TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム
【#3】西麻布のタチカワ派
執筆:麻布競馬場
2025年12月25日
広告業界にいる人間は2つの種類に分けることができる。立川談志を正しく「たてかわ」と読める人間と、「たちかわ」などと間違って読んでしまう人間だ。その点で言えば、僕の上司である三村先輩は後者の日本代表みたいな人で、だからこそ彼は、僕が今日の僕になるためのきっかけをくれた大切な人だ。
あの事件を経験してからというもの、僕は雑誌をはじめとするカルチャー全般に縁がないというか、その対極にあたるような大学生活を送っていた。つまり、典型的な「意識高い系」というやつだ。1年生のうちからベンチャー企業でのインターンをスタートしたり、ビジネスコンテストで賞を獲ったりと、まるで「大学なんて就活予備校にすぎない」とでも言わんばかりの、たまらなく刺激的で有意義な大学生活。
そうしているうち、何だか息がしやすくなった。大学を就活予備校に、人生を「サラリーマンとしての偏差値をどこまで高めるか」というゲームに単純化することで、何者かになりたいとかいう無意味な焦燥感から逃れることができた。それはきっと、人間の価値を学歴や偏差値に単純化するという、実家のごとく慣れ親しんできた地方エリート公立高校的な教育文化の延長戦でもあったのだろう。僕は永遠に、田舎臭い成り上がり神話の中に逃げ込むことに成功したのだ。
とにかく、大学3年生になった僕はネット掲示板で就活難易度ランキングみたいなものを見つけて、そこに載っていた企業に片っ端から、もちろん上から順にエントリーしていった。その結果、赤坂にある大手広告代理店から内定を貰うことができた。
年収や知名度が高ければ何でもいい、という気持ちで飛び込んだ広告業界には、よりによって「あいつ」のなり損ないみたいな連中がたくさんいた。冒頭に紹介した2つの種類のうち、「たてかわ」派の人間がそうだ。彼らは代々木上原のデザイナーズマンションに住み、フルーティーという触れ込みのやけに酸っぱいコーヒーを小洒落た紙コップから啜り、知り合いが経営しているミュージックバーで「友達だけを集めたちょっとしたパーティー」を夜な夜な開催していた。個性的に思える雑誌も結局は何万冊にも及ぶ無個性な複製品にすぎないように、彼らはあいつの安っぽいワナビーにしか見えなかった。
そんな「たてかわ」派の連中から徹底的に嫌われ、馬鹿にされ、陰口を叩かれ続けていたひとりの先輩がいた。それが三村先輩で、彼こそが「たちかわ」派の筆頭だった。
「三村がまだ新入社員の頃、勉強になるだろうと思って寄席に連れて行ってやったんだよ。そうしたらあいつ、最初から最後まで寝てたくせに、そのあとの飲み会ではウィキペディアに書いてるような浅い落語豆知識をしたり顔でツラツラ読み上げやがって! でもあいつ、立川談志のことを『たちかわ』って勘違いしてたらしくて、ずーっとたちかわ、たちかわ、って言うもんだから、笑いそうになっちゃって」
たてかわ派の筆頭にして広告クリエイティブの重鎮である某役員が、とある飲み会でこぼしたエピソードはあっという間に社内を駆け巡り、三村先輩を嫌う人たちは彼のことを「たちかわ」と呼んで馬鹿にするようになったらしい。都内某私立大学の悪名高いイベントサークル出身で、文化的素養がまったくなく、そのくせ文化的素養があるフリをしつつ、本人曰く「ただとにかく声の大きさと押しの強さだけでのし上がった」という三村先輩は、会社というか業界全体でも賛否が大きく分かれる人物だった。そして、一緒に仕事をする機会が多く、かつ地元がほぼ同じという三村先輩は僕を随分と可愛がってくれ、彼が学生の頃から慣れ親しんできたという夜の西麻布を連れ回してくれた。
もしかすると、文化的素養があることが美徳とされることの多い業界で「いや、うちの地元にはそういうのなかったんで」と自虐して笑いを取っていた僕に、三村先輩は何か近いものを感じてくれていたのかもしれない。もちろん、彼は港区女子たちの前で立川談志を含む文化の薫りのする話題を一切持ち出さなかったし、僕にはそれが心地よかった。僕もまた、社内の一部から「たちかわ派だ、いや三村派だ」「広告人の文化水準低下の象徴だ」などと陰口を叩かれるようになっていた。僕にはそれがむしろ誇らしかった。
あれは、2021年の夏のことだ。僕が三村先輩と組んだ案件がちょっとした賞を受賞し、三村先輩が派手な祝賀会を開いた夜だ。SNSをフル活用した僕たちの企画が、古の業界人たちが好きそうな、いかにもスノッブな企画との競争を無事制したことに、僕は魂が肯定されたような興奮を覚えていた。
「いいか、広告で大事なことは生活者の目線なんだ。ほとんどの生活者は代々木上原に住まないし、酸っぱいコーヒーを飲まないし、友達だけを集めたちょっとしたパーティーを開かない。だから、俺とお前みたいな連中は、少なくとも広告業界にいる以上は変な劣等感を抱く必要はないんだよ」
これまで見たことないくらい泥酔した三村先輩が、右腕に港区女子、左腕に僕を抱えながらそんなことを絶叫していた。それを聞いたとき、僕は三村先輩がどんな思いで落語豆知識を一生懸命に暗記して披露したのか、そしてその後の「たちかわ」イジりをどんな思いで受け流してきたのかを、痛いくらいにはっきりと理解できた気がした。
その時ふと、僕の首にかかった三村先輩の左手首の、ご自慢のロレックスの上に重なる形で、アクセサリーが光っていることに気付いた。明らかに真新しい、鮮烈な銀色の光―― 僕はその形に、一生忘れられないほどの見覚えがあった。
「それ、どうしたんですか?」
「ああ、ボーナスを見込んで、さっき買ったんだよ。おれたちの勝利の証としてな。高いんだぞ?」
小説でも書こうか、とそのとき僕は思い立った。三村先輩のような、港区の寂しい人たちの小説。雑誌が載せてくれない人たちのことを、僕が雑誌以外の場所に書き遺そうと思い立ったのだ。
プロフィール
麻布競馬場
あざぶけいばじょう|1991年生まれ。慶応義塾大学卒。2021年からTwitterに投稿していた小説が「タワマン文学」として話題になる。2022年、ショートストーリー集『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』でデビュー。2024年、『令和元年の人生ゲーム』が第171回直木賞の候補作に選出。
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