カルチャー

絵画の中の「現実の身体」

Catching Art: 身体でアートを感じるために #9

2026年4月13日

Catching Art


text: Daniel Abbe
edit: Masaru Tatsuki

今まで、この連載で庭園美術館彫刻、そして写真について語ってきました。絵画について少しだけ触れたのですが、絵画と身体はどのように結びつくのでしょうか? 一つの方法は、自分の身体を絵画の世界の中に投げ込むことです。そうすることを試みた作家、三苫ケイトを紹介します。三苫は主にビデオや彫刻を作っています。彼女の2025年の作品『odoriko series』はわずか1分49秒の映像作品です。私が見た時、ギャラリーではやや大きなモニターでループしていました。

『odoriko series』展示風景

極端に言いますと、このビデオには何も起こりません。というのは、一人の人間が座ってずっとカメラを見つめている「だけ」です。しかもその人間の顔が緑です。実はこの人物は三苫ケイト自身です。さて、『odoriko series』はどんな意味を持っているのでしょうか? そして、絵画と身体の関係はどこにあるのでしょうか? このことを知りたいと思い、三苫と話をしました。彼女の言葉からこの作品について考えてみたいと思います。

まず、この作品は小磯良平という画家による絵画をもとに制作されました。兵庫県立美術館へ訪れた際に、小磯の絵と偶然出会ったそうです。小磯はいくつかの『踊り子』という作品を描いているのですが、三苫にとってこの1938年に彼が描いた一点は特に気になるものだったと言います。「一番の理由は何よりもこの踊り子の緑がかった顔でした。一人だけが真正面を向いてこっちを見ていて、踊り子であるにも関わらず、踊っていない場面が描かれているのが印象的でした。調べてみると、小磯は舞台で踊る踊り子ではなく、練習所や舞台裏での様子など、現実の身体により近い状態の人物を描くことが多かったらしく、より興味を持ちました。」

絵画における「現実の身体」とはそもそも何なのでしょうか。小磯にとっての「現実の身体」は本番で見られる身体ではなく、むしろ「練習場所でのより人間味のある状態、疲れが出たりしている状態」にあるのではないかと三苫は言います。なるほど、不完全な要素があると、より「現実の身体」に近いと言えるのかもしれません。そして彼は本業としての踊り子ではない人、つまり一般の少女をモデルにし、踊り子の衣装を着せて描いたという説があります。「そのことを知った時に、私もこの踊り子の格好を真似てみよう」と三苫は考えたと言います。

ここで絵画の歴史について一点付け加えましょう。20世紀までの絵画の歴史において、描く側に男性が多く、モデル側に女性が多かったという傾向があります。小磯もこの構造に当てはまります。女性である三苫はこの男女の構造に対するアピールは表に出してはいませんが、その不平等な関係性の「おかしみ」を示し、「被写体である状態を捻り」たいと語っています。モニターから見つめる三苫の緑の顔は冷静で、様々な解釈を招いています。

実際に小磯の絵画の中に入るということは、どんな経験なのでしょう? 三苫は何カットも撮って、とても疲れたと語っています。しかし、この疲れること自体も小磯の見出そうとした「現実の身体」と言えるかもしれません。彼女の話によりますと、「撮影現場では様々な椅子で試しましたが、どれも絵画の構図通りに座る事が難しく、結局空気椅子をして撮ることになりました。そうすることによって、一見映像は止まっているように見えますが、よく見ると体が少し動いているのが分かると思います」。

『odoriko series』において、絵画の中の「現実の身体」は動くものになっています。これからも絵画と「動き」についてさらに思考していこうと思っています。

プロフィール

ダニエル・アビー

1984年生まれ。アメリカ合衆国カリフォルニア州出身。美術史博士(UCLA)。2009年から日本の美術や写真にまつわる執筆・編集・翻訳に携わる。現在、大阪芸術大学 芸術学部 文芸学科の非常勤講師として美術史・写真史を教えている。
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