ファッション

【#3】桐生とスカジャンと私

2021年9月25日

 いまやファッションアイテムとして定着したスカジャン。世界的なブランドが商品を発表するなど、日本を代表する「和製洋服」といえる。日本発祥の洋服としては唯一無二の存在といっても過言ではないだろう。もともと生産地だった桐生では、1950年代後半にはすでに若者が着用している姿も見られたという。今回はそんなスカジャンが70数年ぶりに茶箱から発見されたお話です。

 桐生ジャンパー研究所の活動が地元の夕刊紙に掲載された数日後、見知らぬ男性から電話がかかってきた。

 「ウチに昔作ったスカジャンがあるよ。」

 えっ!と驚き興奮した私は、その日のうちにケンジさんのお宅へ伺った。一度も袖を通していない当時のままの姿のスカジャンは、母と姉が終戦後に内職で縫製していたものだそう。その頃学生だったケンジさんは、完成したスカジャンを横浜のスーベニアショップまで運ぶ手伝いを何度かしている。母上の死後、大切に仕舞われた茶箱の中の風呂敷を広げると、11着のスカジャンを発見した。「たまにハンガーにかけて陰干しをしているんさ。」とケンジさんは微笑んだ。

 私が通った高校からケンジさんのお宅までは約200m。私が人生で初めてスカジャンに袖を通した高校時代には、すでに目と鼻の先にそれらが存在したのだ。この出会いは必然であると感じ、さらに活動に拍車がかかった瞬間であった。

プロフィール

松平博政

まつだいら・ひろまさ|1975年、群馬県桐生市生まれ。桐生ジャンパー研究所所長。2017年、桐生におけるスカジャン生産の歴史と技術の継承を目的に活動開始。ブログ「桐生とスカジャン」の執筆や石内都氏・藤原ヒロシ氏などクリエイターとのコラボレーションも手がける。現在、年末の3ヶ月間(10~12月)のみ営業するオーダーメイドの「ジャンバー屋」を準備中。活動の詳細はInstagram@kiryujumperlab