カルチャー
祝・単行本化! 『生きのびるための事務』とは何なのか。
坂口恭平さんにインタビュー。
2024年5月16日
photo: Hiroshi Nakamura
text: Neo Iida
坂口恭平さんの人気マンガ連載『生きのびるための事務』が単行本になった。もともと坂口さんがnoteに投稿していた記事を道草晴子さんがマンガ化し、全11講にわたりPOPEYE Webで連載されてきた人気作だ。物語は、夢を叶えたいけれど、お金もないしやり方もわからない、そんな21歳の坂口さんのもとに、優秀な事務員・ジムという不思議な存在が現れるところから始まる。彼のアドバイスに沿って動き出すと、次第に坂口さんの人生が動き出す。『生きのびるための事務』は世界初のスーパー事務アドベンチャーマンガなのだ。世間一般の“事務”とは一線を画す、坂口さんが考えるあたらしい“事務”とは何なのか。刊行にともない、坂口さんにお話を聞いた。
――2021年6月から「生きのびるための事務」というタイトルでnoteに記事を投稿されていましたよね。きっかけは何だったんですか?
なんだろうね。まあ事務については書こうとしてたんだと思うんですよね。なんでそのタイミングで書こうと思ったかはわからないけど、2020年くらいから、自分のやってきた事務が固まりだした感触があったのかな。合同会社から株式会社になったタイミングというのもあったかも。
――その後POPEYE Webでマンガ連載になって。毎回おもしろく読んでいたのですが、世間一般が抱く事務のイメージと全然違う印象がありました。
違う?
――はい、全然。事務というと、確定申告とか請求書を発行するとか、そういう手続き的なものを想像してしまうんですけど、ここで描かれてるのは全く別の“事務”でした。
でもマンガの中の話はほぼ全部事実です。一冊目の本を作ったときの話が元になっていて。バイリンガルにしたかったけど出版社では5万円くらいしか用意できないっていうから、弟が通ってた青山学院大学に行って、学生にお願いしたっていう。青学に行けば、絶対に翻訳家になりたい人がいるなと思って、探したらすぐ見つかったの。
――お札をネックレスみたいにぶら下げて。
さすがにぶらさげてはないけど(笑)。でも、マンガにある通り現金先払いのほうが絶対に仕事が早く進むんです。俺のほうを優先してくれるから。
――マンガの中では“ジム”というキャラクターが登場して坂口さんにいろんなことを教えてくれるじゃないですか。実際に手引きしてくれる人がいたんですか?
いや、いないのよ。なんでやれたのか不思議なんだけど、俺は誰にも教わってないわけ。入れ知恵をされたことがないの。でも頭のなかにジムみたいなやつがいて、そいつが教えてくれるんよ。多分イマジナリーフレンドだと思うんだけど、俺は“商人くん”とも呼んでる。
――へえ。自分の中から生まれた発想ってすごいですね。
辿ればね、室町時代、うちの先祖は海で貿易をしてた倭寇だったらしいの。明治時代くらいだと船を使って雲仙や諸外国と貿易をする大商人だったらしい。これは全部自分で調べた話で、うちの親は普通のサラリーマンだからそんな話一切知らないし、俺は商売的なことはひとつも教わってない。でも、いつも鬱のとき、俺は海の上にいるような幻覚にやられてんの。幻覚と思えないくらいリアルだから小説にだって書けるんだけど、何かあるなとは思っていて。だから遺伝子みたいなものがジムの正体なのかもしれない。自分のなかではその感覚がものすごくリアルなんですよ。
――面白いですね。商売人の才覚があるという。
昔からなんでも作れたんだけど、なんでも作れたからそうなったわけじゃなくて、作ればお金かからないよねってだけなんです。自分の生活水準はできるだけ落としたいなと思ってるから。お金がなかったら歌えばいいから、基本的に渋谷で歌ってた。でも別に歌で生きていこうって時期はないわけ。芸術をやろうっていう意識はあったけど、人に作品を売って世界で有名になりたいみたいな気持ちはゼロなの。歌っぽいことをやれば1万円稼げるってだけで、俺は基本、商売人なのよ。作ることで自分が生きていけば問題ないし、他者からの承認がいらないから楽なんです。生き延びてさえいれば自己承認は完璧。生き延びてるんだから。
――どうしたらいいか、常に自分で考えて答えを見つけてきたと。
俺は自分では1回もコンペに出したことがないんです。越後妻有トリエンナーレに出したことはあるけど、あれは友人に頼まれたからで、やるからには通らないといけないなと思って、審査員に気に入られるような完璧なプレゼンテーションをしたわけ。つまり受験のプロみたいなことをしたんです。
――それも自己流なんですね。
そう。俺ね、ちっちゃい頃から横断歩道を渡ってなかったらしいの。右見て左見て車がいなければ渡ればいいっていうのを、4歳からやってたんだって。誰にも習わずに。
――すごいですけど、横断歩道を渡ったほうがいいような気も……。
いやそれがね、子供の死亡事故で多いのは、横断歩道が青になったから渡ったのに、トラックが突っ込んできて跳ねられたっていうケースなんだって。トラックがぐるっと曲がったときに渡ってる子供は死角に入って、運転手は見えてないと思いよる。
――そうか。青だから渡っていい、と思ってしまうと、万が一に備えられない。車はいつ来るかわからないと備えておくほうが理にかなっていますね。
そうそう。だから自分の子どもにも、自分で見るしかないんだからって教え込んでね。「右、左、まだ気になるならもう1回右。どっかで腹決めるんよ!」って。4歳の子が涙目になって歯をくいしばってたけど、頑張って渡ったらむっちゃ満足な顔してるわけ。嫁には「やめてください」って言われたけど(笑)。でも、そういうのが俺にとっての事務なのよ。
――何が正しいかを、教科書を見るんじゃなく自分なりに導いてるわけですね。つまり考え方の整理ができてる。それをマンガのなかではジムというキャラクターが担っているという。
つまり自分と向き合ってるってことだと思うんだけどね。俺、自分と向き合うことが好きなのよ。日本一自分と向き合ってると思う。でも、誰にも相談はしないけど、経験者の話は聞きます。映画化が決まったときはリトルモアの代表の孫さんに契約書の雛形をもらって、自分で書き直した。経験者に話を聞けば、5段階くらいの悩みが取っ払える。それを覚えたのは小1の竹とんぼなのよね。
――竹とんぼ?
学校の父兄参観で「竹とんぼ作りましょう」ってなったんだけど、うちの親父は別の人が作るのをチラチラ見ながらやってたの。自信がないんだなと思って、でもお父さんは「お父さん」って雛形のなかで生きてるから、壊したらかわいそうじゃん。結構気配り野郎だったの(笑)。それでうまいこと言って小刀を使うのが得意なお父さんのところに行って教えてもらってた。それって信用してないってことなんだと思う、社会を。
――小学生の段階でその感覚を持ってるの、興味深いです。
普通の子は「なんでお父さんできないの!」なんてことをいうわけじゃん。親に甘えられるからこそ怒れるんだと思うけど、自分はそれがなかったんだよね。それでいうと俺、反抗期もゼロなの。もちろん親サイドは俺に対して色々言ってきたと思うけど、右から入って100%左に抜けて、「なるほど」って言って終わり(笑)。だから親は「あなたは『なるほど』って言うだけで一度も実践したことないね」って言うけど「そうですか、でも反抗はしたことないですよ」って。抵抗しないで「ありがとうございます」とか言ってるからインテリヤクザだと思われてる。
――(笑)。
でもね、俺にしてみたら誰かのアドバイスって全部が冗談っていうか。だって俺の人生のほうがリアルだから。そうやって丸くならずに育ってきたから、野生の思考が残ってるんだと思う。みんな人の言うことを聞き過ぎて、鈍りすぎなんよ。一切聞くなって。経験者の意見だけは耳には入れつつ、でも体感しないと意味がないよねっていう姿勢は、僕が小さい頃から自分で身につけてきたことだと思う。
――いや、面白いです。今言ったようなことが、『生きのびるための事務』のなかではジムというキャラクターを通じて教えられるから、哲学書みたいな読後感がありました。なかにはタイトルだけ見て、事務仕事のハウツー本だと思う人もいるかもしれないですけど。
請求書とか領収書を作ってハンコ押すのはただの作業で、それはバイトのおばちゃん。自分の考えを全く違う角度からもう1回整える人、それがジムなんよ。みんなバイトのおばちゃんの作業をしすぎ。ありえないことを実現するときに必要なのが事務で、それ以外は全部バイトのおばちゃんだと思ってる。そんなふうに言うとバイトのおばちゃんに悪いけど(笑)。バイトのおばちゃんも素晴らしい仕事だと思うよ。
――(笑)。確かに、請求書や領収書を出すのは作業ですね。
家を買うときに金額を見て「3,000万円で、頭金はいくらで」と支払い手続きを始めるのはバイトのおばちゃん。「すべての部材の見積もり出してください」って言うのがジム。見積もりをもらったら、そこから値段の交渉ができるかもしれないでしょ。とにかくジムっていうキャラクターは、俺のなかにある遺伝子情報の経験者のカンみたいなもの。
――何かやろうと思っても、無駄なことをしたり回り道をしたり、お金のことで悩んだりしてしまう。ジムは物ごとの道筋を整理して、「これをやればいいですよ」とシンプルに示唆してくれる。こういう行為の総称ってなかった気がするし、“事務”と名付けたのが面白いなと思いました。
でも事務だよね。事務以外にないもん。銀行に行って書類書くのは事務じゃないんだよ。事務は、やりたいことを実現するためにある。そういうことを伝えたかった。
インフォメーション
生きのびるための事務
芸術家でも誰でも、事務作業を疎かにしては何も成し遂げられない。夢を現実にする唯一の具体的方法、それが”事務”。作家、建築家、画家、音楽家、「いのっちの電話」相談員として活動する坂口恭平が、大学生の頃に出会った優秀な事務員・ジムとの対話から学んだ様々な物事を実践したnoteのテキストを漫画家・道草晴子がコミカライズ。5月16日発売。1,760円(小社刊)
プロフィール
坂口恭平
さかぐち・きょうへい|1978年熊本県生まれ。2001年早稲田大学理工学部建築学科卒業。作家、建築家、画家、音楽家、「いのっちの電話」相談員など、その活動は多岐にわたる。2004年に写真集『0円ハウス』を刊行。著書に『独立国家のつくりかた』『徘徊タクシー』『躁鬱大学』、画集に『Pastel』『Water』があり、近刊に『継続するコツ』『中学生のためのテスト段取り講座』がある。
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