TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム

【#1】綯い交ぜの世界・歌舞伎とチェコ文化

執筆:ホリー・ペトル(Petr Holý)

2026年1月15日

はじめまして。ペトル・ホリーと申します。その昔、国費留学生として歌舞伎を研究するために来日し、気がつけば28年という歳月が経っておりました。生まれも育ちもチェコのプラハ周辺の私を日本の虜にした最初のきっかけは、14歳の夏休みの時、親が買ってくれた日本を紹介する本でした。プラハから40キロほど離れた生まれ故郷ドブジーシュという長閑な町にあった小さな(私にとってある意味「ニューシネマパラダイス」的な)映画館で時折日本の映画を見る機会もあり、生の日本語を聴く機会が増えました。私は日本語の聲(ひびき)に魅せられたのです。その後、夜間の言語学校で日本語を学び始め、日本人と文通し始めました。私がこのように「日本の世界」にすっぽり入る以前には、子供の頃からチェコのアニメーション映画を日常的に観る環境でした。というのも、親戚がズリーンというチェコの東部モラヴィア地方の町に住んでおり、その家のほど近くには、製靴王と呼ばれた実業家トマーシュ・バチャが1927年に設立したズリーン映画撮影所があり、ここで20世紀後半、ヘルミーナ・ティールロヴァー(1900-1993)やカレル・ゼマン(1910-1989)といったアニメーション巨匠たちが活躍していたのです。

カレル・ゼマン監督『前世紀探検』

カレル・ゼマン監督作品集

幼かった私はある夏休みに叔父の家の電話帳を頼りにティールロヴァー監督の電話番号を見つけ出し、大胆にも監督に直接電話してしまったことがありました。「今は忙しい」というそっけない即答にいささかがっかりもしましたが、それでも憧れの監督と一言だけでもかわせたことは今でも嬉しい思い出としてこころに残っています。他にもイジー・バルタ監督の短編映画『最後の盗み』や長編映画『笛吹き男』がとても好きで思春期の頃によく観ていました。また、オルドジヒ・リプスキー監督の『カルポティ城の謎』や『アデラ/ニック・カーター、プラハの対決』、ユライ・ヘルツ監督の『ナインス・ハート』、『高速ヴァンパイア』などは私の心に深く刻まれました。

オルドジヒ・リプスキー監督の作品集

オルドジヒ・リプスキー監督『アデラ/ニック・カーター、プラハの対決』

これらの長編映画の全てに、世界的に有名なチェコのシュルレアリストであるヤン・シュヴァンクマイエルが関わっていました。当時はまだ、自身が日本の地で彼と仕事をするようになるとは思いもよりませんでした。このような映像作品で、チェコスロヴァキア・ヌーヴェルヴァーグの映画やシュルレアリスムに出逢った私は、10代になると映画作家になると夢見ましたが、残念ながら才能はなく、ましてや14歳の時の「ニホン」、後の歌舞伎との邂逅(かいこう)のせいか、進むべき道の軌道が別の新たな方向に赴(かぶ)いて行ったのでした。そういった経緯のせいか、私の中では日本文化、とりわけ歌舞伎の世界と、チェコのアニメーションやチェコ映画の世界が「綯い交ぜ」になっているのであります。それについてまた次回にお話しますので、お楽しみください。

ユライ・ヘルツ監督『鳥獣の館』

プロフィール

ホリー・ペトル(Petr Holý)

1972年プラハ郊外のドブジーシュ生まれ。1990年プラハ・カレル大学哲学部日本学科に入学し、1991年語学短期留学で初来日。93~94年早稲田大学、98年~2000年東京学芸大学大学院、2000年に早稲田大学大学院文学研究科に入学、歌舞伎を研究し、04~06年同大学第一文学部助手、06年同大学大学院博士課程を卒業。06年に、駐日チェコ共和国大使館一等書記官となり、同大使館内にチェコセンター東京を新たに開設、同時に所長に就任。ヤン・シュヴァンクマイエル監督の映画字幕作成や書籍翻訳、関連書籍の執筆をはじめ、チェコ文化を広く日本に紹介。13年にチェコセンター所長を満期退任。現在、歌舞伎研究の傍ら、未だ知られざるチェコ文化・芸術の紹介と普及を目的にした「チェコ蔵」を主宰。チェコ文化関連のイヴェントや講師・講演会など数多くこなし、公的な通訳・翻訳業にも携わる。都留文科大学・清泉女子大学の兼任講師(歌舞伎、ジャポニスム、チェコアニメーション史)を務める。

プロフィール写真
撮影:©︎宮地岩根