トリップ

ゴールドラッシュをめぐる冒険 in New Zealand Vol.5

写真・文/石塚元太良

2024年6月24日

 次の日の朝早く、リュックに8×10のカメラと三脚。それからフィルムの予備と折りたたみ式の簡易暗室を詰めて、撮影に出かける。持参した撮影用のフィルムフォルダーは3つ。フィルムフォルダーとはフィルムが装填されたケースのことで、フォルダ1つにつきオモテウラの合計2枚の写真が撮影できる。つまり今回の撮影では最大で6枚しか写真を撮影できない。

 6枚の写真を撮り終えたら、テント式の暗室を作ってフォルダの中身を入れ替えて、また6枚の写真が撮影できるが、簡易と言っても暗室を広げてからのフィルム交換は厄介で、8×10での撮影はいつでもそうだが、用意周到に考えながら撮影しなくてはいけない。iPhoneやデジタルカメラなどでのカジュアルな撮影とはまるで違う。

 かつてメイスタウンの集落にあるキャンプ場を出発すると、景色は一変する。トレイルは極端に狭くなり、四輪バギーやマウンテンバイクでの入山も許可されていないエリアに入っていく。自然はそれだけで色濃く感じられ、身近に感じられる。

 19世紀末。正確には1870年代のこと。メイスタウンには150人から200人。最盛期でも300人ほどの人が住み、僕がこれから向かう「リッチ・バーン」と呼ばれるアロー川の最上流域で、金を含んだ石英の採石をおこなっていたという。

 ちなみにメイスタウンは、イングランドからやってきたメイス兄弟が初めて集落に店を作り、その名にちなんでメイスタウンと呼ばれているという。最盛期には2軒のホテルや学校もあったというが、厳しい冬の寒さのために人口はそれ以上は増えず、今では1970年代に再建されたスミスさんのパン屋だった建物が残るのみ。

 記録によると、「リッチ・バーン」エリアの採石場からは1920年代の40年の間に、5万オンス、約1400キロ(!)もの金が採掘されたそうである。その当時の金の交換レートはどれほどだったのだろうか。時が経って2024年現在での金の価値は、1キロあたり100万円弱はくだらない。

「リッチ・バーン」と呼ばれる川を遡上していくとまずは「アンダーソン・バッテリー」と呼ばれる岩石を粉砕するための機械がポツンと、自然の中に残されている。これはスコットランドからやってきたアンダーソンという双子の兄弟が所有していたもので、鉄製のその機械には1898年の刻印が。この巨大な機械を120年以上前にこんな山の中に当時どうやって運び入れたのか。人間の成すことは本当に凄まじく、その鉄に触れると当時の人々のエネルギーをひしひしと感じられた。

「アンダーソン・バッテリー」をまずは撮影することに決めて、念入りにピントを合わせてシャッターをチャージする。フィルムのフォルダを紙芝居のように開いて250分の1秒間だけ、外の光のカメラの中に取り入れる。この瞬きのような250分の1秒間のシャッターのためだけに、日本からやってきたのだとつくづく思う。

 さらに、帰国して暗闇の中で、フィルムを現像するまではイメージは正確にどんなものなのかわからない。このフィルム撮影特有の「潜像」と呼ばれる状態は、すぐに画像を確認できるデジタル画像に比べて、あまりに不安定で不思議な状態だ。

プロフィール

石塚元太良

いしづか・げんたろう|1977年、東京生まれ。2004年に日本写真家協会賞新人賞を受賞し、その後2011年文化庁在外芸術家派遣員に選ばれる。初期の作品では、ドキュメンタリーとアートを横断するような手法を用い、その集大成ともいえる写真集『PIPELINE ICELAND/ALASKA』(講談社刊)で2014年度東川写真新人作家賞を受賞。また、2016年にSteidl Book Award Japanでグランプリを受賞し、写真集『GOLD RUSH ALASKA』がドイツのSteidl社から出版される予定。2019年には、ポーラ美術館で開催された「シンコペーション:世紀の巨匠たちと現代アート」展で、セザンヌやマグリットなどの近代絵画と比較するように配置されたインスタレーションで話題を呼んだ。近年は、暗室で露光した印画紙を用いた立体作品や、多層に印画紙を編み込んだモザイク状の作品など、写真が平易な情報のみに終始してしまうSNS時代に写真表現の空間性の再解釈を試みている。