カルチャー
なぜ今、民謡なのか?
田中克海さん(民謡クルセイダーズ)に聞く。
2021年6月8日
photo: Kazuharu Igarashi
text: Keisuke Kagiwada
日本民謡——それはこの国にいにしえより伝わる伝統的な歌唱曲のこと。これまで「老人のためのいなたい音楽」と思い込んでいた自分の不明を恥じたのは、現代における民謡の伝道師的バンド、民謡クルセイダーズを聴いたから。同バンドの発起人である田中克海さんは、TOWN TALKでもその活動の一端を紹介してくれたので、同じ気持ちを抱いている人も多いだろう。というわけで、横田基地のある福生の米軍ハウス(そう、かつて大滝詠一や細野晴臣をはじめ、数々のアーティストたちが暮らした伝説の場所だ)に住む田中克海さんに聞いた。なぜ今、民謡なのか?
——最初にバンドを組んだのはいつ頃だったんですか?
中学生の頃です。最初に組んだのは、横浜銀蝿とザ・モッズのコピーバンドでした(笑)。ただ、普段聴くのは洋楽のほうが多かったですね。80年代の頭くらいで、洋楽が盛り上がっている時期でしたから。『ベストヒットUSA』や『ビルボード全米TOP40』、それから開局したばかりの『MTV』を見ては、そこで紹介されている新しい洋楽に触れていましたね。そんな中で出合ったのがメタルです。
——メタル! その頃だとアイアン・メイデンとかですか?
そうですね。その後すぐにメタリカやアンスラックスといったスラッシュメタルが頭角を現し、続いてハードコアメタルも出てきたので、中学の頃はメタルにどっぷりでした。まぁ、そんな奴は僕ともうひとりくらいで、バンドでやっていたのはあいかわらずサザン・オールスターズのコピーとかでしたけど(笑)。
——その後、メタルバンドを組むことができたんですか?
それは高校に入ってからでしたね。メタル好きな同級生に出会えたので、彼らとスラッシュメタルバンドを組みました。そういう中で、ハードロックとかブルースとか、どんどん古い洋楽を掘るようなっていった感じです。なので、もともとは完全に洋楽志向の人間だったんです。
——でも、そのうちに日本の民謡という鉱脈を探り当てたと?
そうなんですね。古い音楽を掘っていく中でまずたどり着いたのが、ジャマイカ音楽とかカリブ音楽といった、いわゆるルーツ・ミュージックでした。もう90年代になっていましたが、当時、都心と福生を結んだ中央線沿線でもこの手の音楽が盛り上がっていました。僕もその周辺にいた音楽好きやDJと遊ぶようになって、レア盤を掘り当てては、パーティを楽しむ日々でした。しばらくは、高円寺のレコード屋の店主や友達のDJ、パーティで知り合ったメンツでルーツ・ミュージックを演奏するバンドも組んでいましたし。そうやって音楽への間口をどんどん広げていった感じです。
——90年代の東京といえばレア・グルーヴ全盛期ですが、その渦中に田中さんもいたんですね。
そうですね。発見した古い音源や辺境の音楽が懐古主義でなく新しい音楽として仲間と共有できる楽しさが加速しました。だからバンドの方も自分たちのパーティのための音楽としてルーツミュージックをカバーする中に「今、新鮮に感じられる自分たちらしさ」をどう出していけるか、が鍵になっていきました。もちろん、愛情を持ってやっているんですが、そのままプレイしたのでは現地の人じゃないと越えられない壁がたしかにある。音楽的な憧れと同時にそこにある人々のノリや興奮そのものに魅せられていたことに気づいた時に、「じゃあ、自分のルーツはどうなっているか?」と、ふと思ったんです。つまり、日本のルーツ・ミュージックであれば、僕でも本来のノリに到達できるんじゃないかと思って、なんとなく民謡に目が向いていったんです。ちょうど3.11があったばかりで、僕自身が日本人としての自分のアイデンティティを見つめ直していた時期でもあり、音楽でも僕なりのアプローチをできないかなと考えていたというのもあるんですけど。
——何かきっかけになった曲があったんですか?
大きかったのは江利チエミの「奴さん」。EGO WRAPPIN’の森雅樹さんがセレクトした『Rock A Shacka Vol.3 Move! Babymove! 森ラッピン セレクション』というオムニバスCDがあるんですけど、カリプソとかスカに混ざって入っていたんです。オリジナルの「奴さん」は民謡というよりはお座敷歌みたいな感じなんですけど、この江利チエミのバージョンはジャズアレンジされていて、すごくかっこいいんですよ。あれは自分の中でエポックな出来事のひとつでしたね。あとは、林伊佐緒というポップス歌手の「真室川ブギ」もターニングポイントになった1曲です。これもジャズアレンジされたものですね。
——江利チエミというと、美空ひばり、雪村いづみとセットで“3人娘”と呼ばれた昭和のポップ歌手というイメージですが、そんな彼女も民謡をやっていたんですね。
戦後、一流のポップ歌手は、必ず1枚は民謡アルバムを出すみたいな流れがあったんです。もちろん、美空ひばりも出しています。そういうものの多くは、もともとある民謡をジャズやラテンっぽくアレンジしている。例えば、イントロは思いっきりラテンっぽいのに、歌が入るとそれに合わせたコード進行になったり(笑)。めちゃくちゃなんだけど、そこに高度経済成長時代の日本が持っていた勢いみたいなものが感じられて、僕には魅力的だったんです。ちなみに、そういう戦後のアレンジされた民謡のバッグで演奏していたバンドの中には、民謡クルセイダーズがもっとも尊敬する東京キューバンボーイズもいました。
——民謡と聞くと「なんか渋そう……」と条件反射的に思ってしまいますが、そういうハイカラなアレンジをされているものなら、初心者でも入りやすそうですね。
僕自身もそうで、民謡なんて「おじいちゃんおばあちゃんのための終わった音楽ジャンル」くらいにしか思ってませんでした。ただ、こういうので耳が慣れていくと、正調の民謡のよさもなんとなくわかってくるんですよ。例えば、古い言い回しを使っているので、日本語なのに歌詞が聴き取れないこともあるから、「これってほとんど僕が好きだったワールド・ミュージックじゃん!」と思える。と同時に、体に染み込んでいるのか、「よいよい」みたいな合いの手は打てるのが楽しかったり。掘り下げていくうちに、そういう民謡に対する自分なり目線ができあがってきて、どんどん面白くなっていった感じです。
——そうやって戦後にアレンジされて聴かれるようになるまで、民謡はどんな歴史を経てきたんですか?
民謡とひと口に言っても、古くから歌われてきた音楽のこと全般を指すわけですから、ものすごく幅広いんですよ。労働するときの歌、お祝いのときの歌、お祭りのときの歌からお祈りのための歌まで、いろんなジャンルがあります。その中には、キャッチーなアプローチをしているもあるし、伴奏が太鼓だけの呪術的なものもある。そうやって歌い継がれてきたものの一部が、時代を経て、都の芸者さんにお座敷で歌われようになったりするうちに、どんどんモダン化というかシティ化されていきました。だから、レコードのSP盤が出たばかりの頃は、お座敷出身の歌い手が吹き込んだりもしています。そうやって大衆音楽化されていって、戦後のアレンジされた民謡もそういう流れの中にあると言えると思います。いずれにしても、かつては民謡がイケイケな音楽として消費されていたということで、そう考えると自分の耳にも生き生きとして聴こえてきたんです。
——そんなふうに民謡に対する“耳”を作っていく中で、ご自身も演奏してみようと思い立ったわけですか?
そうですね。同じくらいの時期、引き続きワールド・ミュージックも聴いていたんですけど、特にエチオピアの音楽が引っかかったんですね。なぜかと言うと、60年代、70年代当時のポップスなんですけど、歌いまわしからこぶしの使い方まで、日本の民謡そのものだったから。だけど、バックはジェームス・ブラウンのファンクみたいで。アメリカの流行りの文化を取り入れながら、歌はこてこての現地の歌。それがかっこよくて、「これを今やればいいんじゃないか」と。それでラテンとかアフロビートで民謡をやるというアイデアが思い浮かんだんです。
——ボーカルを務めるフレディ塚本さんとはどうやって出会ったんですか?
フレディさんも福生でソウルやジャズのシンガーとして音楽活動をしていて、福生のパーティで出会いました。その後、何度かセッションをしたこともあるのですが、民謡バンドをやりたいと思ったとき、彼が20代からずっと民謡を習っているという話を思い出したんです。それで電話で誘ったら、フレディさんも、今の人たちが生活の中で民謡を聴く機会がないことを変えたいと思っていたみたいで、「いいね」って言ってくれて。2011年に、民謡クルセイダーズの前身になるバンドを結成しました。
——戦後のアレンジされた民謡を聴くと、大滝詠一さんの「イエローサブマリン」もそこまで突飛なアイデアではないという気がしてきます。もちろん、あれは洋楽を民謡風にカバーするというものでしたけど。民謡クルセイダーズとしては、大滝さんともまた違うアプローチで民謡と向き合っているんでしょうか?
そうかもしれません。大滝さんなんかは、リアルタイムでそういう民謡に触れる機会が断然多かった世代じゃないですかね。距離が近い分、そういう変化球的なアプローチをする必要があったんじゃないかと思うんです。だけど、さっきも言ったように、僕らの世代にとって民謡ってもはやワールド・ミュージックなんですよ。それくらい距離があるからどうしても無責任になるんです。でも、その無責任さが、民謡の持つタフさを際立たせることにつながる気がしました。そして、なんで僕がワールド・ミュージックを好きかといえば、様々な国の人たちが自分たちの音楽をとことん楽しんでいるから。その感じを僕ら自身のルーツ・ミュージックである民謡で出せるというのが、いいなと思っているんです。それが根底にあるので、肩肘のはった芸術作品にはしたくない。大衆に消費される、そういう音楽でいいんです。お祭りの音が遠くから聞こえてくると、胸騒ぎがするじゃないですか?世界中で共通しているそんな普通の人たちの感覚を持ったパーティバンドを目指して、これからも活動していきたいなと思っています。
プロフィール
田中克海
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