで履いていたのは、アウトドアファッション好きが多かったなあ。マウンテンパーカなんかと合わせて。見た目はラギッドだし、モカシンシューズの文脈だから素直に受け取ればそうですよね。だからこそ、紺ブレに合わせるのはある意味異質だし、海外のスタイルを一捻り加えてファッションに昇華する日本らしさがよく出ているというか。ネイビーブレザーにピンクのボタンダウンシャツを着て、デニムを穿いて、スリーアイ。そしてロン毛、ってスタイルは、アウトドアファッションが好きな人とは別にすごく多かった」

プロフィール

〈ティンバーランド〉の「スリーアイ クラシックラグ」と渋谷・原宿。

内田良和

うちだ・よしかず|1967年、東京都生まれ。『プロペラ』、〈ザ・リアルマッコイズ〉を経て、アメリカのファッションブランドへ。PRやマーケティングを中心に30年間勤務し、今年卒業。

スリーアイがビジュアルに用いられた有名な広告。履き込んで味の出たアッパーに反して、手縫いのステッチやレザーの靴紐が健在であること、つまりとにかく丈夫な靴であることを謳っている。

〈ティンバーランド〉というブランドは、1973年に森林伐採作業者用ブーツとして作られたイエローブーツからその歴史が始まる。言わずと知れた世界初の完全防水ブーツだが、スリーアイが生まれたのは1978年。イエローブーツを履くのは寒い季節が中心で、あたたかい時季でも山を歩けるものを、と考えられたらしい。2つ穴のクラシックなデザインのボートシューズが元になっていて、そこに手縫いのモカシンアッパーと、イエローブーツのソールをくっつけた。見た目はボートシューズ、でも山向け。そういう、ちょっと変わった立ち位置の靴なのだ。

身なりを整えて教会に訪れる際に、スリーアイを履いている様子を切り取った広告。アウトドアシーンから、少しはみ出した提案を当時から行っていたことがこの広告からもわかる。

考えてみると、アイビーリーグの学生がトラッドなスタイルにボートシューズを履いていたように、日本の若者たちも紺ブレにスリーアイを合わせていたのかもしれない。内田さんの話を聞いていると、その「ズラし」こそが日本人らしいスタイルの解釈なのかなと思えてくる。「今ならね、大きめの白Tとかポロシャツに、紺のチノ。そこにスリーアイなんて、いいんじゃないですかね」と、内田さんは話していた。きれいめも、アウトドアも、もしかしたらマリンも。さまざまなジャンルの足元に、すっと馴染んでくれる。そういう靴だからこそ、自分なりの合わせを見つける楽しさがあるし、どんなファッションが流行っても変わらず足元にあるのだろう。

インフォメーション

〈ティンバーランド〉の「スリーアイ クラシックラグ」と渋谷・原宿。

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