TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム

【#1】インドに住んでみた

執筆:石濱匡雄

2025年12月13日

今は亡き師匠Monoj Shankarと共演の舞台。厳しくて愛のある師匠だった。

「インドに住んでいた」と言うと、時々こんな質問が飛んでくる。「家に風呂あるんですか? 川でみんな身体洗うんですよね?」とか、「三食カレーなんすよね?」という決まった質問だ。その度に「家にシャワーくらいあるわ!」とか、「三食カレー? あたりまえやろ!」と答えなければならないのが面倒に感じることもあるけれど、そんなインドに滞在するきっかけになったのは中学3年生の時。大阪で当時住んでいた家の近くでインドの弦楽器シタールを習い始めたことだ。この時自分が将来インドに行くなんて想像もしなかった。けれど高校3年生で初めて一人でインドに行き、その後何回かの渡印を重ね、インド東部の街コルカタに引っ越した。もちろんカレーの修行に行ったのではなく、コルカタで師匠に弟子入りして音楽を学んだ。

 ただ、住んだのは良いが25年前のコルカタなんてエアコンの効いた建物すら少なかった時代。言葉も通じないし、特にカレーが好きだったわけでもないし、最初は環境の変化に何だか疲弊した。こういう話をすると「凄い行動力ですね!」とか言われるけど、違う。若気の至りで後先考えず引っ越してしまったことを後悔した。でも当時の年齢もあってか、半年くらい経つ頃にはベンガル語も何となく話せるようになり、その後も友人も増えていくにつれ語学もどんどん上達。食事に行く度にベンガル料理や北インド料理の知識も増えていき、気づけばコルカタでの生活が楽しくなっていた。

ベンガル料理の日常的なおかず。炒め物と豆のスープに鶏や魚などメインのカレーがつく。

コルカタの街の風景。インドで唯一人力車が残っている街でもある。

 住み始めて最初に学んだことは、無いものはオーダーで作れるということ。既製品の多い日本に比べて、インドでは規格というものがイマイチ存在しない。そのため家具でも服でもオーダーするのが一般的なのだ。当時住んでいた部屋は収納とベッドだけの殺風景な感じで好きじゃなかったけど、ある日TVで放送されていた番組を見て、ショックを受けた。それは拾い集めた枝やガラス玉で自分の巣を飾る習性を持つ鳥のドキュメンタリー番組で、「鳥でも巣を飾れるのに自分はコルカタの部屋すら飾れないのか?」と。翌日から気に入った布地を見つけては家具にしたり服にしたり……と、日本でも手に入らないオリジナルの品物が次々と出来上がっていった。

 日本に住む今でも、公演などで年に1〜2ヶ月はインドにいる生活。大阪の街を歩いていても、ふと気に入った布を見つける度に「これコルカタに持って行って衣装縫ってもらおうか?」「クッションカバーにしてもらおうか?」と、コルカタでミシンを回しているおっちゃん達の顔が浮かぶようになった。

 次回は、そんなコルカタの買い物事情についてのお話です。

プロフィール

石濱匡雄

いしはま・ただお|15歳でインドの弦楽器シタールを始め、1997年に渡印。モノジ・シャンカール氏に師事する。近年は香港やアメリカなど、国内外で精力的に演奏活動を展開。NY・コルカタ・大阪の三都市で録音されたアルバム『Tattva』をリリースしたほか、初のエッセイ集『インド音楽とカレーで過ごす日々』(LCCインセクツ)も出版された。

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