カルチャー

『ポパイ』創刊と同年に熊本でセレクトショップを始めた有田正博が語る。with 坂口恭平

「PERMANENT MODERN 有田正博の眼」が不知火美術館・図書館で開催中。

2025年12月28日

photo: Yasukimi Tomiyama
text: POPEYE

「今度、熊本の美術館でヤバい人の展覧会が始まるから、絶対に取材した方がいい」

熊本在住で『ポパイ』でもお馴染みの坂口恭平さんから、そんな連絡が届いたのは、今を遡ること数ヶ月前。その展覧会とは、現在、熊本県宇城市にある不知火美術館・図書館で開催中の「PERMANENT MODERN 有田正博の眼」だ。

有田正博って誰? 不勉強ながら、最初はそう思った。

しかし調べてみると、我らが『ポパイ』創刊と同じ1976年(つまりは『ビームス』創業とも同じ)、日本のセレクトショップの先駆けとも称される『アウトドアスポーツ』を熊本にオープンし、その後も『ロープ』『ブレイズ』『フェローズ』などを立ち上げる傍ら、無名時代のポール・スミスやマーガレット・ハウエルを見出した人だという。そして、最後の店『パーマネントモダン』を閉店したのは2024年冬のこと。この展示は、そんな有田さんのキャリアを跡付けると同時に、自身やショップと縁のあるアイテムが展示されるようだ。

要するに、有田さんは日本のファッション界を熊本から活気づけてきた重鎮というわけだ。そんな話を知り、居ても立ってもいられなくなった僕らは不知火美術館へ向かい、坂口さん立ち会いのもと、有田さんに商売哲学を語ってもらった。

有田 「僕はファッションの学校に行ったこともないし、何かを専門的に学んだことはないんです。”適当”を50年やったらこうなりました(笑)」

坂口 「俺も適当に何でもやるから、そういう意味では熊本の先人というか先輩。お店のことは中高生の頃から知っていたんだけど、有田さんと面識ができたのは俺が熊本に帰ってきてから。それで興味が出て、以前『ポパイ』で連載していた『ズームイン、服!』でも取材させてもらいました」

1952年生まれの有田さんは、ティーンの頃からアメリカ文化に興味を抱き、輸入書店で手に入れた『シアーズ・ローバック』や『J.C.ペニー』のカタログを読んでは、とめどない好奇心を満たしてきた。その後、東京や熊本の洋服屋で働いた後、1976年に初めて渡米。サンフランシスコ、ロサンゼルスを10日間に渡って巡ったというその旅には、後に草創期の『ポパイ』を支えることになるスタイリストの島津由行さんもいたという。
ゆえに、1976年に創業した有田さんの初めてのお店である『アウトドアスポーツ』は、当時の『ポパイ』とセンスを同じくするアメリカンなアイテムが並んでいたようだ。

有田 「だから、『ポパイ』が創刊されたときは嬉しくなりましたね。『同じようなことを考えている人がここにもいた!』って。実際、『アウトドアスポーツ』の頃は、『ポパイ』を脇に抱えてお店に来る若い人がたくさんいましたよ」

有田さんのキャリアを振り返る展示の中には、『ポパイ』創刊号やその前身『Made in U.S.A. catalog』、そして有田さんが貪るように読んだという『The Last Whole Earth Catalog』も!

しかし、「僕は時代に留まることが好きじゃない」と有田さんが語るように、ずっと同じようなアイテムだけを扱ってきたわけではない。世界中を巡って常にまだ誰も知らないアイテムを探し出しては、店に置いてきた。

有田 「僕はクラシックも好きだけど、アヴァンギャルドも好きなんですよ。洋服に関して言えば、50年前のようなアイテムだったらクラシックになるわけですが、100年以上前のアイテムだとアヴァンギャルドになったりすることもある。僕はいろんなお店をやってきて、見る人によってはその度に『えらい変わりましたね』って言われることもあるけど、本質は変わってません。一貫してテーマは”ベーシック&ポップ”。今回の展示では、その本質がわかるようになっているんじゃないかな」

展覧会を見ていくと、年を経るごとに、アヴァンギャルドの方に軸足を置いたトンガったアイテムの比重が多くなっていったように感じられる。ゆえに、時代を置き去りにしてしまうこともあったようだ。

有田 「例えば、『ブレイズ』なんて信じられないくらい売れたけど、『パーマネントモダン』の最初の頃はもう全然売れなかったんですよ。でも、売り上げは下がってるけど、気分的にはものすごい成長して、いいなと思いながらやってました。売り上げが下がろうが、僕と3人のスタッフが暮らしていければ問題ないでしょ。それにどんなもんでも1点だったら買ってくれる人がいるわけですね。『これ売れるんかな』って思うやつでも絶対売れるんですよ、1点は」

坂口 「〈ポール・スミス〉だって〈マーガレット・ハウエル〉だって今じゃ日本でも大人気のブランドだけど、その最初期に目をつけながら、売れると有田さんの気分が盛り下がって、違うことやりたくなっちゃうのがすごい」

有田 「時代や人の考え方がガラガラと変わっていくっていうのを知っているからね。だから、僕のお店ではセールをしませんでした。すぐに売れなくても、10年置いておいたら、みんなが追いついてくれて売れるんですよ。実際、『パーマネントモダン』を閉店するときも、セールしないで全部売り切りました」

とはいえ、時代が追いつくのをただ待っているだけじゃもちろんない。お客さんに魅力を伝えるため、他ではなかなかお目にかかれない努力もしていたという。

有田 「それぞれのデザイナーのプロフィールから、どんな考えでものづくりをしているかまでをまとめたコピー用紙を、お客さんに配っていました。だから、デザイナーもうちと取引できて幸せだろうなって僕は思いますよ(笑)。だって、僕が『これは100点のアイテムだ』と信じたものを、お店では150点のイメージにして売っていたんだから。実際、商談の際には『あなたの商品の価値をさらに上げて売ることができる店はうちしかないよ』って伝えていました。だからこそ、他では売れないものもうちでは売れた。たくさんは売れないんだけど、それでも、『パーマネントモダン』で扱っていた〈スウォッシュ ロンドン〉なんかは、うちが世界で一番売ったらしいですから、それは自慢ですよ」

有田さんがお店で販売してきたアイテムがスタイリングと一緒に展示されている部屋には、「世界一売った」という〈スウォッシュ ロンドン〉のボストンバッグの姿も。

坂口 「最近ね、縄文時代って俺らは未開人だと思っているけど、実は都市を作って営んでいたらしいって話があんのよ。あんまり大きくなり過ぎると、国家になって国王とかを立てなきゃいけなくて、それだと国が破滅するから、わざわざちょうどいい規模を維持して、都市として営まれてきた可能性がある、みたいな。ネイティブアメリカンとかも、土地を所有して販売し始めると、国家になりすぎてごちゃごちゃするから、それをしない選択をわざわざ選んでいる。未開人だから土地を所有しなかったわけじゃなくて、『これくらいで回していこう』みたいなある程度の経済観念があったってことだよね。有田さんの店には、それに近いものを感じる。だって、売って数着なわけでしょ? 20億稼いでますとか、そういう話じゃないんだから」

有田 「『20億売ってます』とか『1ヶ月100万で暮らしてます』とかっていう人が、僕は1ミリも羨ましくない」

坂口 「それって、すごいことなんじゃないかと俺は思ってるし、そっちの方が今の経済に合っているってみんなも気づき始めているんじゃないかな。お店をもっと大きくするタイミングだってあったはずなのに、あえてそうしないって選択をしているわけだから。別の角度で見ると、街の服屋なんだよね、有田さんって。だけど、感覚が他とは全然違うというか、そこからは完全に逸脱している。そういう人って他にいないんじゃないかな」

有田 「『ブレイズ』をやっているときは、バイトの子たちによく言っていたんですよ。『日本一なんか狙ってないよ。世界一を狙うよ』って(笑)。何が世界一かなんてわからんけど、あの頃は僕も生意気だったから」

最初のお店『アウトドアスポーツ』や『ブレイズ』のショッパーも展示。このショッパーを含め、今回のためにお客さんから借りたものも多いそう。何十年も前の紙袋を保存されていたことからも、有田さんのお店がいかに愛されていたかが伝わってくる。

坂口 「その”世界一になる”ってことが、みんなは”ビッグになる”ってことでしか想像できないと思うんだよね。だけど、有田さんの場合、身の丈も、回っている金の額も、たぶんそんなに変わってない。なのに、刷新だけはし続けているっていう」

有田 「スタッフにもいつも言っているんですよ。ただ『10億売りました』じゃなくて、『何をいくら売ったのか』が大事だって。そうやって続けてこれたのは自分の誇り。誇りがないと、やっぱり継続できないんですよ」

坂口 「そのやり方だと商売が摩耗しないんだよね。正直、有田さんって全国的なスポットライトは浴びてないと思うんよ。だけど、俺にとっては独自の経済圏を生み出している、ありがたい先人。別にファッションとか関係なく、たぶん何かを売るって世界で、あんまり誰もやれてないことをやっている。名前は売れてないにもかかわらず、ものは売れているわけだし。そういう意味でも、全国区の『ポパイ』読者にも、今回の展覧会に足を運んで欲しいなって思ったんですよ」

有田 「72歳になってこういう話をもらったとき、『これが自分の人生の最後のプレゼントだな』と思って、1年間みんなで準備してきました。だから、たくさんの人に見てもらえるとありがたいです」

「ただただ楽しかった」と有田さんはショップ運営を振り返るが、最後のお店『パーマネントモダン』が2024年冬に閉店したのは前述の通り。なぜだろう。

有田 「コロナ禍になる2年前くらいかな、店を畳もうと思ったのは。それは、いいデザイナーがいなくなっちゃったから。もちろん新しいデザイナーも出てくるけど、僕がいいと思える人はめちゃくちゃ少ない。好きだったデザイナーはどんどん辞めちゃったし。なぜか僕のところで扱っていたデザイナーは、建築家とか偉い人と結婚して辞めちゃうことが多いんですよ(笑)。まぁ、幅広くみんなに売れるデザインではないから、仕方ないのかもしれませんが、僕らの店にとってそれは死活問題」

しかし、そんな”最後の店の閉店”からまだ1年ほどしか経ってないにもかかわらず、有田さんは既に次のお店を始めてしまったというから、驚くしかない。

有田 「熊本市のはずれの方に新しいスペースを作ったんです。そこで2025年12月から月に3日しか開けない洋服屋を始めてしまいました(笑)。まぁ、いつまで続けるかはわかりませんが、今はその次にこの場所をどう活用していくかを考えるのが楽しいんです」

有田さんの現在の自宅リビングを再現した展示。有田さんが日本でいち早く目をつけた「メンフィス」のメンバー、ナタリー・ドゥ・パスキエのラグの上には、剣持勇のラタンチェアやエーロ・アールニオのトマトチェアなど、お店のセレクトとも通じるポップな名作家具が並ぶ。

プロフィール

有田正博

ありた・まさひろ|1952年熊本県生まれ。中学時代、沖縄出身の同級生が履いていた米軍配給の「リーバイス」のジーンズに興奮し、ファッションに目覚める。高校卒業後上京し、VAN を扱っていたメンズショップで働き二年で帰郷。1976年、初めてサンフランシスコを訪れ、翌年1976 年「アウトドアスポーツ」を開店。その後「ロープ」「ブレイズ」「フェローズ」などセレクトショップを立ち上げ、熊本で海外の最先端のファッションを紹介。
1980年代半ばには「ポール・スミス熊本」や「マーガレット・ハウエル」を開店。38 歳で一度リタイアし10 年間釣り三昧の毎日を送るが、1999 年に復帰し「パーマネント」(パーマネントモダンの前身)をオープン。2024年冬、集大成であり最後の店「パーマネントモダン」閉店。現在は趣味の釣りとジャズ・ブルースドラムに没頭する日々。

インフォメーション

『ポパイ』創刊と同年に熊本でセレクトショップを始めた有田正博が語る。with 坂口恭平

PERMANENT MODERN 有田正博の眼

場所:宇城市不知火美術館・図書館(熊本県宇城市不知火町高良2352)
会期:2025年12月6日(土)~2026年1月28日(水)
開館時間:9:00~18:00 *土曜日は21:00まで 会期中無休
観覧料:一般300円 高大生200円 中学生以下無料
※20名以上の団体割引あり、ほか各種減免制度あり
※チケットご提示で会期中、何度でも入場可能

Official Website
https://www.museum-library-uki.jp/museum/project/2025/10/1117/