TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム
【#2】山ときのこと人/種菌?
執筆:猪瀬真佑
2026年2月19日
「真に重大な出会いは、ほとんど偶然の顔をしている」――アルベール・カミュ
入社して間も無くのこと、一つ困ったことがあった。この「きのこの会社」は、椎茸の菌の専門の会社だった。
実は私は椎茸が大嫌い。味噌汁の出汁を取るために入れる椎茸の匂い、甘く煮付けた味、どれも幼い頃から強い抵抗があり、椎茸だけは食べたくなかった。それなのに偶然にも、「椎茸の会社」に巡り合っていた。
菌のメーカーに入社して初めて、椎茸の栽培方法には二通りあることを知った。そんなことも知らず、求人に応募したことを今にしては恥ずかしく思う。昔ながらの伝統的な「原木栽培」(ゲンボク栽培)と、現代では一般的な「菌床栽培」(キンショウ栽培)。それぞれ栽培方法が異なり、適している菌の特徴も違う。この会社は、中でも「原木栽培」に特化した椎茸用の菌の研究開発、製造、販売をしていた。
きのこの菌のことを「種菌」と書いて「シュキン」と読む。初めてのハウス見学で、きのこを育てている場所に案内され、何も分からないまま、ただ私は上司の後をついていった。そこには、何棟かのハウスがあった。黒いシェードが張られたビニールハウスへ入ると、丸太がたくさん並んでいる。中は薄暗く、空気に生き物が潜んでいるような重みを感じた。よく見ると、木の表面には穴の跡がある。この穴に詰められているものが、どうやら「種菌」らしい。
どんどん説明が続く。専門用語ばかりで、メモを取った言葉が不確かなまま、私はとにかく書き続けた。カリブセ、ホダギ、ホダカ、ホタバ、キンモン、キンシ、カッチャク、ショッキン、フウロー。どうやらこれらは栽培に関するキーワードのようだ。文字どおり、右も左もわからない状態で話を聞きながら目の前に並ぶ木を私はただ眺めるのであった。
隣のハウスで次に目にしたのが、整然と並べられた木からはち切れんばかりに生えているたくさんのきのこ。全部椎茸だ。きれいな模様の傘。こんな立派な椎茸は見たことがない。そんな印象だった。
「ここではいろんな品種の椎茸を試験栽培しています。これはXYZ、こっちはQWE、ABC、、、」。
品種ごとに、ローマ字と数字を掛け合わせた名前が振り分けられているが、椎茸のどこを見比べたら違いがわかるのか、それすら見当もつかない状態だった。これらの品種の違いがそのうちわかるようになるのかな、とぼんやり考えていたことを記憶している。
ずっと食べずに避けてきた椎茸。その時は突然やってきた。ある月曜日の夕方、品種の違いを比べるため、椎茸の試食会が始まり、社員が一人ずつ味見をしていった。その様子をみていると、「さあ、猪瀬さんも味見してみて」と声をかけられた。おそるおそる一番小さな一切れを口に入れた。その一切れの椎茸はなんと、驚くほどに美味しかった。美味しくて、もう一切れ食べ、また一切れ食べた。いくつかの品種を食べ比べると、それぞれ味が違うことがわかった。物心ついた頃からあんなに嫌いだった椎茸が、なぜ美味しく感じたのか、正直なところ不思議でたまらなかった。私が知っている椎茸の味と明らかに違う。雑味がなく、味わい深い旨味が口の中に広がり、すでに完成された一皿の料理を食べているようだ。「この椎茸ならまた食べたい」と思わせたその違いを私は知りたい一心になった。
「嫌い」なものにはきっと理由がある。その理由は「好き」よりもはっきりとしているかもしれない。何かを嫌いに思う「理由」こそが、時に自分の道をつくってくれる。それに気がつくためにも、「元」椎茸嫌いで本当に良かったと心から思う。もしかしたら、私に用意されていた必然だったのかもしれない。
私としては、長年の思いを覆された訳なので、その鍵を握る原木椎茸とは一体なんなんだと解き明かす猛烈な日々がここから始まった。(次回へ続く)
プロフィール
猪瀬真佑
いのせ・まゆ|1989年、東京都生まれ。山梨県にある原木椎茸の種菌メーカーへの入社をきっかけに、原木椎茸栽培にまつわる里山とのつながりに興味を抱き、日本の地形と豊かな森林資源からなる里山文化の奥深さを知る。キノコを共通点として国内外の人とつながりを広め、現在は「原木椎茸栽培を通して調べる里山や自然資源管理」を大きなテーマにアメリカのチームとドキュメンタリー映画を制作中。清澄白河にあるコーヒーかすできのこを栽培するカフェ〈KINOKO SOCIAL CLUB〉の立ち上げメンバーの一人でもある。