TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム

【#4】水

執筆:鈴木ジェロニモ

2025年7月5日

 大阪から新幹線で東京に帰る。東京に、帰る、と書くと東京それ自体を故郷にしているような意識を文字が伝えようとするけれど、そうではなく、帰る矢印の先端が指しているのは今自分が住んでいる東京都杉並区の家の、部屋の、布団のうえ。たまたま「東京駅」で乗り換えるから、東京、と書いている。そういう、嘘だけど嘘じゃないことをまあまあまあと抱えるようにして新幹線の座席に座る。後ろの人に、言ってるんだけど言ってないみたいに言って、言った気になって、それから座席を感覚の位置よりは手前めがけて倒す。背骨をつつむように備わった私という肉をシートに沿わせるイメージで、エレレレレーと無音の声をだして全身をほぐれさす。

 もっと楽な状態を思案する。思う、と、する、がほぼ同時に行われる。スニーカーの紐をゆるめて、その形をしたあおじろい魂が肉体を離脱するように、足そのものをスニーカーから手前に、上に、引き出す。靴を脱ぐ途中。それは靴を履く途中にも見える。かかと以外が靴の中で、かかとだけが靴の外。その状態でとどめて、かかとが床に触れそうで触れない、意識の上では触れていないけれど実際には触れている、たまに浮かせて靴の底面で着地する、そういう置き方の繰り返しに足と気持ちを落ち着かせる。靴を全部脱いでしまったらマナー違反になるだろうと、自分がそういう人を他者として見たときのことを考えて、その琴線の内側で安らかになる。

 新大阪。京都。名古屋。うとうとしながらもうすぐ名古屋かなってあたりで、全身のどこかに、あれっ、と思う。直後に、たぶん足だ、と予感する。足元を見る。ん。水。水の線がある。後ろから前に向かって、新幹線の動きに従って姿を膨らませたり揺蕩ったりしながら水がつーっと伸びている。おお、っと。慌てて、に一応含まれる動きのスピードで足を浮かせる。右足のかかとの、ほんの右側。そこだけ掠めたように濡れている。はいー。さいあく、と思おうとすれば思えるくらいの温度の中で、できることを考える。

 真後ろかさらにその後ろかは分からないけれど、自分の後方の座席で何かしらの液体が床にこぼれてそれがここまで伝ってきた。液体は新幹線の床の色を透過していたので、透明。たぶん水。なんだけどもし万が一甘いやつだったり、何かしらの成分が含まれていたりしたらおいおいおいと思う。濡れた箇所を触った感じ、べたつきはない。そうすることを既にうわーと思いながら嗅ぐと、匂いもない。すいません。これって水ですか。それだけ確認して回りたい。こぼしてしまったこととか、かかとが濡れたこととかは別にそんなに気にしていない。その液体の正体を知りたい。それが水だと誰かに確定してほしい。けれどその質問行為を行動に移したら、怒ってないと伝えてもそういう怒り方だと捉えられる可能性がある。だから席を立たず何もせず、ひたすら濡れたかかとを見つめている。自分が自分を自分で濡らしていればよかったとすら思う。水? 水、水……。水。水。水! 水!

 水だ。水ということになった。誰も決めてくれない液体に、私が水と名前をつけた。

太陽の塔の横にあったからそういうふうに見えた蛇口

プロフィール

鈴木ジェロニモ

すずき・じぇろにも|1994年、栃木県生まれ。お笑い芸人。歌人。R-1グランプリ2023、ABCお笑いグランプリ2024準決勝進出。TBS『ラヴィット!』「第2回耳心地いい-1GP」準優勝。短歌では、第4回・第5回笹井宏之賞最終選考、第65回短歌研究新人賞最終選考、第1回粘菌歌会賞を受賞。『ダ・ヴィンチ』『小説 野性時代』『ユリイカ』『文學界』など様々な媒体に作品やエッセイを掲載。’22年からは短歌のライブイベント「ジェロニモ短歌賞」を主催するほか、昨年末には『水道水の味を説明する』(ナナロク社)を刊行した。

Official Website
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