TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム
FASHION

【#1】桐生とスカジャンと私

2021.09.11(Sat)

 戦後すぐに群馬県桐生市で大量にスカジャンが生産されていた事実を知る人は少ない。「スカジャン」は、ヨコスカ・ジャンパーの略であり、後世に作られた造語である。流行の発信地だった横須賀のジャンパーが、なぜ桐生で作られていたのか?そこには、桐生における、もうひとつのスカジャンストーリーがありました。スカジャン生産の歴史と技術を継承する「桐生ジャンパー研究所」の普段の活動の裏側をご紹介します。

 ある朝、ゴミ集積所でゴミ出しをしていると、近所のサチコさんが声をかけてきた。85歳の彼女は、夕刊紙で私たちの活動を知り、気にかけてくれていたのだった。

「私の姉もスカジャンを縫っていたのよ。」

 えっ!と驚き興奮した私に、サチコさんは続けた。約70年前に中学生だった彼女が、英語教師の堀越氏という方から、スカジャンの縫製を頼まれたというのだ。堀越氏はサチコさんの姉が洋裁をしていることを知っていたので声を掛けたそうだ。虎・龍・鷹などの刺繍が施された裁断物を足踏みミシンで縫い合わせていく作業をはっきりと覚えているらしい。ゴミ集積所から50mほどの場所で、かつてスカジャンが作られていたのだ!

 堀越氏が勤務していた中学校は、我が家から約500m。私が通った母校である。私がファッションと音楽に目覚め、人生で初めてスカジャンのことを知ったその中学校で、その昔、スカジャン生産に関わっていた方がいた。そんな偶然が生まれるのが、ものづくりで栄えた桐生という街なのです。

プロフィール

松平博政

まつだいら・ひろまさ|1975年、群馬県桐生市生まれ。桐生ジャンパー研究所所長。2017年、桐生におけるスカジャン生産の歴史と技術の継承を目的に活動開始。ブログ「桐生とスカジャン」の執筆や石内都氏・藤原ヒロシ氏などクリエイターとのコラボレーションも手がける。現在、年末の3ヶ月間(10~12月)のみ営業するオーダーメイドの「ジャンバー屋」を準備中。活動の詳細はInstagram@kiryujumperlab
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