カルチャー

クソみたいな世界を生き抜くためのパンク的読書。Vol.32

紹介書籍『小説を書くということ』

2025年12月15日

中途半端な気持ちじゃなくて 本当に心から好きなもの

1970年代後半の英国。新自由主義を推進したサッチャー政権のもと、働いて、働いて、働かされまくった英国の労働者たちの怒りや鬱憤が原動力となってパンクは生まれた。労働から音楽が生まれ、音楽は労働者の生活を励ました。金がなくても未来がなくても、パンクスにはいまこの瞬間を生きる豊かさがあった。

時は移り、サッチャーを尊敬する女性政治家が首相の座についた2025年の日本。パンクスに憧れる労働者の私は働いて働いて働いた結果、疲労が蓄積し、気づけばぼーっとSNSや動画サイトを見て1日が終わっていく。私の限りある時間はインプレッション数「1」になり、どこかの誰かの広告収入に溶けていく。「これが好きなら、これも好きだろ?」というリコメンドに脳がハックされ、私の嗜好は勝手にマネタイズされていく。私の手元にも、心にも何も残さずに。

為政者や資本家だけでなく、システムや見知らぬSNSアカウントすら私たちを搾取してくるクソみたいな現代社会において、いまこの瞬間を生きる豊かさを取り戻すにはどうしたらいいのだろう。

そんな悩みを抱えながらぼーっとスマホを眺めている私のような虚無労働者および虚無パンクスには『小説を書くということ』の精読をおすすめしたい。

本書は大正生まれの小説家・辻邦生による講演が書籍化されたものだ。
講演は1990年代前半に行われているから当時はまだスマホはなくインターネットも普及していないのだが、著者は「現在は、産業化が精神領域に拡げられた時代」だとし、「ふつうに生活していれば、主体の欲求の端々まで資本の支配する網目に搦め取られるほかない」と言っている。30年経ったいまの社会はその状況が先鋭化しているわけで、著者の言葉はまったく古びないどころか今の時代にズシズシ響く。

タイトルの通り本書のテーマは「小説を書くこと」で、創作学校で小説家を目指す学生たちに行われた講演が収録されている。それなのに、私のような小説家を目指している訳でもない虚無労働者にも面白く読み進めることができるのは、本書で書かれていることの多くが小説を書くための技術論ではなく精神論だからで、例えばこんな感じだ。

「作品を書くために何か特別なことをする必要はまったくない。むしろ一日一日の歩みのなか、刻々の時間の移りのなかで、自分が本当に生きていることをつかんでいるかということのほうが大事だと思います。」(P.47-48)

自分が本当に生きていることをつかむ。スマホばかり眺めている自分には胸が痛いが、そのためのキーワードとして本書に度々でてくるのが「好きなこと」だ。

「自分のなかにおける「好きなこと」というのは、人生におけるひとつの意味をぼくたちがつかんでいるということです。(中略)何か好きだということは、生きる意味をそれが与えてくれているということです。」(P.41-42)

小説家にとって「好きなこと」は、即ち生命のシンボル、生きる意味だという。コンラッドなら「海」、サン・テグジュペリなら「空」、D・H・ロレンスなら「セックス」といった感じだ。「好きなこと」が生きる力の根源になり、それがないとものを書く場合に力にならない。だから、自分が本当に生きていることをつかめ、と著者は言うのだ。

これは物書きを目指す学生に限らず、いまを生きる人類共通で大事なことだと思った。
アルゴリズムによって提案された「好きなこと」ではなく、ちゃんと自分の「好きなこと」を自分の意思や本能で見つける。それを原動力に、やりたいことをやる、やらざるをえないことをやる、やらなければ生きる意味がないようなことをやる。

それがなければ自分ではなくなってしまうような「生命のシンボル」、それさえあれば世界に自分を繋ぎ止めておくことができるような「好きなこと」をつかんで大事にする。

読後、自分にとっての「好きなこと」は何かと考えた。SNSを眺めることやショート動画を漁ることではなかったはずだ。
そういえば、日本のパンクレジェンドもこう歌っている。
「まじめに考えた 僕パンク・ロックが好きだ 中途半端な気持ちじゃなくて 本当に心から好きなんだ」
そんな生命のシンボル、生きる意味をちゃんとつかみなおしたいと思った。

紹介書籍

小説を書くということ

著:辻 邦生
出版社:中央公論新社
発行年月:2025年3月

プロフィール

クソみたいな世界を生き抜くためのパンク的読書。Vol.32

小野寺伝助

おのでら・でんすけ|1985年、北海道生まれ。会社員の傍ら、パンク・ハードコアバンドで音楽活動をしつつ、出版レーベル<地下BOOKS>を主宰。本連載は、自身の著書『クソみたいな世界を生き抜くためのパンク的読書』をPOPEYE Web仕様で選書したもの。