TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム
【#1】山ときのこと人/きのこの会社
執筆:猪瀬真佑
2026年2月12日
きのこに出会ったのは2021年のこと。まだまだ最近の出来事だけれど、今では随分と自分の中での中心的なアイテムであり、テーマになってきている。言い換えれば、「大切なもの」という感覚。きっかけは原木椎茸だった。東京での仕事を辞めて山梨へ飛び込んだ私は、やりたいこともなければ、目標も何もなかった。取り柄もなし。ただ一つ、生まれ育った東京以外の場所に住んでみたい、というぼんやりとした希望が現実になったのが、たまたま山梨だった。それまでの私は、大学や仕事の関係でアメリカに住んだことがあったけれど、自分が生まれ育った国、日本にあまり目が向いていなかったようにも思える。
山梨に行って最初の2〜3ヶ月は特に何もしないまま時間が過ぎていった。そろそろ仕事を探そうと求人サイトに登録はしたものの、それまでの職務履歴に一貫性もなく、務めた職もバラバラだったため、応募する際の職のカテゴリーは選びにくく、自分に合っていないように感じていた。そんな時に、ハローワークの求人リストでたまたま見つけた「きのこ」という文字。なんだか面白そうだなと興味が沸いた。
求人をみると、その会社ではアドビ(Adobe)を使える人を探していた。大学ではデジタルデザインを専攻していたから、基本的な操作はできるし役に立てるのならと思い、深く考えずに応募してみるとすぐに面接をすることになった。業務内容はきのこの商材をホームセンターへ卸すための出荷手配などの事務作業や、アドビを使った印刷物の作成など。それから、きのこを広げていくための企画など、積極的にアイディアを出してやって欲しいという内容の話があった。そのまま私はパートとして入社することとなり、きのこのことを何も知らないまま、きのこのニッチな世界へ足を踏み入れていた。
話は変わるが、この時にはすでに、がんの治療を終えてから10年が経とうとしていた。20歳で発症した小児がんのユーイング肉腫。アメリカの大学に通っていた私は、ちょうど大学4年生で、それは新学期が始まってすぐのことだった。学校生活、楽しくやっていたキャンパス内のスチューデントガーデナーのアルバイト、予定していたことを全て一時停止することを余儀なくされて、休学届を出して治療のために日本への帰国を急いだ。
ユーイング肉腫は小児がんの一種で、20歳の私も小児病棟で治療を受けた。初めて病棟へ入った時のことは今でも覚えている。ここで、全国から来たたくさんの子供達や若者が、がんの治療を受けていた。院内学級もあるこの病棟では、子供達が治療をしながらも、少しでも普段の生活を続けられるように様々なサポートがあった。そこで出会った仲間はみな、好きなことや、やりたいこと、目標があって、治療がどんなに辛くても力強く生きていた。無念にも、一緒の時期に治療をしていた中に、先立ってしまった仲間もいた。そのことは治療を終えた今もずっと頭の中に残っている。
14クールの抗がん剤治療を無事終えた私は、一時停止した時間を取り戻そうと必死で、何かを掴もうとしていた。復学して大学を卒業した後、帰国して日本で就活をした。初めて勤めた会社は、日本のアウトドアメーカー。大学時代に過ごしたアメリカのシアトルは、豊かな自然が近くに広がっている。そこでの日々が影響してアウトドアや自然遊びが好きになっていた。その後、音楽業界での仕事の話が舞い込んできて、ニューヨークで働ける機会をもらった私は転職をすることになる。振り返ればこの時も身体はまだまだ回復途中だったように思える。2年ほど勤めたところで立ち止まり、今度は植物などを扱う造園関係の会社へ転職した。
いろんな職種について、それぞれの場所で精一杯務めても、何をしても、その役目が自分のものになっているような感覚が抜けていた。そんな時に思い浮かべるのはいつも、病棟で一緒だったパワフルな仲間たち。あの子だったらどんな人生を歩んでいたのだろう。自分は今この健康でいられる時間を全うできていないのではないか、そんな風に思うことが多々あった。落ち込むことが多くなり、自信が持てなくなり、自分を追い詰めることが多くなっていった。体力的には戻っていても、精神的な部分で知らずのうちに何か重いものが溜まっていた。
そんな状態でたまたま見つけたきのこの会社での仕事は、自分を思いがけない世界へ連れていってくれたのだった。
次回へ続く。
プロフィール
猪瀬真佑
いのせ・まゆ|1989年、東京都生まれ。山梨県にある原木椎茸の種菌メーカーへの入社をきっかけに、原木椎茸栽培にまつわる里山とのつながりに興味を抱き、日本の地形と豊かな森林資源からなる里山文化の奥深さを知る。キノコを共通点として国内外の人とつながりを広め、現在は「原木椎茸栽培を通して調べる里山や自然資源管理」を大きなテーマにアメリカのチームとドキュメンタリー映画を制作中。清澄白河にあるコーヒーかすできのこを栽培するカフェ〈KINOKO SOCIAL CLUB〉の立ち上げメンバーの一人でもある。