カルチャー

養老孟司さんの昆虫観察記は驚くほどエキサイティングだった。【前編】

2021年6月2日

text: Takeshi Yoro
edit: Keisuke Kagiwada
illustration: Kanta Yokoyama
2020年6月 879号初出

甲虫標本の作り方と見方
文・養老孟司

顕微鏡を覗くイラスト

カブトムシ、カミキリムシなどの甲虫は外骨格が硬いから、乾燥標本、いわゆるミイラにして保存する。いちばん単純には、採ってきた虫にテキトーに針を刺して、並べておけばいい。もちろん標本というからには、データが必要である。採集地、採集年月日、採集者を書いた紙(ラベルという)を同じ針に刺しておけばいい。採集地は山の中だとわかりにくいから、最近ではGPSによる緯度経度の記録がよく使われている。とくに東南アジアの田舎だと、地名そのものがアテにならない。私はラオスによく行くが、ラオスが典型である。同じ名前の村があちこちにあったりする。採集地についたら、まず周囲の景色を撮影する。カメラにGPS機能がついていれば、あとでそのデータを利用すればいい。

カミキリムシのイラスト
カミキリムシ

単に針を刺すだけでは具合が悪いのは、肢や触角の位置が悪く、見栄えが悪いことである。左右対称にすることが望ましい。この作業を展足という。甲虫の平均の大きさは5〜7ミリなので、この程度の大きさの虫は針に刺せない。微針という細い針があるが、甲虫は硬いから普通は使えない。小さい虫は紙に貼り付ける。この紙を台紙という。台紙には長方形のものと三角のものが市販されている。長方形の台紙にはさまざまなサイズがあり、虫の大きさに合わせて使えばいい。ノリは昔はタラカントゴムなどを使ったが、私は木工ボンド、欧州では膠を使うのが普通である。三角台紙に貼る時には、まず展足をする必要がある。そのため私は両面テープと絆創膏を使う。厚紙に両面テープをまず貼り、その上に粘着面を上にして「痛くない」絆創膏を貼る。絆創膏の粘着面に虫を置き、実体顕微鏡の下で展足をする。ひっつきシート(文房具として売っている)の粘着面を利用してもいい。展足がすんだら、しばらく乾燥させておく。肢と触角が動かない程度に乾いたら、絆創膏から外して、三角台紙に木工ボンドで貼り付ける。虫が乾いていれば肢が垂れることはない。

このようにしてできた標本を観察する。そのためにどうしても必要なのは実体顕微鏡である。虫眼鏡の大きいものと思えばいい。いまはモニターが付けられるから、それで同時に写真の記録が録れる。小さい対象を写真に撮るので、焦点深度がきわめて浅い、だから焦点合成が必要になることが多い。いまではカメラ自体に焦点合成のソフトが入っているものが多い。少しずつピントをズラして撮影した複数の画像を、ピントの合った部分だけ集めて合成写真を作る機能である。キーエンスのデジタル顕微鏡なら、微動で焦点をズラしていくと、モニターに合成画像が作られていく過程が見えるようになっている。現代の技術にちょっと感動する。

キーエンスのデジタル顕微鏡
キーエンスのデジタル顕微鏡

光学顕微鏡はごく普通のものは透過型である。つまり光を透過させて対象を見る。光が透過しないと、黒く見えるだけである。輪郭だけは明瞭に見える。実体顕微鏡は反射光で見る。電子顕微鏡にも同様の二種類があって、虫の観察に使えるのは走査型電子顕微鏡である。これは電子線を利用して、対象の表面を走査し、画像を作る。顕微鏡でよく問題になるのは倍率である。数ミリの虫の全体を見るには、数十倍で十分である。百倍では1ミリの虫が10センチになるわけだから、カブトムシやクワガタより大きくなってしまう。普通は倍率は一桁から二桁で十分である。百倍を超えると、なにを見ているのか、慣れないとわからなくなる。細胞の大きさはおおよそ1ミリの百分の一、ほぼ10マイクロメートルだから、百倍以上にすると細胞が1ミリを超える大きさに見えることになる。これ以上の倍率だと、細胞が見えてしまうことになる。クジラでもネズミでも細胞の大きさは変わらない。強拡大だとクジラでもネズミでも細胞という同じような対象が見えてしまうことになる。これでは虫を見ているということにならない。細胞学になってしまう。

プロフィール

養老孟司

ようろう・たけし|1937年、神奈川県生まれ。医学博士、解剖学者。’89 年に『からだの見方』でサントリー学芸賞受賞。主な著作に『バカの壁』『虫の虫』『遺言。』『半分生きて、半分死んでいる』『神は詳細に宿る』など。最新著は山極寿一との共著『虫とゴリラ』。また、幼少期から昆虫採集を始め、10万点以上の昆虫標本を所蔵している。