カルチャー

Jason Dillと1時間半のおしゃべり。

――個展を開催するジェイソン・ディルにインタビュー

2026年10月30日

text: Kunichi Nomura
photo: Ryusei Sabi

ジェイソン・ディル|1990年代に〈101 Skateboards〉のライダーとしてキャリアをスタートさせ、1998年に〈Alien Workshop〉へ移籍、2013年に自身のスケートカンパニー〈Fucking Awesome〉を立ち上げるまで所属した。

東京での初めての個展を控えるジェイソン・ディルと旧知の仲である野村訓市さんが、タバコ片手におしゃべり。

世界を放浪する最近の暮らし、アートへの接し方、油彩画の制作プロセス……。
実はスケートボードを辞めていたという新事実や、読書家という意外な一面、彼のユニークな物事の見方など、読んでもらいたいことが多すぎて、記事がこんなにも長くなってしまいました。
どうかじっくり読んでみて。そして、11月4日までの個展に足を運んでみてください。

Dill: よし、録音始める? 着信音切ってね。

Kun: 今回の新作は全部、韓国で描いたの?

Dill: そうだよ。まあ、3か月酒を断つとこうなるんだよ、ドローイングとペインティングの山ができる。

Kun: 絵を描いてるのは知ってたよ。会いに行ったしね、ずっと前。コロナ前の『POPEYE』(2019年2月号)の取材だったと思うけど。

Dill: 俺がベンチュラに住んでいたときだよな?

Kun: そうそう、ベンチュラにいたとき。俺が担当したページで、片面がディルで、もう片面がガス・ヴァン・サントだったかな。

Dill: ああ、あれか、覚えてるよ。あの見開き、すごく気に入ってた。そうだな、あの頃で描き始めて大体2年くらいだったかな。子供の頃からずっとアートを作ってたし、もちろん自分のカンパニーの〈FA(Fucking Awesome)〉のためにもアートやコラージュなんかを作ってきたけど、本格的に絵画にのめり込もうと決めたのは13年くらい前だった。

Kun: あれは2018年だっけ? その冬だったような

Dill: そう、その通り。

Kun: あの頃、油絵にすごくハマり始めてたよね。家で大きい作品を全部見せてくれてさ。スパークリングウォーターの空き瓶が何百本も転がってる中で(笑)

Dill: ペリエの空き瓶な(笑)。あの頃は個展のために描いてたんじゃなくて、ただ描く練習として描いてたんだ。ありがたいことに、他の画家にそういうことがよくあるのかは知らないけど、ラッキーなことに昔の作品が全部売れたんだよね。だからあの頃の作品は手元には何も残ってない。今回の展示には10年くらい前の古い作品が2点入ってるけどね。見ればアクリルだからすぐわかると思う。でも昔の絵は全部手元にない。アメリカで描き始めた作品はあるけど、いつかアメリカに戻ることがあれば仕上げるかもね。でも今のところアメリカに戻る予定はまったくないんだ。もう1年半くらい離れてる。

Kun:だよね。俺がカーティス(・ブキャナン/フォトグラファー)と一緒にベンチュラに会いに行った後、アパートを出てずっと旅して回ってたといってたもんね。アメリカ国内を1年くらいそうしてたよね。メッセージで「今どこにいんの?」って聞いたら、オレゴンのどっかのモーテルだと返事来たり。

Dill: ああ、たぶんアストリアにいたときだな。お前に読んでもらおうとその頃のことについて書いた文章を送ったのに、読んでないな。まあいいけどさ(笑)。お前は、毎年みんなに5ページもの長文メールを送るくせに、人の話は読まないのかよ。。

Kun: 先週のメールでしょ、あのときトルコにいてこないだ帰ってきたばっかりなんだよ、ごめん。

Dill: 冗談だよ。とにかくその頃はパシフィック・ノースウェスト(太平洋岸北西部)を8か月くらい旅して回ってたんだ。知っての通り、オレゴンやワシントンはアメリカでも屈指の美しい場所だからな。キャビンに泊まったり、フェリーに乗ったり、湖畔の変なモーテルに泊まったり。谷の奥深くに入り込みすぎて熊に襲われないかビビりながら歩き回ってたよ、真冬だったしね。でも最高だった、素晴らしい経験だったよ。ワシントンとオレゴン州中にある古本屋を100軒くらい巡って、〈FA〉のためのコラージュ素材を作ってたんだ。

Kun: 旅してる間もずっとアートを作り続けていたと?

Dill: あの旅ではそこまででもないかな。正直に言えば、毎晩ワインを2、3本空けちゃあ、すべてのことにハイになってただけなんだよ。古本屋に行って、Tシャツやスウェット、スケートボードのアートワーク締め切りに間に合うだけの素材を集めたりはしたけどな。でも基本はずっと歩いてた。朝起きて、二日酔いを引きずらないようにしながら、ひたすら歩いて、歩いて、歩き続けた。雪が降ろうが何だろうが、ワシントンやオレゴンの辺境を歩き回ってた。最高だったよ。他人にとって面白い話かどうかはわからないけどさ。

Kun: いやいや俺には興味深いよ。だって出会った頃のディルはニューヨークに住んでたパーティ狂いのスケーターで、それからLAに戻って〈FA〉を本格的なスケートカンパニーとして立ち上げてとずっと知っているわけだから。

Dill: だな。LAに戻って〈FA〉を始めたのが2013年だった。

Kun: そう、それでLAの〈Supreme〉のショップとかで、キッズたちの面倒をすごくよく見てたのをずっとリスペクトしててさ、いい兄貴だなと。

Dill: あの頃はセージ(・エルセッサー)たちもまだガキだったからな、14、15歳くらいの。

Kun: みんな子供だった。で、ディルがお下がりの服とかをいろいろあげてたり。

Dill: ちゃんと新品の服をあげてたんだよ。あいつらにちゃんとモノが行き渡るようにしてただけさ。それが今の〈Supreme〉チームになっていったんだよ。

Kun: そっか当時あいつらに「なんでTシャツをタックインしてんの?」って聞いたらさ、「ディルからもらった服でサイズがデカいからインしてるんだ」って言ってて。お前の真似をしてた部分もあったんだろうけど、なんであいつらみんな白Tをタックインし始めたのかな、かっこいいなと思ってたら「全部Dillにもらったんだ」って言っててさ。

Dill: まあ、たまに俺のお古をあげることもあったけどな。当時あいつらキッズたちを集め〈Supreme〉チームを作ろうとしてたんだよ。それが結果的に最初のビデオ『cherry』になった。あいつらが本当に幼い頃に出会ったからね。セージやエイダン(・マッケイ)が13歳くらいのときにニューヨークに来たんだ、向こうの学校に通って。だから本当にガキの頃から知ってるんだ。でも、それが全部現実になったなんて信じられない、クレイジーだよな。

Kun: ね。そして今じゃ彼らも30歳手前だもんね。

Dill: 本当だな、みんな大人になってそれぞれ違うことをやってる。セージは常にいろんな活動をしてるしな。俺はSNSをやってないから直接は見ないけど、みんながスクショを見せてきて「ほら、セージがこんなことやってるよ」だの「タイショーン(・ジョーンズ)がこんなことやってるよ」って教えてくれるんだ。

Kun: セージだってデフ・ジャム所属のラッパーでもあるし。俺はみんなのそういう移り変わりをずっと見てきた中で、ディル自身は絵に夢中になって、油絵の描き方を模索してるって聞いて会いに行って。で、コロナが起きて、ディルはあちこち移動し始めて。毎回連絡するたびにもうどこにいるのか全然わからなかったよ。こういうノマドみたいな生活はどれくらい続けてるの?

Dill: 若い頃は、スケートボードで世界中の国を旅してた。常にツアーがあって、10代後半から20代前半でニューヨークに住んでた頃も、ずっとスケートのツアーに出てた。信じられないような生活だったよ。ニュージーランド、イタリア、日本、あちこち行って、スケートして、女がいて、ナイトライフがあって。世界中でだぜ。本当に幸運だった。で、歳をとって、ここ5年くらい、パンデミックの後にふと思ったんだ。「あの生活に戻るべきだな」って。もちろんスケートの旅じゃない、もう滑ってないからな。スケートは6年くらい前にやめた。
でも、またあのノマド的な生き方に戻って、流れ着く先を見てみたくなったんだ。絵を描くタイミングになったら、少なくとも1箇所に3か月は腰を据えて描くようにしてね。それがすごく良い感じなんだよ。ただ最近は、次の展示のためだけに描いてるような状態になってて、まあそれはそれで全然いいんだけどね。展示の機会に恵まれた現役のアーティストなら当たり前のことだし。でも、いつでも描ける決まったアトリエがないのが寂しくもある。韓国を引き払ったから、描く場所がなくなっちゃってさ。ホテルじゃ絵は描けないんだよ。やってみたけど無理だった。小さい紙をお茶で染めてからドローイングするようなことはできても、ペインティングは無理だ。だから描く場が恋しくて、いつかどこかに落ち着かなきゃとは思ってる。アメリカには戻りたくないが、パスポートが2027年9月に切れるから、なんとかしないとだな(笑)。

Kun: 次はイギリスでしょ?そこで更新して旅を続けるしかないね(笑)

Dill: アイルランドに行ってやってもいいし。俺は90%アイルランド人の血だから。「母国に戻ってきてもいいですか? ここに住まわせてくれますか?」ってさ。

Kun: 今のアメリカの状況が本当に嫌なんだ? だから帰りたくない?

Dill: 嫌だね。分別のある人間なら、今のアメリカで起きてることを誰も支持できないだろ。若いキッズたちを除いてはね。フランスの若者たちみたいに行動をおこしてないわけだからさ。もちろん「ふざけんな、クソ食らえだ」って思ってるキッズもたくさんはいるけど。1976年のスティーヴィー・ワンダーの曲みたいだよ、「Love’s in Need of Love Today」(今こそ愛には愛が必要なんだ、憎しみが充満してるなかで)。見りゃわかるだろ。かつてのウッドロウ・ウィルソン(第28代アメリカ大統領)の時代からのパターンなんだよ。KKKを賛美した映画『國民の創生』が公開されたときの大統領で、ホワイトハウスで上映会までやってた男だ。それから’80年代のレーガンに飛ぶと、「Make America Great Again(アメリカを再び偉大に」の元祖はあいつから始まった。あれは差別とレイシズムをものすごく巧妙にオブラートに包んだものだった。「いやいや、レイシズムじゃない、アメリカ人のために立ち上がるだけだ」ってさ。アメリカ人であることの意味って何だよ? 俺たち全員移民じゃないか。

Kun: 本当だよね。でもアメリカに帰らないとして、どこかで確かにアトリエを持たなきゃだとは思うけど。ディルのペインティングって、最初の油絵の時期からかなり変わってきたと思うけど。

Dill: 今の作品も油絵だよ。お前が見たのは、アクリルから油絵に移行し始めたまさにその瞬間だったんだな。

Kun: 今でも油絵具を使ってるの? 全部?

Dill: すべてそうさ、小さいドローイングを描くとき以外はね。これは醤油なんだ。

Kun: 醤油? マジで?

Dill: そう、醤油で描いたんだ。今回の展示にもドローイングが3点あって、本くらいのサイズなんだけど。あとは俺の背丈くらいあるデカいペインティングもあるよ。

Kun: ベンチュラで会ったときは油絵を実験的に試してるだけかと思ってたけど、今は油絵に本格的に入っていってるんだね。

Dill: あれは初期段階だった。アクリルだけで丸5年は描いてたと思う。あの頃は今と全然描き方が違って、キャンバスの前に立ってガシガシ色を置いていくだけだった。アクリルは乾くのが異常に早いから、もたもたしてる暇がないんだ。ここを塗って、あそこを塗って、これを重ねて……ってやってる間にすぐ乾く。正直、油絵具を使うのが怖かったんだよ。俺はすごく清潔好きな人間だからさ(笑)。外で見かける俺は、シャワーを浴びまくって清潔そのものの状態なんだ。でも同時にめちゃくちゃ散らかす人間でもある(笑)。物に激しく当たっちゃうんだよ。人間関係にも、家にも、部屋にも負担をかけすぎる。まるで動物みたいな生き方をしてる、生まれつきさ。だから「油絵なんかやったら、とんでもない大惨事になるぞ」ってビビってたんだ。
で、プロのアーティストをやってる友達何人かに相談したら、「いや、油絵へいくのは自然な進化だよ。お前のアクリルはもう十分なレベルに達してる」って言って背中を押してくれたんだ、「そのまま描き続けろ、描き続けろ」って。誰も「教えてやるよ」とは言わない。「とにかく描け」と言うだけ。ちょっとしたコツを聞いても、「雲を描きたいならこの筆を使え。お前が使ってるやつよりずっといい」って教えてくれるくらいで。そのうちの1人なんか、俺が四角い平筆で雲を描こうと1か月も悪戦苦闘してるのを黙って見ててさ。25年の付き合いのダチでそいつのアトリエで描いてたのにさ(笑)。1か月経ってようやく近寄ってきてファンブラシ(扇形筆)を手渡してきたんだぜ、これを支えと。俺としちゃあ「1か月も待たせんなよ!」って思ったよ。『ベスト・キッド』じゃねえんだからさ。「ワックス塗って、拭いて」みたいな修行はいいから、最初から教えろよって(笑)。でも、俺はハック(裏ワザ)なんて求めちゃいないんだ。最近の若い奴らが「ハック」って言葉を使うのが大嫌いなんだよ。それって努力をサボることだろ? 俺はちゃんと泥臭くやるよ。

Kun:ハハハ。

Dill: その古いダチってのは、親愛なる友人のプロ画家、セージ・ヴォーンのことなんだけど、あいつはスパルタなんだ。「痛い目を見て学ぶしかない。教えたりはしない、お前のスタイルに影響を与えたくないし。それはお前の方向性が好きだからだ。自分で失敗を経験しなきゃダメだ」ってね。何日もかけて10時間以上注ぎ込んだ絵が気に入らなくて、塗りつぶすときの辛さといったら最悪だよ。でもそれを受け入れるしかないんだ。「クソっ、なんで塗りつぶしちゃったんだろ? 残しておけばよかった」って後悔する絵も何点かあるけど、そうやって学んでいくんだよ。

Kun: なるほどね。しかしディルがずっとコラージュを作ってアートをやってきたのを見てたからさ、油絵っていう古風で伝統的な手法を選んだのがちょっと意外だったんだよね。

Dill: コラージュはさ、必要性に迫られて作ってたようなものでさ、ブランドのためにね。服を作らなきゃいけないし、締め切りがあったから。それに10代で旅をしてた大昔から、俺はポストカードにコラージュを作ってたんだ。新聞や雑誌を切り貼りして、女の子や母親、弟、友達に送ってた。何年分ものポストカードをまだ持ってるダチがたくさんいるよ。ほんの7年くらい前までポストカード作ってたんだが、それがコラージュの始まりで、締め切りに追われてコラージュを作り続けるうちに、めちゃくちゃ得意になったんだ(笑)。それに俺は、お前がこれまで会った誰よりも古本屋で時間を過ごしてきた人間なんだよ、実は。まるでファインアートのローズ奨学生かってくらいにね(笑)。信じられないほどの本をめくってきたよ。

誰も見たことがないような変な古い本から奇妙なアートを探し出すのが目的だった。人がすでに知ってるものは使えなかったし、訴えられたくもないだろ? 訴えられないための一番の方法は、誰も知らない最もマイナーな素材を見つけることだ。だからひたすらディグり続けるんだ。1軒の古本屋で3、4時間過ごす。歳をとるとこれが腰にくるんだよ(笑)。ホコリだらけだし、外に出てタバコ吸って「休憩が必要だ」ってなる。でも本を読むのも大好きだから、ワシントン州ロングビューの古本屋で2時間探して何も見つからなくても、ヘミングウェイの『キリマンジャロの雪』を手に取って読んだりしてね。「まあいいや、何かは得られたし」って(笑)。だからコラージュに関しては、アートを作ってる感覚はあまりなかったんだよ。スケートボードやTシャツになるなら、確かにアートだけど、それはすぐ売り物になるためのものだからね。でもペインティングは俺にとって……。

Kun: もっとパーソナルなものだよね。

Dill: 完全にな。すべてが俺の頭の中から湧き出てくるものなんだ。キャンバスの1インチ四方に至るまで、自分の頭の中にあるものを注ぎ込まなきゃいけない。誰かがその絵の前に立ったとき、こちらの意図通りには伝わらないかもしれないけど、中にはズバリ伝わることだってある。個展をやるまでかなり長く待ったのはさ、初期のアクリル作品はデッキやTシャツにするには十分だったけど、展示となると話は別だったからさ。日本にいると特に「すごく有名な方ですよね」って言われるんだけど、俺は「チョット・フェイマス(ちょっとだけ有名)」って返す。知名度とか名声の、ものすごくマイナーな部類にいるだけだよ。ブラッド・ピットやレオナルド・ディカプリオが本当の有名人だ。俺なんか有名でも何でもない。俺もお前も「チョット・フェイマス」なだけさ、そうだろ?

Kun: 極特定の限られた世界ではそうかもだけど(笑)。

Dill: 世界の片隅のすごく奇妙でマニアックな世界、1つの分野でちょっと知られるようになった奴が、絵を初めていきなり「おいおい、あいつ次は画家気取りかよ? 見てやろうじゃねえか」って思われるようなクソには絶対になりたくなかったんだよ。
別の分野で有名になってから絵を描き始めた良い例といえば、ガスだよ。ガス・ヴァン・サント。彼の作品は好きだな。ニューヨークで彼の個展に行ったんだが圧巻だったよ。同性愛的なテーマがはっきり出てる作品もあって、それが最高なんだよ。自分の好きな世界を突き詰めてて、最高な仕事をしてる。史上最高の画家の1人であるデイヴィッド・ホックニーと同じだよ。ホックニーは死んじゃったけど、本当に大好きだったが、ガスの作品もすごく良かった。街を歩いててたまたま「うわ、ガス・ヴァン・サントの個展やってんじゃん」って見つけてさ。夕方6時頃で、観に行かなきゃと。『ドラッグストア・カウボーイ』や『エレファント』は俺にとって特別な映画だから、ガスは偉大な存在なんだ。だか見る前は「サイ・トゥオンブリーのパクリみたいなクソか、最近よく見るバスキアの出来損ないみたいな絵だったらどうしよう」ってがっかりする覚悟をしてた。ああいうニセモノのバスキアみたいな絵は今すぐ全員やめるべきだ。でもギャラリーに入ったら、一瞬で引き込まれて心が洗われたよ。「ダメな絵だったらどうしよう、大好きなガスのことを嫌いになりたくないのに」って最初はネガティブに構えてたのに、「最高じゃん」ってなったんだ。

Kun: 言わんとしてることはわかるが、はっきり言うなぁ(笑)。

Dill: ひとつのことで名を馳せた人が別の表現に進んだ素晴らしい好例だよ。要するに回りくどい言い方をしたけど、俺は人に見せるまでにかなり長い間じっくり描いてきたってこと。デッキに載せるのと、ギャラリーに並べて「これはこれだけの値段です」って真顔で言うのはわけが違うからな(笑)。「冗談で言ってるんじゃないぞ」ってさ。で、満を満たして個展を始めたら、みんなの反応が信じられないくらい温かかったんだ。

Kun: ディルの最初の個展はパリだったよね?

Dill: グループ展はやったことあったけど、自分の作品だけで締め切りに追われてやった初の個展はあれだった。1,500人も来てくれてさ、狂気だったよ。圧倒されたね。

Kun: はっきりいって最高の気分だったでしょ?マジで

Dill: そりゃもうクソ最高だったよ。その数か月後にはロンドンでもやってさ。規模は小さめだったけどソロで、それもすごく上手くいった。それから昨年の12月にはバリー・マッギーとWANTOとの3人展にも1点出した。で、今回が『The Last Gallery』との展示で、場所は渋谷の『The Plug』。100点以上の作品があって、大小さまざまな絵と、2016年から俺が彫り込み続けてきた巨大なテーブルもある。だからサブタイトルが「2016 – 2026」になってるんだ。『Looking at What I’m Saying(俺の言ってることを見てみろ)』っていうタイトルもずっと考えててさ。

Kun: もちろん俺たちの世代やスケーター全員にとって、ディルは「スケートボーダーのジェイソン・ディル」として知られてるわけだけど、今は人に何をしてるか聞かれたら「ペインター(画家)だ」って答えてる?

Dill: 自分からそう名乗ったことはまだないな。人からそう言われることは増えたけどね。友達の友達とか、その彼女とかに「何してる人なの?」って聞かれたら、スマホで過去に描いた絵を見せて「こういう絵を描いてるんだ」って言うと「わあ、クールじゃん!」って言われる。実物を見るほどの迫力はないけど、スマホで見せて「これが俺のやってることだよ」ってくらいは言える。だからまあ、画家なんだろうね。上手くいくといいけど(笑)。

Kun: もう立派な画家だと思うよ。順調そうで嬉しいよ。でもみんな気になると思うんだけど、スケートボードから絵への影響ってあるのかって聞かれない?

Dill: いや、それはないな。でもすごく感謝はしているが。

Kun: これまで何10年もいろんな人にインタビューしてきたけど、スケートボード出身の人ってすごく多いんだよね、あらゆるジャンルにおいて。そして、みんな「スケートボードのおかげで物事の見方を学んだ、インスピレーションをもらった」とかと答えてくれる人が多いんだよ。スケーターって例えば、街を普通の人とは違う視点で見ているのが写真に役だったとか、「今の活動につながるDIY精神を学んだ」とか。

Dill: もちろんその通りだし、それを否定なんてしないさ。人それぞれだしな。ただ俺個人としてスケートボードに感謝してるのは、子供の頃に地面に顔面から叩きつけられた経験そのものなんだ。歯を折り、骨を4回折り、肩を壊し、何度も手術を受けた。それが俺をタフにしてくれたんだよ。それに世界中に連れ出してくれた。「滑りさえすればいい。夜通しパーティしたっていいけど、この時間には滑れよ。その後は何をしようがお前の勝手だ、でも滑ることだけは絶対だ」って感じでな。アフリカにも、イタリアにも、パリにも、ロンドンにも、日本にも住んだ。何より感謝してるのは、スケートボードのおかげで何度も日本に来られたことだよ。おかげで日本に自分の第二の人生ができて、第二の家族みたいな仲間たちができたんだから。
絵画に関して言えば、人生経験から来てると思う。昔ニューヨークでアシッドをキメたりPCPを吸ったりして狂ってた経験から、もうすぐ50歳になる今、何時間もじっと座っていられる忍耐力がついたこととかね。この俺が座りっぱなしだぜ? 昔ならあり得ない話だろ。

Kun: バーにいるとき以外はね(笑)。

Dillバーにいたって座ってられずにウロウロ歩き回ってたよ! 昔は常にハイパーだったから。それが今じゃ、何時間も座り込んでひたすら絵を描き続けて、じっと座ってるのが心地いいんだからな。『Looking at What I’m Saying(俺の言ってることを見てごらん)』ってタイトルも、いつか本を書くならぴったりの題名だと思ってた。完全にシリアスな意味じゃなくて、言葉遊びのジョークみたいなものさ。とにかく影響なんてわからない、ただ描いてるだけだよ。

Kun: タイトルからすると、絵そのものが今はディルの言葉であり、絵を通して語りかけてるように感じれるけどね。今回の展示には何かテーマがある? 何か言いたいことがあるのか、それともディルが見たものや取り留めのない思考の断片が絵になってる感じ?

Dill: そうだな、ただみんなに来て見てもらって、楽しんでもらえたらそれでいい。気に入らない人がいたって全然構わない。アートにはそれが必要だし、好き嫌いがあって当然だからな。ロンドンで、ポルトガルで尖ったギャラリーをやってる男の奥さんが話しかけてきてさ。「よく言われるでしょうけど、あなたの絵は本当に並外れてるわ。怖くて、幸せで、奇妙な、子供の頃の夢の世界に連れて行かれるみたい。怖いというより、もっと先を見ていたくてずっと留まっていたくなる夢よ」って言ってくれたんだ。今までもらった中で最大の褒め言葉だったよ。だから嬉しかったね……あとはもちろん、金だよ。金が必要なんだ。みんな俺が〈FA〉で大金持ちだと思ってるみたいだけど、はっきり言っておく、全然そんなことない! 金は全部会社に回してるんだ。金が必要だから、俺の絵を買ってくれ(笑)!俺には絵しかない。スケートは終わったことだ。歳をとってスケートボードを辞めたのは、完全に自分の意志だった。ある日突然、「よし、ここまでだ。完全に終わり」って自分の中で腑に落ちたんだ。

Kun: タバコを買いに行くのすら滑らないの?

Dill: 滑らない。絶対に。体中がボロボロなんだよ。左半身なんて骨折だらけで、膝の手術も足首の手術もして、左側は頭のてっぺんまで半麻痺状態みたいになってるんだ。数週間前に久しぶりに海に行ってさ、テンション上がって飛び込んだ瞬間、「うわあああ!」って激痛が走ってさ。

Kun: 俺も同じだよ。ただの加齢かもしれないけどさ(笑)。

Dill: 加齢と、体を酷使しすぎた結果だよ。俺は本当に体を痛めつけすぎた。一生スケートを続けたい奴がいるのもわかるけど、俺はいつかやめたいってわかってたんだ。やめて、普通になりたかった、まともな普通の人間に戻りたかったんだよ。

Kun: でもそれは簡単には言えない大きな決断だったでしょう?

Dill: もちろん。あらゆる感情が渦巻いてたよ。

Kun: スケーターのその後を見てると、本当に厳しい世界だと思うよ。若い頃に大成功を収めても、歳をとったときに何をすればいいかわからなくなる奴も多いと思うし。プロスケーターになっても通常、毎日のルーティンやスケジュールがないからね?「9時に起きてオフィスに行く」みたいな生活に慣れてないし。

Dill: ホソイ(クリスチャン・ホソイ)の人生を見てみろよ、狂気そのものだったぜ。あいつがライブに行ったら、ブラック・フラッグの連中が「おい、お前ホソイじゃねえか!」って群がってくるんだぜ? ホソイが「『レッチリ』がいる」って喜ぶんじゃなくて、向こうが「ホソイがここにいる!!」って熱狂するくらいに。ホソイこそ時代の象徴だった。’80年代の異様な世界的名声を味わって、史上最高のスケーターで、ルックスも完璧でさ。俺はホソイの写真を見て、部屋の壁に貼りまくってたよ。カリフォルニアのハンティントンビーチで貧乏な白人のガキだった頃、ボロアパートを追い出されてその年だけで5回も引っ越してた。マーク・ゴンザレスやホソイ、ナタス(・カウパス)の切り抜きを壁に貼って、ホソイを見つめながら「いつか絶対お前になってやる。お前がやったことを全部やってやる」って誓ってたんだ。良いことも悪いことも含めて、あいつがやったことを部分的には俺もなぞったよ(笑)。でもあるレベルに達したとき、「俺の人生、最高の頂点まで味わわせてもらったな」って思えたんだ。かつては飛行機で飛び回ってた俺が、今じゃ椅子に座って絵を描いてる(笑)。

KUN:(笑)。でも次にやりたいことを見つけられてラッキーだと思うよ。迷うやつはたくさんいる。

Dill: 腹違いの兄貴のクリス、10歳近く年上なんだけど、奴が幼い頃に読書の面白さを教えてくれたんだ。俺は16で高校を中退して、17でニューヨークに行って、日本に来て、ヨーロッパ中を回ってプロになった。でも幼い頃から本を読んでたおかげで、バカやって、ドラッグで遊んでた一方で、ドロップアウトのくせに世界中を旅しながら本を読み漁ることができたんだ。それが若い頃の自分の視野を大きく広げてくれたと思う。「プロになって最高にクールだけど、いつか終わりが来る」って考えられるようになったんだ。ナタスなんて25歳くらいでプロをやめたんだぜ? 史上最高のスケーターの1人だったのにさ。だから俺も「明日には全部終わるかもしれない」って常に思ってた。2000年代初頭にスケートバブルが来て巨大になったとき、「あ、一生これで食っていけるのかも」なんて思ったりもしたけど、心のどこかでは「いつか自分の意志でピタッとやめる日が来る」ってわかってたんだ。これまでのすべてに心から感謝しつつ、前向きな気持ちでスパッとやめたかったんだよ。

Kun: 永遠に続くものなんて何もないとわかっていたんだね。だから絵を描き始めて夢中になったとき、スケートをすんなり手放せたと。

Dill:基本的にはそうだ。何かにしがみつくのだけは絶対に嫌なんだ。未練がましくすがりつくなんて大嫌いだ。俺は次に進む。「もう飽きた、新しいことがやりたい」ってパッと手放すのがすごく早かった。歳をとった今は、読書にたくさんの時間を使ってるよ。今は太宰治の『人間失格』を読んでるんだ。日本人作家を読んだのはこれが初めて。韓国の作家ならハン・ガンの『菜食主義者』や『少年が来る』なんかを読んだけどね。

Kun: ディルの口から太宰治という名前を聞くなんて、一番意外な作家だよ。

Dill:(笑)まあ話を戻すと、俺は絵を描くことから途方もない喜びを得てるんだ。思い通りの表現にならなくて、ものすごくフラストレーションが溜まることもあるけどさ……。

Kun: それってスケートボードと同じじゃない? 新しいトリックに挑むときみたいな。

Dill: まあな。けど絵なら膝がちょっと痛むくらいで済むし、骨を折ることもないからね(笑)。そこが決定的な違いだよ。絵を描いてて怪我はしない。スケートボードは金のこととか「このトリックを決めなきゃビデオパートが台無しになる」っていうプレッシャーが脳にものすごい負担だった。でもペインティングなら、何時間かけようが一歩引いて全体を見渡して、ミスを修正することだってできる。あるいは一歩引いて、「クソ食らえ、直すもんか。観る奴がこれを受け入れろ。気に入らねえなら俺のケツでも舐めてろ」って居直ることだってできる。ミスったけど、そのミスが気に入ったんだったらな。

もうすぐ50歳だし、これを楽しめる時間はあと20年か30年くらいしかない。体はもうボロボロだけど、この右腕が動いて目が見えている限りは、幸運を祈りつつ描き続けたいよ。有名になんてならなくていい。話しかけてくれて、一緒に写真を撮ったりサインを求められたりするだけで、心から感謝してるんだ。

Kun: 前回、2年前だったかディルが東京に来たとき、小さいクラブに連れて行ったの覚えてる? そしたらキッズたちがみんな「うわあ、ディルだ!」ってなって騒いで。ディルはヒーローなんだぜ

Dill: あの夜はヤバかったな。でも本当にありがたいよ。今の俺は、使い込まれて味の出た自分自身なんだ。数々の修羅場をくぐり抜けてきた古い野球のグローブみたいなもんさ。ベーブ・ルースみたいなもんだよ。だからバットにサインしてほしいなら、喜んで書いてやるぜ、小僧!(笑) もうホームランは打てないけど、グローブにサインくらいいつでもするさ。でも絵画に関しては、個展を開いて次の旅の資金が稼げるなら、残りの人生ずっとやり続けたいよ。

Kun: 韓国に3か月こもって、ほとんどの作品を描いたんだっけ?

Dill: 韓国と日本の福岡を行ったり来たりして1年ちょっとになるね。でも前回の3か月は一滴も酒を飲まず、ひたすら絵を描いてた。毎晩徹夜で描き続けたよ。

Kun: 制作プロセスはどんな感じなの? 写真を参考にする奴もいれば記憶を頼りに描く奴もいるけど、ディルはどうやって描いてるの?

Dill: ドローイングとペインティングは完全に別物なんだ。ペインティングはいつも空から描き始める。絶対に空が最初。この作品みたいに空を描いて、それから谷を描いていく。しっくりくるポイントが見つかるまで描き込んで、光を歪ませたりして、背景には抽象的な山並みを描く。全部自分の頭の中にある光景さ。その後にモチーフとなる図像を探して、それを見ながら描き足していくんだ。

Dill: 紙に描くドローイングに関しては……アジアだとペインティングのことも「ドローイング」って呼ぶ人がいるけど、まったくの別物だ。ドローイングはもっと肩の力を抜いたバカバカしいものなんだよ。「鏡を見てる女の子を描こう」とか、1973年の古い『プレイボーイ』を見て「これも描くか」ってサラサラ描く感じだな。ドローイングは何も見ずに描くことが多い。でもペインティングは、奇妙で半抽象的な自然を描くんだ。「写真を見て描いたの?」って聞かれるけど、「いや、谷に見えるようになるまでひたすら描き続けただけだ」って答えてるよ。

Kun: ディルが自然を題に描いてるのってすごく新鮮だよ。俺の中のディルのイメージってずっと都会だったからね。都会の街並みや路地裏みたいなクレイジーな風景を描くかと思ってた。

Dill: ロンドンの展示で、車にもたれかかるキッズたちの絵を描いたんだ。でも車は二度と描きたくないね。きっちり正確に描き込まなきゃいけない人工物は好きじゃないんだ。自然なら、ときには輪郭がぼやけてたって成立するだろ。昔のロシアの風景画みたいに完璧な滝や岩を描くのも圧倒されるけど、そこには人間の匂いがない。俺は自然が好きだけど、そこにトラに乗った男がいたり、象と一緒にビーチで立ちションしてるガキがいるようなのが好きなんだよ。タイのどこかをイメージして、象が歩いててガキがビーチで小便してる絵を描いた。何か月もかかったよ。だってそんな絵、今まで見たことないだろ? 水牛に乗るベトナムのガキ2人の絵なんて見たことないけど、写真では見たことあるから「よし、描いてやれ」って入れたんだ。

Dill: あとカヌーを漕ぐ変なガキね。あのカヌーの絵は完全にピーター・ドイグのオマージュさ。有名なカヌーの絵があるだろ。丸パクリじゃなくて、「あいつがカヌーを描いて俺はあいつが好きだから、俺もカヌーを描きたい」って思ったんだよ。絵画の世界は慎重にやらなきゃいけないんだ。わかる奴が見れば一発でバレるからな。俺は何も盗んでない、カヌーというモチーフだけだ。大好きな画家はたくさんいるよ、ケリー・ジェームズ・マーシャル、セシリー・ブラウン、ドイツのダニエル・リヒター。リヒターには手紙を書いたんだけど返事が来なくてさ、結構落ち込んだよ(笑)。でもあいつらの真似をして描くことはできない。自分のスタイルを持たなきゃいけない。ありがたいことに、リスペクトしてる人たちから「お前には独自のスタイルがある」って言ってもらえてるから、それは嬉しいよ。

Kun: ディルにはいつも自分のスタイルがあるよ。今回の後はロンドンに行くんだっけ? 向こうで展示をやるときも、また新作を大量に描き下ろすつもり?

Dill: そう、毎回の個展で全部新作を出すのが目標なんだ。だってその方が気が引き締まるだろ? 今回の展示で全部売れてほしいし、もし売れ残ったら次の展示に持っていくこともできるけど、あんまり使い回したくはないからな(笑)。俺自身、他人の展示では新作が見たいし、みんなもそう思ってるはずだよ。俺なんてまだ描き始めて13年だ。79歳とかのじいさん画家のインタビューを見てると、55年も描き続けてるのに「うん、最近ようやく目指すところに近づいてきたよ」なんて言っててさ。素晴らしい境地だと思うよ。たまに自分の絵を見返して「おいおい、俺がこれ描いたのかよ、ヤバいな」って思うことがある。描き終えた後は、自分じゃない誰かが描いたみたいに感じるんだ。

Kun: 日本の有名な浮世絵師の葛飾北斎を知ってる? 最高の絵師だったけど、70歳半ばだかになったときに「ようやくスタート地点に立てた、80歳になったら上達して、100歳になれば本物になれるだろう」みたいなことを言ったんだよ、天才画家なのに。

Dill: その通りさ! だからこそ素晴らしいんだ。日本語を話せるようになりたいなら、やるしかない。フランス語を話したいなら、やるしかないんだ。やり続ければ結果はついてくる。俺は日本語の勉強をサボりまくってるから、自分にブチギレそうになるけどね(笑)。赤ん坊みたいな日本語しか喋れないからさ。いつかちゃんと文章として話せるようにならなきゃな。まあ酒飲んで、散歩して、絵を描くのに忙しすぎるんだけど。日本の小説を英語で読んでる場合じゃないよな。

Kun: 今週30日から『The Plug』に来てくれるお客さんたちに、何を伝えたい? どう感じてほしい? それともさっき言ったみたいに自由に感じて、気に入ってくれたら嬉しいし、嫌いならそれでもいいって感じ?

Dill: もちろんそうさ、俺の人生ずっとそんな感じだしね。めちゃくちゃイケメンだったことはないけど、ブサイクでもない。背が高かったこともないけど、チビでもない。アソコだって人並みのサイズだし、一番デカいわけじゃない(笑)。いつだって「その中間」にいたんだよ。でもそれって恵みだと思うんだ。チヤホヤされる美男子がどうなるか見てきただろ? あいつらロクなアートを作らない、タフさが足りないからさ(笑)。俺は自分の居場所を勝ち取るために戦わなきゃいけない、絶妙におかしな顔に生まれてよかったよ。毎日どんどん老けて醜くなっていくけど、最高だよ。愛おしいね!個展に何を求めるかって? 俺の短い画歴の中で、もう十分すぎるほどいろんなものをもらったよ。ここまで個展を開くのを待って本当によかったと思ってる。昔の自分じゃ技術も、創造性も、言いたいことを表現しきる忍耐力も足りてなかったからね。昔の絵も好きだけど、今の自分の立ち位置の方がずっと好きだよ(笑)。あと30年長生きして、残りの人生ずっと絵を描いていられたら最高だね。

インフォメーション

Jason Dillと1時間半のおしゃべり。

JASON DILL LOOKING AT WHAT I'M SAYING WORKS FROM 2016 TO 2026

会期:2026年10月30日(金)〜11月4日(水)
開館時間:12:00~20:00
場所:THE PLUG(東京都渋谷区神宮前6-12-9)
オープニングレセプション:10月30日(金) 18:00~

会場では、今回の作品とディルのインタビューを掲載したブックも150部限定で発売される。

今回の展示は、2009年に林香寿美さんと林文浩さんによって設立されたキュレーショナル・プロジェクト「The Last Gallery」によるもの。
林文浩さんが1991年に創刊した雑誌『DUNE』の精神を継なぐ場所として展覧会を企画している。

取材

野村訓市

のむら・くんいち|1973年、東京都生まれ。海外放浪の旅を経て、雑誌編集、執筆活動を中心に活動する。毎週日曜日20:00~『TUDOR TRAVELLING WITHOUT MOVING』(J-WAVE)のナビゲーターを務める。