TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム

【#4】ふと、旅がこぼれる。

執筆:入山杏奈

2025年5月6日

「アルバニアって、ワインが安いらしいよ」

そんな一言から始まった旅だった。
“日本人の99%が行かない国”とされるアルバニア。ベラトという街ではグラス一杯150円ほどでワインが飲めるらしい。ワイン好きの私たちにとって、それはもう、行かない理由がなかった。

かのベラトでは、気がつけばグラスを通り越してボトルを買っていた。私たちらしい。2人で笑いの絶えない夜を過ごした。
たわいもない話ばかりだったけれど、あの夜のことはよく思い出す。
旅の夜に酔い、語り、眠った——そんな時間の余韻が、まだ体のどこかに残っている。

翌朝、私たちはベラトをあとにし、バスに揺られて長い道のりを進んだ。着いたのは、石の街・ジロカストラ。そこからさらにバスを乗り継ぎ、“ブルーアイ”と呼ばれる泉を目指した。

森の奥で、その泉は静かに存在していた。中心が吸い込まれそうなほど濃く、まわりの水がゆらぎながら溶けていく。

「きれい」も「すごい」も違う気がした。

私たちは、ただその場に立ち尽くしていた。
水の音も、人の声も、ほとんど聞こえない。
あんなに静かな場所に立ったのは、いつぶりだっただろう。言葉を交わすのももったいないような美しさだった。

街に戻ると、空は少し曇っていた。
宿でひと息ついてから、夕ご飯を食べに出ようとしたちょうどその頃、ぽつりぽつりと雨が降り始めた。

傘はなかったけれど、こんなのもきっといい思い出になるねと笑い合いながら、私たちは足早にレストランを目指した。

そのとき、後ろから声をかけられた。振り返ると、宿のオーナーだった。傘のない私たちを見兼ねて、走って追いかけてきてくれたのだ。
「はい。」と差していた傘を私たちに手渡すと、そのまま濡れるのも構わずに、くるりと背を向けて戻っていった。

ほんの短いやりとりだったけど、その優しさが心に残った。
旅先で感じるあたたかさって、こういう瞬間にぎゅっと詰まっている。

その傘を差しながら歩いていくうちに、小さなレストランに辿り着いた。
「僕のレストランへようこそ」
そう言って迎えてくれたのはまだ小さな男の子だった。
グリルチキンとワインを頼み、静かにグラスを傾けていたとき、ふと耳なじみのあるメロディが流れ出した。

藤井風だ。

続けて、小さな恋のうた、さくらんぼ。
店主らしきおじさんが、私たちのほうを見てニコッと笑った。
あれは多分、言葉のない“歓迎”だった。

旅には、いろんな風景がある。
でも、こういう時間があとからじんわり沁みてくる。
静かに差し出してくれた気づかいとか、笑顔とか、あのまなざしとか。
名前も知らない人たちとの、短くてやさしい記憶。

あれから少し経った今も、ふとした拍子にこぼれてくる。雨の匂い、夜のワインの味、あのメロディ。
その記憶に背中を押されるように、私はまた、旅に出る。

プロフィール

入山杏奈

いりやま・あんな|1995年、千葉県生まれ。愛称はあんにん。2018年からメキシコで放映されたテレビドラマ「L.I.K.E」の出演のためメキシコに移住し、以来スペイン語が特技に。日本とメキシコを行き来しながら活動を続け、現在は日本に一時帰国中。昨年10月には日本テレビ系「潜入兄妹 特殊詐欺特命捜査官」でAKB48卒業後初のテレビドラマ出演を果たした。

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