カルチャー
二十歳のとき、何をしていたか?/堀道広
2021年10月12日
photo: Takeshi Abe
text: Neo Iida
2021年11月 895号初出
二十歳になる1か月前、富山から夜行バスで東京へ向かった。
それは、あの大事件の朝だった。
![交差点の前に立つ、堀道広さん](https://popeyemagazine.jp/wp-content/uploads/2021/10/dma-R150-151-001-1600x1990.jpg)
昆虫みたいだった人生を、スウィングしたかった。
バキーンと目に焼き付くワイドな肩幅。屈強な胴周り。ピカソみたいな配置の鼻や目。そんな奇抜なキャラクターを描く漫画家の堀道広さんは、会えば柔和で温厚で、あの作風はどこから? と思わずにいられない。でも話を聞くうち、確かにあの世界の創造主だ! とガッテン。
「二十歳になる1か月前に家出して、夜行バスで富山から池袋に来ました。その朝に地下鉄サリン事件があったんです」
待ち合わせた池袋のルノアールで、堀さんはそう言ってはにかんだ。1995年に社会を震撼させた大事件じゃないか。はにかみと内容がそぐわない気がするけれど、堀さんは引き続きはにかんでいる。
![現在の堀道広さん](https://popeyemagazine.jp/wp-content/uploads/2021/10/dma-R150-151-002.jpg)
「朝5時に池袋に着いて、どの店も開いてないから駅のベンチで寝てたんです。そうしたら警察官に連行されて、『東京は怖いところだぞ!』って怒られて。それまで警察に怒られることなんてなかったから萎縮しちゃって、池袋観光だけして、その日の夜行バスですぐに帰りました」
翌朝、堀さんは実家で朝食を食べながら、ニュースで事件のことを知ったという。思い立って家を出た日に大事件が起こるなんてそうあることじゃない。というか、そもそもどうして家出なんて?
「高校が、底辺の高校だったんです。僕も周りもダメ人間ばっかりで、『終わってる』が口癖で。美術系ならアホでも誤魔化せるかなと思って美大を受けたけど、落ちて、仕方なく地元の短大に行くことに。昆虫みたいな思考回路だった。この人生で考えるベストのゴールが見えなかった。でも心のどこかでスウィングしたいと思っていた。それで、入学を機に家出でもして、人生をチェンジしてやろうと」
入学してすぐ「来年の3月に東京に行く」と決意。二十歳の誕生日の1か月前を決行日とし、カレンダーに丸を付けた。東京で部屋を借りるため、コンビニと物流配送センターのふたつのバイトを掛け持ち、コツコツと家出資金を貯めた。
「配送センターでカップラーメンの裏に『うんこ』って書いておくと、次の日自分が働いているコンビニに『うんこ』と書かれたカップ麺が納品されてくる。これが物流かあ〜って楽しんでました(笑)」
1年後。30万円ほどの貯金を手にした堀さんはバイトを辞め、『魔女の宅急便』のキキのごとく友達に見送られ、夜行バスで富山を後にした。3月19日のことだった。そして翌朝、霞ケ関駅で事件が起こる。サリンが撒かれた丸ノ内線は池袋を通過するから、着の身着のままで寝ていた堀さんが怪しまれたのも当然だ。
「被害者か犯人かわかりませんからね。コンタクトの保存液まで調べられました。あとで知ったんですけど、犯人のひとりも池袋から乗車してたんですよね。もしかしたら肩がぶつかっていたかもしれない。歴史に触れてたんじゃないかと」
インドで悟りも開いた。そして再びの上京。
1年かけて準備した家出は、1日で終了。親にも気づかれなかった。でも堀さんの心境には変化があった。
「一回死んだと思って一生懸命生きるようになりました。学校もちゃんと卒業して、漆の訓練校に入ることにして」
堀さんは、マンガ家以外に漆職人としても活動している。ただ、漆は短大時代に教わった技術であって、ものすごく好きというわけではなかった。なんというか、就職したくなかったのだ。
![24歳、上京して勤めた漆屋さんでの職人時代の堀道広さん](https://popeyemagazine.jp/wp-content/uploads/2021/10/a3d054eb9daf0d383c052f07ee3bb7f2.jpg)
「就職から逃げるために石川県輪島市の3年制の訓練校に行こうと思ったんです。人間国宝の先生が教えてくれるし、そんな人生もいいかと思って。入学試験は、作品を見せて『道具が使えるか判断する』という内容だったので、短大の先生に仕上げてもらいました。そうしたら受かってしまって」
社会に出るまで3年の猶予ができた堀さんは、授業をズル休みして旅に出るようになった。21歳で知り合いの寿司屋を訪ねて初のニューヨークへ。
「例の家出のあと、自分なりにやる気が出たと思ってたんです。でも、日本人宿には夢を持ってアメリカに来た若者がたくさんいた。音楽やりたいとかブロードウェーに立ちたいとか、同世代にこんなにきらきらした人がいるんだと衝撃を受けました。レベルが違う。やばいな、大変なことになってんなと思いました」
若さゆえの苛立ちや衝動がくすぶって、海外へと向かわせたのかもしれない。昆虫みたいだったあの頃と比べたら、大きな変化だ。翌年は、ずばり「悟りを開こうとして」3か月ほどインドを放浪した。
![インドでの堀道広さん](https://popeyemagazine.jp/wp-content/uploads/2021/10/fab0701395fdede8c409b20bbb9a579e.jpg)
「夏ってバックパッカーがインドに溜まる時期らしくて。当時“沈没”って呼ばれていて、何をするでもなく、ただいるだけ。一日中寝て郵便局に行くだけの日とか、しょうもない時間の使い方をする」
堀さんもガンジス川で泳ぎ、落ちてる骨を拾い、適当な中華を食べてダラダラと過ごしたらしい。めちゃくちゃ楽しそうだけど、肝心の悟りのほうは?
「国境を越えてパキスタンに入って、もっと北まで行ってやろうと乗り合いバスに乗ったんですね。そこで車のドアを開け閉めする係の少年が、梨をおいしそうに食べてたんです。それを見たときに、ああ、梨がうまそうだなっていう気持ちは、どこにいたって同じだなと。日本で食べても、チベットで食べても、梨はおいしい。わざわざどこかへ行ってまで味わう感覚じゃないなと思って、それで帰ってきたんです。そういう悟り」
![インドで撮った、堀道広さんの証明写真](https://popeyemagazine.jp/wp-content/uploads/2021/10/49e5ede1a9b453039d17be762ea4bfa0.jpg)
輪島に戻り、漆作家のもとでバイトに励んだ。このまま職人として一生を終えようと思っていたある日、「君は職人的な作業に適性がない」と宣告を受けた。
「アホだからこの仕事しかないと思っていたのに、それすら向いてないなんて。急に目的を失ってしまったんです」
そこでもう一回、スウィングのときがやってくる。大好きな『ガロ』にマンガを描いて送ったら、見事入選したのだ。しかし、数か月後に出版社が倒産して『ガロ』は廃刊に。それでも出版社に持ち込みを続けていたら、再びマンガが入賞して、堀さんは2度目の上京を試みた。
「巣鴨に住んで、地蔵通り商店街でおばあちゃんに服を売るキャッチみたいなバイトをしてました。『冷房避けにいかがですか?』って殺し文句を駆使して、夏でも長袖のブラウスを売ってました」
家賃2万円の花屋の空き店舗で暮らしたときは、給湯器にホースを繋いで土間シャワーを実行。道路に排水し、女子高生に「変な泡が流れてる〜」と言われてしまう。もう、堀さんはほとんどマンガだ。
「もしかしたら心のどこかで望んでるのかもしれないですね。やっぱり19歳までが昆虫過ぎたので、スウィングしたことでなんでも楽しもうっていうマインドに変わったような気がします。めいっぱい生きようと、目の前のことに一生懸命になった。嫌いだったレバ刺しもしいたけも、反動でめちゃくちゃ大好きになりました」
プロフィール
堀道広
ほり・みちひろ|1975年、富山県生まれ。マンガ家、漆職人。石川県立輪島漆芸技術研修所卒業。1998年に『月刊漫画ガロ』でデビュー。2003年第5回アックス漫画新人賞佳作。漆職人としても活動する。著書に『おれは短大出』(青林工藝舎)、『うるしと漫画とワタシ』(駒草出版)。
取材メモ
ひとりで『すべらない話』ができそうなくらい、話題に事欠かない堀さんの人生。輪島に住んでいた頃、片道1時間かけてピザの出前バイトをしてたそうで、往復2時間の距離が配達圏内なのもスゴいけど、堀さん曰く「演歌も似合うし、全然楽です」。飄々としている堀さんはどんなことで興奮するの? と聞いたら、「パスタを腹いっぱい食べたいっていう欲望があって。家族がいない日に4人前のボロネーゼを作ってたらふく食べたらめちゃくちゃテンション上がりました」だって。
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