TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム

【#4】くろ谷まで(あるいは、クレーについて)

執筆:qp

2025年12月30日

わたしはスイス生まれの画家、パウル・クレーを敬愛しています。
自分の作品はクレーから影響を受けていると、素直に言うことができます。

クレーは1879年12月に生まれ、わたしは1979年11月に生まれました。ということは、クレーが生まれてほぼ100年後に、わたしが生まれたことになります。

それは、世の中によくある偶然のひとつで、なにか意味があると言いたいわけではありません(当然ですが、生まれ変わりだと言っているわけでもありません)。
しかし、作品への敬愛とともにその生年によって、なんとなく自然と、クレーと自分の人生を重ねる癖がつきました。
彼が60歳で亡くなったのだから、わたしもそれくらいで亡くなるのだろうか、と考えたこともあります。

数年前、クレーの著書「造形思考」という本を見つけて、購入しました。

本の中で、描かれた線を散歩になぞらえている箇所があります。
あてどもなく自由に引かれた線は散歩的で、一方、目的地に向けて性急に引かれた線は「用事歩き」という言葉で表現されています。
「用事歩き」というのは、翻訳語とはいえ日常では聞いたことのない言葉で、とはいえ意味としては膝を打つところがありました。

自由をゆるさず目的地に一直線な歩行は、散歩なのかどうか。

散歩とは、より道をしたり、目的地がそもそもなかったり、あるいは目的地が変更されたり、そういうもののような気がしています。
それは道順や目的地だけの問題ではなく、心のありようというか。

自由を受け入れ、外側の世界に開かれている状態、あるいは、積極的になにかを探そうとしている状態が、散歩的な心といえるのではないでしょうか。

12月のある日。
目が覚めて、すぐに着替えて外へ出ました。水色の空に、白い月が浮かんでいるのを発見しました。

哲学の道入口へ向かい、お気に入りの自動販売機で「午後の紅茶」を買い、一気に飲み干しました。空気は冷たく、均等に植えられた桜の木の葉っぱはすっかり落ちて裸になり、冬の訪れを感じました。

今朝は、くろ谷まで歩こうと考えました。
くろ谷というのは浄土宗のお寺、金戒光明寺の別名。家からも近く、朝の散歩として、ときどき足を運んでいます。

今出川通を少し進んで整髪店の手前で左折し、神楽岡通を歩いて行きます。

道はゆるやかな上り坂になっていて、和菓子屋やギャラリーなんかも並んでいますが、人通りは少なく、基本的には静かな住宅地です。
なにか自分と向かい合うような気持ちで、足を動かします。

歩みを進めていると、幅広だった道が、あるところで半分くらいの狭い道になります。より道をして左に入ると、墓地があり、その墓地越しに悠然とした大文字山が見えます。

見晴らしが良く、ここから見る大文字山は、ほかの場所で見るよりも迫ってくるような感じがします。いつかの8月、五山の送り火のときには、ここから燃える大の字を見つめたこともありました。

今朝は東から差す光で、山の最頂部が、ぼんやりと幻のように薄くなっていました。
踵を返して、元の道へ戻ります。

この細い道の雰囲気が好きで、歩く速度をわずかに落とし、ゆっくりと味わうように歩いて行きます。
清らかな空気が漂っている気がして、思わず背筋が伸びるような気がします。
右手に天皇陵(後一條天皇のお墓)があり、そこへ行く石の階段の佇まいをいつも好ましく思っています。

さらに少し進むと、吉田山荘という料理旅館があらわれます。といっても、旅館は門の先の高台にあるので、道からはその門自体しか見えないのですが、この門が凛として美しい。

最後の宮大工棟梁といわれた西岡常一が建てたそうで、一見の価値があると思います。表札の白い文字も惚れ惚れとします。

ちなみに吉田山荘は、旧皇族の方の別邸として建てられた歴史ある建物。敷地に一軒家のカフェも併設されていて、何度かお茶をしたこともあります(現在は予約制になっています)。

先へ行くと、右手に宗忠神社へと至る階段が見えてきますが、ちらりと一瞥しつつ、反対の道を進みます。

京都へ来てから、あちこちで天皇陵を見かけることがあるのですが、先ほど見たほかに、ここでもひとつ見ることができます。
その天皇陵(陽成天皇のお墓)を横目に見つつ、先へ進むと、正面に見えてくるのが天台宗のお寺、真如堂こと真正極楽寺です。

紅葉の最盛期はすぎましたが、まだ赤々とした葉が残っていて、朱色の門と一体となっています。
石畳の道を進み、門をくぐってお寺に入ります。

真如堂をぐるっと一周します。
こちらは、本堂や三重塔など建物やお庭も良いのですが、わたしが妙に好きなのが、境内にぽつんと置かれたベンチです。バス停に置いてあるような、なんでもない、少し傾いたようなベンチなのですが、なぜか惹かれるのです。理由はよく分かりません。

ふり積もり、だんだんと色を失っていく紅葉を踏み、また朝の光を受けとめた苔などを見つつ、境内を歩きます。人はおらず、それもあってか真如堂の空気と親しくなったような気がしました。

このお寺はまた、1908年、日本映画の父である牧野省三が第一作を撮影した由緒ある場所でもあり、「京都・映画誕生の碑」も建っています。映画好きな人にとっては、聖地と言えるかもしれません。

目的地のくろ谷へは、いくつか行く道があります。
今朝の散歩では、おそらくその中でもっとも知られていなさそうな、真如堂の裏の道から行くことにしました。

本堂の裏にまわり南へ進むと、左手に幕末の会津藩殉職者が葬られている墓地があり、その横道の先に西雲院があります。

西雲院の門をくぐり、少し進むと、そこはくろ谷の裏に広がる墓地になっています。

わたしは、このくろ谷の墓地をときどき歩いています。
墓地は、死が忌避されがちな現代では積極的に歩きたい場所ではないのかもしれません。どこか観光へ行ったとして、墓地を歩きたいと思う人は少ないように思いますし、旅行のガイドブックに載っているのを見た記憶もありません。

しかしわたしは、墓地はほかの場所にはない、魅力あるところだと思います。
墓地の持つ意味はひとまず置いておくとしても、単純に、体や目が受けとる情報が多く、豊かなものがあると思っています。

もしかしたら、石という、大地から切り出したものに眼差しを向けられるかどうかということも、墓地を歩く味わいに関係してくるのかもしれません。

風化し、苔や植物が侵食し、同化している石。人工的に形を整えられた石の、これだけ多様な表情が見れるのは、墓地ならではだと思います。
そうして、その石には漢字や梵字が刻まれ、ひとつひとつがある時代を生きた人々を弔い、供養しています。

また、くろ谷墓地には、墓石が積み重なり植物がからみあった、まるで「天空の城ラピュタ」かと思うような場所があります。

いまは冬なので、そこまで植物は繁茂していないのですが、夏には緑が墓石を覆っていて、さらに迫力のある姿を見ることができます。

その墓の城を観察しながらまわりを一周していると、カラスの群れが空を舞っているのを、目が捉えました。

カラスはある一本の大きな木に集まっているようでした。巣でもあるのでしょうか。

わたしは墓地の敷地をゆっくりと歩き、四角だけでなく、球体など、さまざまな形をした石の間を通りました。花がそなえられ、朽ちていました。

古いものと新しいものが同居し、時間が層になっています。
わたしもかつて新しかったが、そのうち古くなる。そのことを思いました。いや、もうすでに古いのかもしれない。そしてまた、古いも新しいも、どちらでも良い気もする。

風が吹いて木の葉が飛ばされ、どこかに落ち、それらが集まってかたまりになり、少しずつ小さくなる。木の葉から、べつの名前を持つものになる。

くだり坂を下りて行きます。

ゆっくり坂を下りていると、しだいに緑が濃くなっていくのが分かりました。

不思議なことに、空気の質が変化しているような気がしました。
光も明るく、強くなりました。いままで聞こえなかった虫の声も聞こえてきました。

吹く風はあたたかく、季節さえ変わったような気がしました。
並木道が続いていて、奥から、わたしを呼んでいるような気がしました。

わたしは歩いて行きます。

こんな場所、いままで来たことがあっただろうか、とわたしは思います。記憶をたどっても思い出せません。
知らないうちに、迷子になってしまったのだろうか。

暑くなってきたので、上着を脱いで歩くことにしました。
ほんとうに日射しが強い。初夏のようです。

先へ進むと、墓石が並んでいる場所がありました。
しかし、墓石に刻まれているのは漢字ではなく、異国の文字でした。英語でもないようです。

わたしは、呼ばれている方へ進んで行きました。
どこへ行けば良いのか、なぜか分かっていました。

そして、たどり着きました。

これがだれのお墓なのか、すぐに分かりました。

パウル・クレーのお墓でした。

プロフィール

qp

キューピー|画家。小さな紙に、水彩で絵を描いている。 近年の個展に「花の絵」(2023年)、「明るさの前」(2024年)、「枕もとの水彩画」(2025年)など。400店の喫茶店を巡って水を撮影したフォトエッセイ『喫茶店の水』(左右社)を出版。

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