TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム

【#3】友だちをリガに連れ出した

執筆:メイ・カーショウ (BC,NR)

2025年12月29日

May Kershaw


text: May Kershaw (BC,NR)
translation: Tomoko Kochi
edit: Eri Machida

親友が、自分の誕生日のお祝いに、みんなでどこかダブリンとかパリに旅行に行かないかと提案しました。ちょうどその頃、バンド仲間のジョージアから、バービカン・センターで彼女にとって過去最高の一本となる演劇を見た話を聞きました。興味を惹かれ調べたところ、この劇がまだ上演されているのは、ラトビアのリガだけ、しかも誕生日を祝いたい週末のみということがわかりました。私は、誕生日の計画を乗っ取り、数週間後、私たちはバルト諸国に向かっていました。

観劇の夜が近づくにつれて、少々びくびくしていました。もし友人たちが楽しめなかったら責任を感じてしまうんじゃないか? 開演前、一人の友人がX(エックス)に書かれたレビューを読み上げました。「今まで見た中で最もうるさく、最も長い劇だった」開演20分前に、こんなレビューを読み上げるのは反則とも言えましたが、4時間後、このレビューは拒めないものになっていました。確かに長く、想像し難いぐらい大音量だったのです。

ウカシュ・トファルコフスキ演出の「Rohtko(ロトコ)」という演目で、画家ロスコ(Rothko)の偽造画が1994年から2011年にかけて数百万ドルで取り引きされた話にまつわるものでした。芸術とお金の関係、オリジナルと複製の価値について模索していました。トファルコフスキはインタビューで、中国美術に関するある本から影響を受けたと語っていました。「中国の美術史では、複製はその価値においてオリジナルに勝ることがある。なぜなら複製の方がより精巧に描かれていたり、根底にある理念に忠実であったりするとみなされるからです。」

演目は、今日のアートやNFT(デジタルデータにつけられた本物であることの証明書)にも言及していました。間違いなく、視覚的にも聴覚的にもかなり刺激的で、時折やや一貫性がないようにも感じられました。

ただ、この演劇を見て、私は「独創的なもの」に重きを置き、それが書く動機となっていること、また、自分でも疑い始めている通り、独自でユニークな曲を書こうとすることはエゴに突き動かされているだけなのでは、と考えさせられたのです。

ツアーの合間、新しい二つのアイディアに取り組んでいます。それらは、オリジナルと、無意識に頭に浮かぶ他人の音楽の習作の中間にあるような作品です。ツアーに出る前に仕上げられるとよいのですが、この数日間で書き上げられない場合は、作りかけの曲が入った「スペアパーツのジャンク箱」行きになるでしょう。いつか曲を書く気になったとき、このジャンク箱からのいろんなパーツを組み合わせて曲が出来上がることがあります。

普通、私は最初に歌詞ができて、そこに曲をつける方が楽だと感じます。ですが、今回の1つの曲は、ピアノのパートとメロディが先に思い浮かび、パズルのように歌詞をメロディーに当てはめていかなければなりませんでした。もう1つの曲は、落ち込んだ気分の時に書いた曲で、今はそういう気分から抜け出してしまったので、完成させるのが難しいです。

これらの曲が仕上げられるのか、または違う曲へと変容するのかは、まだわかりません。私にとって良い曲というのは、短期間で書き上げた曲です。なので、完全には納得できないけれど書き上げるべきなのか、完全に納得できるものだけ取り組むべきなのか、心が揺れます。話は少しそれてしまいましたが、元に戻すと、「楽曲が傑作となるには独自のものでなければならない」という考えを手放すことは、私にとって解放的なことだと思います。(明日になったらまたこの考えに異論を唱えるかもしれませんが・・・今日はそう思います)そして、見たい芸術に友人を引っ張っていくことも悪く思わないように。いつだって、観劇の後には、ビデオで「ブリジッド・ジョーンズの日記」を見ることができるんだから。

プロフィール

メイ・カーショウ

英国のケンブリッジを拠点とするミュージシャン。ブラック・カントリー・ニュー・ロードのメンバーで、キーボード、アコーディオン、そしてボーカルも務めている。

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Black Country, New Road
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