カルチャー

『洋酒天国』を作った先輩たち。Vol.3

2022年10月10日

シティボーイ、はじめて1人でバーに行く。

photo: Kazuharu Igarashi
illustration: Yosuke Kinoshita
text: Kosuke Ide
cooperation: Hidehito Isayama
2022年9月 905号初出

 小玉さんの入社より遡ること5年、創刊時から編集発行人を務めた開高が、小説『裸の王様』で芥川賞を受賞したのが’58年1月。にわかに身辺が多忙になった開高は同社を退社する。その後釜的な働きをしたのが、彼の推薦を受けて入社した山口瞳だった。そしてその山口も『婦人画報』に連載した小説『江分利満氏の優雅な生活』で’63年に直木賞を受賞する。この時代に、社員にこんな「副業」が黙認されていたということだけでも、壽屋がどれほど進んだ会社だったかがわかるだろう。

「とにかくクリエイティブなセンスを磨くチャンスがいっぱいあったわけです。会いたい人たちに執筆依頼もできて、どんどん人脈も広がっていきましたから。編集部には彼らの友人の文化人なんかも出入りするようになってね。石原慎太郎や伊丹十三なんかがふらっと遊びに来て、編集部の椅子に座ってたり。そうすると女子社員なんかが覗きに来るんです。そういう開かれた会社だったんですよね。僕も最初から新入社員扱いされず、一人前として扱ってもらいました。先輩編集者に織田作之助の妻がやっていたバー『アリババ』に連れていってもらったりね。すると、そこに吉行淳之介や武田泰淳といった文士がひょいと顔を出したりする。そんな環境でした」

受け継がれる「ヨウテン」の伝統。