TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム
【#3】息詰まる時代の「反社会ヒーロー」
執筆:橘玲
2026年2月23日
『勝手にしやがれ(À bout de souffle)』(1960)はフランスの映画監督ジャン=リュック・ゴダールの長編デビュー作で、ヌーヴェルヴァーグ(新しい波)の記念碑的作品とされる。
ゴダールは1930年にパリの裕福な家庭に生まれ、戦時中はスイスで過ごし、高校でパリに戻ると映画に夢中になった。勉学に身が入らずバカロレア(大学入学資格試験)に落第、翌年、合格してパリ大学に入学したものの授業に出ることはなく、パリの文化エリートが集まるシネクラブに入り浸っていた。
ゴダールと共にヌーヴェルヴァーグを牽引したフランソワ・トリュフォーは1932年にパリで生まれ、少年時代は両親とうまくいかず何度も感化院に送り込まれ、中学で学業を放棄して15歳でシネクラブを組織した。その後、映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』に攻撃的な映画評を書きはじめ、自らの少年時代を題材にした初の長編監督作『大人は判ってくれない(Les Quatre Cents Coups)』(1959)がカンヌ国際映画祭で監督賞を受賞し、一躍ヌーヴェルヴァーグの旗手になった。
1955年のハリウッド映画『理由なき反抗』では、ジェームズ・ディーン扮するジムをはじめとする高校生たちは、自分の気持ちを大人たちにわかってもらいたいと思っていた。だがトリュフォーの少年時代の分身でもある主人公のアントワーヌ・ドワネル(ジャン=ピエール・レオ)には、もはやそんな考えはない。
アントワーヌはコレージュ(中等学校)の第6学年で、日本なら小学校6年生に相当するが、厳格で威圧的な教師や、自分勝手な両親がなぜ自分に干渉するのか理解できない。原題の“Les Quatre Cents Coups”は直訳すれば「400発の打撃(アメリカ版では“The 400 Blows”)」で、フランス語では「大騒ぎを起こす」「若気の至りを尽くす」を意味するようだが、それに『大人は判ってくれない』の俊逸な邦題がつけられた。この映画によってはじめて、大人に理解されることを期待しないふつうの若者が描かれたのだ。
『勝手にしやがれ』はそのトリュフォーが実際の事件からアイデアを得て、監督に友人のゴダールを推薦した。
ジャン=ポール・ベルモンド扮する主人公のミシェル・ポワカールはローマでモデルをしていたこともあるが、いまはマルセイユのチンピラで、車を盗んでパリにいる恋人に会いに行こうとする。その車のグローブボックスには拳銃が入っていて、追い越し禁止違反でオートバイの警官に追われたとき、ミシェルはその拳銃で警官を射殺してしまう。
パトリシア(ジーン・セバーグ)はアメリカからやってきた留学生で、パリの新聞社で売り子のアルバイトをしながら文化ジャーナリストを目指している。2人はニースで数日過ごしただけの関係だが、ミシェルはパリで貸した金を回収してパトリシアとローマに行こうしている。だが大学に通わないと親からの仕送りを絶たれてしまう彼女は、いい返事をしない。
ミシェルは刹那的な性格で、先のことをほとんど考えない。パトリシアをデートに誘って、小銭しかないことに気づくと、ビルのトイレで裕福そうな男を襲って個室に連れ込みカネを奪う。毎日、新聞を買って警官殺しの捜査の進展を追ってはいるものの、犯人として自分の写真が大きく載ってもさして気にする風もない。
パトリシアはミシェルの無謀で予測不能なところに惹かれ、刑事から警官殺しの犯人だと知らされたあとも行動を共にする。だが知り合いの家で一夜を明かしたあと、彼女は刑事に電話をする。
その後、パトリシアは自分が密告したことを打ち明けるが、ミシェルは「逃げきれないさ。むしろムショに入りたい」という。知り合いから車で逃げるよういわれたときも、パトリシアと別れるのがいやで、「もういんんだ。疲れた。俺は眠りたい」と断る。そして、その知り合いが路上に投げた拳銃を拾ったところを、追ってきた刑事に背後から撃たれて路上に倒れる。
そこにパトリシアが駆け寄ると、ミシェルは恋人同士だったときのように顔真似をし、“c’est vraiment dégueulasse(まったく最低だ)”とつぶやいて、自ら目を閉じて死んでいく。パトリシアが「なんていったの?」と訊くと、刑事は「“君は最低だ”」と教える。「最低(dégueulasse)ってなに?」と訊き返したあと、パトリシアはカメラをまっすぐに見つめて、親指で唇を触るミシェルの癖を真似する。――トリュフォーの『大人は判ってくれない』は、感化院を抜け出したアントワーヌが海辺まで走り、カメラをまっすぐ見つめる印象的なシーンで終わる。ゴダールは『勝手にしやがれ』のラストで同じ手法を使ったのだろう。
トリュフォーやゴダールは少年時代に、ジョン・ウェインの西部劇やハンフリー・ボガートのハードボイルド、ヒッチコックのスリラー映画など、黄金時代のハリウッド映画に夢中になった。そして戦争が終わると、自分たちの映画をつくりはじめた。
同じ戦勝国でも、空前の繁栄を謳歌したアメリカとは、1950年代のフランスの雰囲気はかなりちがっていた。ドイツのように戦場にはならなかったものの、植民地が次々と独立し、フランス領だったインドシナ(ベトナム、ラオス、カンボジア)から撤退し、「第二の国土」であるアルジェリアでも独立運動が起きて1954年からは戦争状態になった。アメリカがベトナムに本格的に軍事介入したのは1964年だから、フランスの若者はそれより10年も前に、徴兵によって戦場に送られるかもしれない現実に直面したのだ。
『勝手にしやがれ』の原題は“À bout de souffle”で、「息ができない(英語版では“Breathless”)」のことだ。これは、当時の閉塞状況や若者たちの投げやりな気分(いつ戦場で死ぬかわからない)を表わしているのだろう。
一方で、ハリウッドの映画産業も大きな転機を迎えていた。アメリカでは世界に先駆けて1940年代からテレビが普及しはじめ、50年代には映画の興行収入が急減し「観客喪失の時代」と呼ばれた。さらに、騎兵隊がアメリカン・インディアンの襲撃から開拓者を救出し、インディアンを皆殺しにするという西部劇は、人種差別だとしてもはや制作できなくなっていた。「オールド・ハリウッド」や「クラシカル・ハリウッド・シネマ」と呼ばれたスタジオ中心の映画づくりは行き詰まり、『ベン・ハー』(1959)のような歴史大作に巨額の費用を投じ、興行成績がふるわないと大手スタジオの経営が傾いた。
そんななか、フランスから伝わったヌーヴェルヴァーグは、ハリウッドの若い映画作家たちに大きな影響を与えた。これが「アメリカン・ニューシネマ(New Hollywood)」で、公民権運動やベトナム反戦運動による社会の動揺を背景に、『俺たちに明日はない(Bonnie and Clyde)』(1967)や『明日に向って撃て!(Butch Cassidy and the Sundance Kid)』(1969)など、スクリーンで派手な銃撃戦をするアウトローが若者たちを熱狂させた。
『俺たちに明日はない』は1930年代の大恐慌の時代に実在したカップルの銀行強盗をモデルにしており、若手人気俳優のウォーレン・ベイティがクライド・バロウを、この映画でブレイクしたフェイ・ダナウェイがボニー・パーカーを演じた。
刑務所から出たばかりで仕事のないクライドは、ウェイトレスの仕事に退屈していたボニーの気を引くために食料品店から小ガネを奪い、別の食料品店では店員を銃で殴りつけて大けがをさせる。最初に2人で行なった銀行強盗では、運転手役に雇った若者の失態もあり、逃走する車にしがみついた支店長の顔面を躊躇なく撃ち抜いた。
クライドの場当たり的な行動が、『勝手にしやがれ』のミシェル・ポワカールと瓜二つなのは偶然ではない。ヌーヴェルヴァーグに影響を受けたこの作品の脚本家は、当初はトリュフォーに協力を求め、ゴダールが監督することを想定していたとされる。
銀行強盗の場面で貧しい客のカネは奪わないという義賊めいた描写はあるものの、これまでのアメリカ映画では、民間人を射殺するようなヒーローは考えれなかった。ボニーとクライドは、自分たちの銀行強盗が新聞に大きく取り上げられ、有名になることを面白がり、銃撃戦で警官を殺したことも気にしていない。
『勝手にしやがれ』のミシェルは、自分の欲望を満たすために他者を傷つけることをなんとも思わず、先のことはまるで考えない、どうしようもなく利己的な小悪党だった。『俺たちに明日はない』では、正義のために法を犯すアウトローではなく、“自分らしく生きる”ために法も道徳も無視する「反社会的なヒーロー」が描かれた。
とはいえ、なんの罪もない民間人を無慈悲に殺す「ヒーロー」は観客の共感を得ることができず、この作品のあと同様の設定はほとんど使われなくなった。新たなアンチヒーローは、1991年の『羊たちの沈黙(The Silence of the Lambs)』でアンソニー・ホプキンスが演じた、天才的な元精神科医で猟奇殺人犯でもあるハンニバル・レクターを待たなければならない。
ジェームズ・ディーンが主演した『理由なき反抗』(1955)で描かれたのは、親子の価値観の対立だった。だが『勝手にしやがれ』には親はいっさい出てこないし、『俺たちに明日はない』でも、母親は銀行強盗として有名になった娘を説教するのではなく、「若い者同士でおやり。私はもう年だしなにもわからない」「一生逃げ回るしかないよ。そうだろ?」と突き放すだけだ。欧米ではこの2つの映画を隔てる10年あまりで、子どもは親の所有物から独立した人格へと変わったのだ。
『勝手にしやがれ』は「(文化的に)意識高い系」のあいだで高い評価を得たものの、興行的に大ヒットし、ひとびとの価値観を変えたのは『俺たちに明日はない』だ。この映画は当初、「殺人を美化している」との批判を浴びたが、その年のアカデミー賞に作品賞・監督賞をはじめ9部門でノミネートされ、2部門(助演女優賞と撮影賞)を受賞したことで、「芸術」として認められた。このような「反社会的」な作品がヒットし、評価されることは、それ以前は想像もできなかっただろう。ヌーヴェルヴァーグの実験をアメリカに移植しようとした製作者たちの賭けは、大輪の花を咲かせることになった。
ところで、フランスのヌーヴェルヴァーグは、なぜアメリカのニューハリウッドに先行できたのだろうか。
泥沼化するアルジェリア戦争を収拾するために、第二次世界大戦の英雄シャルル・ド・ゴールが政治に復帰し、1959年に憲法を改正して大統領となり第五共和政を発足させた。保守派の期待に反してド・ゴールはアルジェリアの民族自決権を認め、国民投票を受けて62年にフランスはアルジェリアから撤退する。これによって、アルジェリア戦争のための徴兵・動員も停止された(フランスが正式に徴兵制を廃止したのは1997年)。
ベトナム戦争は、1975年に北ベトナム軍がサイゴン(ホーチミン)を陥落させたことでアメリカの敗北に終わった。あれほど盛り上がった反戦運動も、73年の和平協定成立とともに徴兵制が廃止されたことで、目標を見失って急速に衰退していく。
フランスとアメリカの現代史には10年の“時差”があり、それによってゴダールは、ミシェル・ポワカールというアンチヒーローを時代に先がけて創造し、「自分がなにに抵抗しているのか、もはやわからなくなったが、それでもなにかに“抵抗”している」という当時の若者の心情を表現することができたのだろう。
ゴダールはその後、中国の文化大革命を題材とした映画(『中国女』)を撮影し、1968年の学生運動(5月革命)に呼応してカンヌ映画祭を中止させるなど、政治的な行動を過激化させていった。この事件をきっかけに、長年の同志だったトリュフォーとも決別している。
フランス領アルジェリアに生まれたアルベール・カミュは1942年の『異邦人』で、主人公のムルソーに、ナイフを向けてきた「アラブ人」を射殺した理由を「太陽がまぶしかったから」と答えさせている。『勝手にしやがれ』では、マルセイユからパリに向けて盗んだ車を運転するミシェルが窓越しに太陽に向けて銃を撃つシーンがある。
1940年にドイツに降伏して北部を占領され、南部にはドイツに協力するヴィシー政権ができ、「戦勝国」となったあとも帝国主義・植民地主義の負の遺産に翻弄されたフランスには、「善と悪は相対的なもので、なにが正しいかなどわからない」というある種のニヒリズムが生まれた。こうした社会の雰囲気が、自分たちが“善”であることを疑う理由のなかったアメリカに比べて、ヌーヴェルヴァーグの映画に独特の深味を与えたのではないだろうか。
なお、『俺たちに明日はない』では当初、クライド・バロウを両性愛者として描き、ボニー・パーカーと運転手役の若者との三角関係にするつもりだったらしい。だがカウンターカルチャーの時代でもこれはさすがに無理があるということで、クライドは性的不能者(インポテンツ)になり、当時、アメリカで大流行していたフロイトの精神分析の影響を受けて、銃が男根(ペニス)の象徴とされている。
映画は、クライドが男性性を取り戻し、ボニーとはじめてのセックスをしたあと、復讐に燃えるテキサス・レンジャーの男が雇った自警団に待ち伏せされ、マシンガンで2人が蜂の巣にされるという、映画史に残る衝撃的なシーンで終わる。ミシェル・ポワカールも同じだが、アンチヒーローは死ななければならないのだ。
プロフィール
橘玲
たちばな・あきら|1959年生まれ。2002年、小説『マネーロンダリング』でデビュー。2006年、小説『永遠の旅行者』が第19回山本周五郎賞候補作となる。以上、二作に小説『タックスヘイヴン』を加えて〈マネーロンダリング三部作〉と呼ばれる。他に30万部を超える『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』、100万部超の『言ってはいけない』シリーズほか、新しい教養・啓蒙書でのベストセラーも多数。
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