TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム

エア ジョーダンと共に歩んできた人生。

執筆:WIN

2025年3月1日

初めてエア ジョーダン 1を目にしたのは、中学1年生のとき。履いていたのは、バスケ部の先輩だった。

とはいえ当時は、部活で白ベース以外のバッシュが禁じられていた時代。先輩もコートでは履いてなかったと思う。1年生の自分たちなんて、レザーすら許されず、布のバッシュで足の裏にマメを作りながら練習に励んでいた。ときどき練習試合で他校の生徒が履いているのを見かけたが、それでもキャプテンのような選ばれし者にのみ許された特別な靴という印象が、ジョーダン 1にはあった。

ようやく自分たちもコートでレザーのバッシュを履けるようになったのは、日本でジョーダン 5がリリースされた中学3年生の頃。ただ、自分は足のサイズがでかいので、国内で見つけることができなかった。そこで叔母がニューヨーク旅行に行った際、『パラゴン』というスポーツショップで買ってきてもらったのが、ジョーダン 6だった。

地元である上野はアメ横の『山男』で、ジョーダン 5のマイサイズを見つけたのは、そのしばらく後のこと。当時、基本的にバッシュはスポーツ用品店が扱うアイテムだったが、アメ横にはスニーカーに特化したショップがたくさんあった。『山男』『ミタスニーカーズ』……。今でいうインラインと並行輸入が入り混じる商品構成で、バイヤーやスタッフの審美眼が色濃く反映されていた。SNSなんてない時代だから、そういうショップの人と仲良くなり、限られた情報を得るというのが、当時の自分たちの日課だった。その意味で自分は、スニーカーのカルチャーを、アメ横に教えてもらったと言えるかもしれない。

アメ横は、プレイヤーとしてのジョーダンを語る上でも避けては通れない。渋谷には『ワールドスポーツプラザ』があったし、『二木の菓子』の地下にはアメリカ4大スポーツ(野球、アメフト、アイスホッケー、そしてバスケ)のグッズを扱うショップもあったからだ。そこで同級生が入手したNBAのVHSを通して、ジョーダンの人間離れしたプレイに興奮しながら思ったものだ。エア ジョーダンを履けば自分も彼のように高く飛べるはずだ、と。

以後、今に至るまでエア ジョーダンはリリースされるたびに買い続け、ちゃんと数えたことはないが、おそらく数百になると思う。あの頃手に入れたジョーダン 5も6もまだある。加水分解して履くことはできないが、大事な宝物だ。

だから、「好きなエアジョーダンは?」と聞かれれば、やっぱり5、6、7と答える。じゃあ、ジョーダン 1はといえば、ずっと遠い存在だったと言うしかない。『スラムダンク』で、桜木花道が手に入れるジョーダン 1が、ショップの棚に飾られている非売品だったことを覚えているだろうか。あの漫画が連載開始されたのも自分が中学時代だったと思うが、実際にジョーダン1は当時から、手が届くはずのない歴史的な名品という位置付けだった。

にもかかわらず、そんなジョーダン 1を手に入れようと思い始めたのは、ナイキやエアジョーダンのことを調べるうちに、ジョーダン 1をめぐるバックストーリーに興味を持ったからだ。その後、ようやくデッドストックのジョーダン 1のマイサイズを海外オークションサイトで発見し、競り落としたとき、自分は既に社会人になっていた。

それからエア ジョーダンを集め続けて、今ではその⼀部が『WORLD OF FLIGHT TOKYO SHIBUYA』に飾られている。中学時代から熱中してきたものが、こんな形で身を結んだことには、感慨深さしかない。しかし、それがゴールではもちろんない。エアの魔法から今も解けることもなく、毎年2月のオールスターウィークエンドにリリースされる最新のエア ジョーダンに憧れ、それに足を入れ、あの頃感じた思いと同じく高く飛べるような気持ちになるのが楽しみなのである。

プロフィール

WIN

うぃん | 〈Winiche & Co.〉デザイナー。自身が手がけたアパレルやセレクトしたアイテムを置くショップ『Winiche & Co.Warehouse(ウィニッチ アンド コー ウェアハウス)』を東日暮里で営む。スニーカー(もちろんエア ジョーダンにも)にぴったりなWiniche slouch socksを発売中。

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