TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム

【#3】服を着ること、服を観ること

執筆:井野口 匡 / 国士文通省

2026年1月24日

今回のテキストは、行きつけ?のコーヒー屋、福岡市中央区にある『ROUND COUNTER』から、お送りしております。福岡県福岡市中央区警固で FASHION PLAYER という店をやっている、国士文通省こと、限界ダイエットおっさん、GDOこと、ださまさしこと、MRCY a.k.a IKAこと、マァシィこと、井野口 匡がお送り致します。趣味は、ポケモンカードバトルとストリートファイター6です。最近、アークレイダースを始めました。乱れていきましょう。

前回の連載までで、自己紹介日本人の服装体験、前編をお送りしました。気になる方はリンクをご確認ください。

それでは。何卒。

80年代。ファッションは産業の主役になり、日本ファッション史最大の熱狂期。若者文化がファッションの中心となる。パルコの誕生、POPEYE、Oliveの創刊、渋谷・原宿が爆発的に人気になった。DCブランドと呼ばれる、BIGI、COMME des GARÇONS、Y’s、KENZO、ISSEY MIYAKEなどが、人気を博し、世界に日本のファッションが評価される。アパレル企業が大手産業になり、広告・雑誌・百貨店がすべて連動。90年代に入ると、古着が爆発する。渋カジ、裏原宿。日本の古着文化が、世界で最も深いと言われる原点となり、今、世の中にあるたくさんのヴィンテージの価値を生み出し、それらを服装体験としてインプットした若者が、ストリート × デザイナーズ × カルチャーが融合し、東京ファッションが、世界の中心の一つになった。

服は、情報量のゲームになったと言えよう。

2000年代に入ると、アメリカ古着が枯渇し、ヨーロッパから、ユーロ古着と呼ばれるジャンルのものが入り始めた。渋谷では、ギャル文化が最高潮となり、ルーズソックス、コギャル、厚底ブーツ、ガングロなどギャルがスタイル化していく。アムラーなんて言葉が生まれたんだよ。

裏原を代表するブランド、UNDERCOVERなどが、パリコレクションへと参入し始め、日本のクリエイションは、世界基準へと近づいた。

若者が流行を作る時代の象徴となり、BEAMS、UNITED ARROWS、SHIPS が全国に展開していく。こうして、ファッションが、ライフスタイル産業へと進化した。
ファストファッションの妥当性とファストファッションのラグジュアリー化も進む(超長くなるので、超割愛)

正解は増え、選択肢は無限に広がる。

その一方で、何を着ればいいか分からない人も増えていく。

選択肢が増えて、選ぶ喜びよりも、選択の間違いを恐れるようになった。

この意識は、現在に至るまで続く病理のように思う。

2010–2025|服を読み解きすぎる時代

世界のアーカイブ文化が日本に逆輸入し、ヴィンテージのその次の、アーカイブと呼ばれるジャンルが生まれる。これらは、ヴィンテージの年代、ディティール、スタイルのようなものから、デザイナーズのブランド、シーズン、アイテムに着目する、よりストーリー性を求めるものである。

chatGPTが、世界のアーカイブ文化が日本に逆輸入し、と記述して来たが、FASHION PLAYERの、前身のJP ARCHIVESというアカウント(今もある)で、自分がやっていたことが、まさにこれだった。

日本の古着文化への先見の明は、戦後の敗戦から生まれたアメリカ趣味と環境が根底にあり、そこから、大量のアメリカ古着が日本に流入するようになった。歴史的なアンティークの価値ではなく、近現代のヴィンテージとしての古物、服に価値を与えたのは、先ほどのアメリカ趣味と、日本の若者、古着に携わる古着兄貴たちの探究心にあったのではないかと思う。

その古着に価値がつく構造から、日本国内では、ブランド古着屋、ヤフオクのオークション内での貨幣価値を持った衣服が、売買されていた。
自分が、裏原という括りで正しいかは、分からないが、ナンバーナインというブランドに魅了され、当時から、買い集めていたのだけど、大学生となり、セカンドストリートのようなリユースショップや、ヤフオクでコレクションをしていく最中、RAF SIMONSに興味を持ち始める。

それは、2005年に発売されたReduxという、RAFのコレクションをまとめた本を買い、それを見ていくうちに、ナンバーナイン、アンダーカバーなど、日本のドメスティックブランドが、時系列的に明らかに影響を受けていること知ったからだ。(RAF SIMONSも、もちろん、あらゆるブランドに影響を受けている)

そこから、RAF SIMONSを、積極的にコレクションし始めた。ものにもよるが、今の数十分の一の値段だった。その頃は、まだ、アーカイブの過去を参照するターンではなく、最新コレクションで価値を生み出していくターンだったように思う。そのコレクションの中で、自分的には、人生のターニングポイントとなる、Vogue Hommes Japanという雑誌で、RAFが自身のアーカイブでスタイリングを組むページが、掲載されていた。
その中で、最も印象的だったページのMA-1を所持しており、何となく高く売れそうだなと、ヤフオクにその画像を利用し、出品してみたところ、その頃の自分にしては、相当な高値で売れた。その頃の履歴を、ある時期に振り返ると、RAF SIMONSが、JIL SANDERのデザイナーをしていたため、その超高額なアイテムが、廉価販売として、高値で取引されていた履歴はあるが、RAFのアーカイブを高値で取引されていた履歴は、皆無だった。古着や古物の価値は、履歴を参照して価格の上昇を生む。もしかしたら、その時の取引は、現在の市場を形成する大事な取引だったかもしれない。

そういったことも、言えますし、考えれますよね韮

先ほどのRAF SIMONS先生の売買を元手に、BFGU(文化ファッション大学院大学)の学生の時に、郊外のリユースショップでアーカイブを買い集め、売買をしていたことが、JP ARCHIVESに繋がる。JP ARCHIVESでは、上海時代に、店舗と中国内販のECで日本の古着をばら撒きながら、その頃にスタートした GRAILED というキュレーション、ファッションメディアを内包したプラットフォームで、相当な数のアーカイブを売買した。これも、まだ、日本を含め、世界のどこにも価値が明らかではなかった、現在のアーカイブというジャンルの取引数を増やして、相場を作ることにより、価値を明らかにしていくことを意識的に行った取り組みだった。そのモチーフとなったのは、日本が、海外の古着を大量に輸入して、醸成した価値相場を、リアルタイムで経験していたことにある。自分は、古着屋で働いたことがないが、その構造を受け継いでいた。その頃、アーカイブというジャンルで呼ばれる古着を、アーカイブという名目で、販売していたアカウントや店は、ほぼ無かったように思うので、2026年に振り返って思うのは、このジャンルの中で、世界的な動きを果たしたように思う。実際、ヨーロッパのメゾンやブランドに、多くのサンプリングのための古着を出荷し、コロナ禍には、世界の全大陸からオーダーが入っていた。ただ、オンラインでの活動であり、自分が東京のファッション業界との接続を、意識的無意識的に遮断していたため、それを周りが知る術もない。未だに、そのようなことを体系的に調べる学者も古着屋もいない。唯一、それを意識的に扇動していた自分だけが関与、観測していた部分があるとも言える。言うたり、考えたりするのは、自由だし。

SNSによって、タグ文化・年代特定が爆発的に普及していったのも、2010–2025の特徴のように思う。日本の古着屋が、世界最高レベルの知識層を抱えているのは、脈々と受け継がれて来た古着兄貴たちの研究者、追求者的な姿勢が、多種多様な品番に価値をつけた古着たちがあるからだ。SNS、アーカイブ、タグ、年代特定による価値判断。服は、着る前に意味を問われる。もはや、画像をスキャニングする遊びのように思う。

若者文化の中心がSNS移行し、ファッションにおいては、Instagramが中心となった。#ootd、スニーカーブーム、ストリートブランドの隆盛、韓国ファッションが台頭してきた。コロナ禍で価値観が変わり、新作よりアーカイブ・古着・一点物に価値が生まれる。Y2K、アーカイブ、リビルド、サステナブルな意識が、SNSの画像とテキスト、動画を通じて、一般的なファッションのトレンドとなり、多種多様な価値基準が乱立する中で、わかりやすい古くからの価値を持つ、ヴィンテージの再評価も行われる。多くの知識と、服を着ることへの情熱を持った若者たちが、服を、歴史を読み解く文化を運用し始めた。服=意味、文脈、歴史が当たり前の知識になる。

そして、ここに来て、多くの人が服の前で立ち止まる。

日本人の服装史は、国家に決められ、文化に踊らされ、産業に熱狂し、情報に溺れ、
いま、もう一度、自分で価値を判断して着る時代に突入するのではないか?

FASHION PLAYERのキャラクター、LV.1のおじさんの話に戻る(連載第一回をお読みください)

LV.1のおじさんは、一般的なおじさんのメタファーとして、ダサいから存在するんじゃない。日本人全員が、明治からの157年分の服装アップデートを背負わされて、何を着ればいいか分からなくなっているから、先ず、自分から始めるためのキャラクターとして存在している。

FASHION PLAYERは、服の正解を教える場所じゃない。日本人、いや、世界の人々が一度失った、自分で着る、自分を着るという感覚を取り戻す場所だ。

服を着るという、いちばん原始的で、いちばん個人的な行為を、もう一度、遊び直すための場所。それが、FASHION PLAYER。

地球規模で考えると、パリ、ロンドン、ニューヨーク、東京のような大都市に現代的な、最も前衛的なファッションの思想、表層的なトレンド、歴史があり、プレーヤーがいるのだろうか?

服は、自分を見せる最古のSNS。SNSがなかった時代のセルフメディア。

おれがいて、おれがいる。貴様がいて、貴様がいる。

おれらが、服を着る。

この世界で最もイケてるの、我々、自分なのである。

スーツ文化が後退し、服は完全に、国家の道具になる。物資は不足し、着物は裏返され、ほどかれ、古布の再利用で作り直される。男物の羽織を女物に直すような、サイズダウンのテクニックや、毛糸のほどき直しをしたり、下駄の台を再利用したりしたらしい。戦争の状況から生まれるリメイク文化。現代の大量生産、大量消費から生まれる大量の産業廃棄物としての服に何を思えば良いのだろうか?

戦争の真っ只中、1944〜45年は極端な衣料不足になり、服は文化でも、自己表現でもなく、生き延びるための資源に戻る。昭和前期は、服が国家に支配された時代となった。

終戦。日本には服がなかった。物資が不足し、生地が不足し、工場も焼け落ちた戦後の時代背景。国からの配給制度、着物の裏返し・解き直しのリメイクや、米軍のお下がりである占領軍(GHQ)の払い下げ品が大量に流れ込み、戦後最初のアメリカ古着文化が始まる。アメリカ古着は、最初からファッションだったわけじゃなく、生存のための衣服だった。

経済が復興すると、服装が、生活の安定を象徴し始める。男性は会社員として制服化され、サラリーマン=スーツ文化が確立し、制服化(会社員、学生、銀行員)していく。また、女性は洋裁で家庭の服を縫う洋裁ブーム、ワンピースが普及し、白襟の清潔なイメージが時代の象徴になった。この頃、以前に栄えた既製服産業が再復興し、百貨店(松坂屋・三越)が既製服を量産し、国内縫製工場が増加していき、日本製の洋服が、初めて国民標準になる。現代のワードセンスなら、ユニクロ化だろうか?

この時代、日本人は、服があること=ちゃんとした生活だと認識するようになった。

戦後の復興の中、東京オリンピック(1964年)が、日本に若者文化を誕生させる。東京オリンピックは、スポーツイベントである前に、国家による「戦後は終わった」という宣言だった。戦後の焼け跡が、高速道路・新幹線・ビルとなり、国から配給されていたものを、仕事をして稼いだお金で消費し始め、生きるために暮らすことから、余裕が生まれ、余暇を楽しむようになった。親世代は「生き残る」ことが目的だった。が、1964年を境に、子ども世代は「どう生きるか」を考えていい空気が生まれた。1960年代、日本は、ベビーブーム世代が10代後半〜20代に突入する。人数が多い、学校に通っている、同じ音楽、雑誌、テレビを見る。つまり、同時代感覚を共有する巨大な集団が出現した。それ以前も、若い人はいたけど、「若者」という文化単位は存在していなかった。

オリンピックに向けて、東京は再設計される。原宿・渋谷・新宿の開発。カフェ、映画館、デパート、ブティックなどの文化を感じる場所。若者(子ども)が、親と切り離された時間を過ごせる場所が一気に増えた。学校でもない、家でもない、職場でもないような場所。服・音楽・髪型が、仲間内のサインになり、スタイルが形成された。若者文化とは、都市文化とも言える。

東京オリンピックは、テレビの時代の始まりでもある。カラー映像で、海外のスター、海外のファッション、海外の音楽の情報が入るようになり、同時期に、音楽番組、若者向け雑誌、ファッション誌が、次々に生まれる。

ここで、若者向けがビジネスになると、社会が気づいた。日本製ジーンズ、BIG JOHN、EDWINなどが、国産ジーンズを作り始め、日本のアメカジの種がまかれ始めた。

服は、大人のためのちゃんとした生活から、 若者のための、遊び道具に変わる。ここで初めて、服は、自己表現と呼ばれるようになった。

この時代、服を着ることそのものが、楽しかった時代のようだ。

次週、後編に続くが、果たして、これを読む読者の方々は、服を着ることが楽しいだろうか?服を着ることが楽しくないのは、時代のせい?人のせい?はたまた、他の何かに楽しみは奪われたのか?

第一回にも書いた。

服は、自分を見せる最古のSNS。SNSがなかった時代のセルフメディア。

おれがいて、おれがいる。貴様がいて、貴様がいる。

おれらが、服を着る。

この世界で最もイケてるの、我々、自分なのである。

次週、FASHION PLAYERは、現代ファッションの救世主となり得るか?

プロフィール

井野口 匡

広島大学卒。文化ファッション大学院大学(BFGU)修了。福岡を拠点に、国士文通省名義での表現活動と、FASHION PLAYERという服屋を運営している。 FASHIION PLAYERは、コンテンツとして、PodcastLINEオープンチャット服託択宅(ふくたく)委託/買取サービスを持ち、服を着る生活をゲーム化しようとしている。

Instagram
https://www.instagram.com/kokushibuntsuushowsama/
https://www.instagram.com/pro_fashion_player/