カルチャー

夜のギャラリー。(イン・アザー・ワーズ,シカゴ.#4)

絵・文/Korey Martin

2021年12月12日

text & illustration: Korey Martin
translation: Catherine Lealand

 あなたはシカゴに来て4日目で、最後の夜だと思ってほしい。Roger Brown Study Collectionで、あなたはシカゴ・イマジストやジョセフ・E・ヨーカムの作品を鑑賞する。Intuit Centerでは、ヘンリー・ダーガーの壮大なファンタジーの挿絵を時間を忘れて眺めたため、北へ急行してシカゴ歴史博物館でビビアン・マイヤーのストリートフォトを見る。中西部の野生の柿(電子レンジで温めたバナナのような深くて甘い味がする)を味わっていると、突然、シカゴの猛烈なピンク色の夕日が黒くなり、ナトリウムの街灯があなたの着ていたダッフルコートをオレンジ色に染めていく。そぞろ歩きながら、最後のギャラリーとして家とライトアップされたインテリアを目にしたあなたに、その光が窓の向こう側により多くの何かがあることを知らせてくれる。タータンチェックのマフラーに少しだけ深く鼻をうずめながら、あなたが何気なく窓を覗いたそこは、僕の家だ。

 シャッターが下りたミシガン湖畔のリゾート地で使われていた、1920年代のビーチチェアがまず目に入る。棚やテーブルにはシトロングリーンの瓶が並び、その中のひとつにはオキナグサが挿してある。バスルームの壁には、ウィスコンシン州はディッカリービル洞窟のポストカードや、へたくそなうちの猫の肖像画をはじめ、さまざまな種類の儚い印刷物が貼られたり、掛けられたりしている。子供向けの本が並んでいる隣では、傾いているイサムノグチのランプの光が、ジャズアルバムのジャケットとチーク材のネズミの影を調和させている。廊下に吊るされているのは、抽象的な走り描き、いや、ヘッドライトか?

 あなたは褪色した風景画に気づき、信じられないことに、その空が”Kathy Loves Dan”なるメッセージで汚されているのを見るだろう。あなたは僕がそれを他人の家から持ち帰ったことも、僕がキャシーを知らないこともなぜか知っていて、もちろんあなたも知らないので、疑問を口にせざるを得ない。「キャシーが描いたの? それかキャシーの気持ちを疑った誰か? 真面目なの? 悪意があったの? なによりダンはキャシーを愛しているの?」と。

 次に、目にするのは「M→A→X」と書かれた野球ボールだ。僕が見つけてきた、雑多なものが詰められたジップロックの中に。もしかしたら、あなたは世界的に有名な野球選手かもしれないし、その文字列を難なく解読できるかもしれない。あるいは、そうではないかもしれない。「この文字列はプレーヤーに何をしろと言っているのか? 誰かの名前なのか?」。

 絵画と愛、野球ボールと文字列。これらの物体は、認識できると同時に謎めいている。誰かにとってはどんなに見慣れないものであっても、誰かにとっては身近な存在なのだ。キャシーの愛は隠されているが、目の前にあるのは明らかであり、絵画はそこにある以上のものを示唆する。謎は、野球ボールの擦れた革や絵画のひび割れたニスのように、何かの親しみやすさを表すもうひとつの”意味するもの”になる。親しみやすさと謎は渾然一体となって人生から出現して人生を説明し、その輪郭を描き出すのだ。

 考えるのは馬鹿げているかもしれないけれど、僕は当たり前のことに戸惑うのがとても楽しい。それは期待vs現実という形のユーモアだ。オチはないし、遭遇した現実は何も明らかにはしてくれない。無表情な印象だ。それは美しいとか醜いとか、奇妙だとか平凡だとかを超えている。たとえ詳細がわからなくても、それでいいだ。

 シカゴで過ごした4日間の最後の夜、あなたは僕の家の窓をちらっと見た。キャシーの愛と野球ボール、ジャンクヤードと地下室の方程式、ラングラー、コミック、そしてシカゴの街もそうだが、あなたはもっと多くのものを知るために十分なものを見たのだ。

プロフィール

Korey Martin

1989年、テネシー州生まれ。シカゴ在住のアーティスト。その印象的な走り書きのようなドローイングは、最近では「The Quarantine Times」「Actual Source Books」に掲載されている。「POPEYE」の2020年11月号に掲載された卵料理企画のページにも、素敵な作品を寄せてくれた。