TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム

【#1】北海道で役づくり

執筆:手塚日南人

2025年11月9日

十勝・幕別町忠類 — ナウマンゾウ化石の発見地。

とある映画の役づくりのために、北海道は十勝に位置する「忠類」というまちへやってきた。

明治期の北海道の開拓農民の暮らしを照らし出す長編映画を予定している。身体づくりと乗馬のスキルが必須になるので、いろいろ考えた末に、こちらへ約1か月滞在することにした。

撮影は2年後。随分先のことのようだけれど、考えてみれば、あと2回しか冬の訪れを味わえない。いくら準備をしたところで、実際に厳しい自然と対峙し、森を開拓し、農業を営んだ先人たちの背中には到底及ばないだろう。

いま現在、10月半ば。北海道の他の地域と同様、ナウマン象とユリ根が名物というこのまちも、いよいよストーブが必要な季節に差し掛かった。東京はまだ日中25℃を超えるらしいが、こちらは最高気温が15℃、最低気温は5℃程度。寒い。非常に寒い。東京出身の人間としては、いつまで経っても慣れないんじゃないかと思うほど、朝晩は急に冷え込む。

こんなところで、昔の人はどんな服装、どんな住居、どんな知恵を使って暮らしていたのだろうか。資料館で見る格好や暮らしの様子を前にしても、自分の実感はこの厳冬期を乗り越えるところまでまだ追いつかないのだ。

当時の様子(帯広百年記念館で撮影)

滞在費と生活費を賄うため、朝8時から14時までは温泉ホテルで住み込みバイトをしている。待遇が充実していて、食事や住居が提供される上に温泉は入り放題、おまけにサウナ付きだ。

なんといっても、このホテルから本来の目的である乗馬訓練をさせてもらう予定の牧場まで、車で2分、自転車で約10分という近さにある。

当初の計画では、昼間はこのホテルで働きつつ、早朝と15時以降は近所の牧場に通って馬の世話や乗馬の稽古をする予定だった。

しかし、そう思い通りにはいかないのが人生というもの。

早朝は外で働くには寒すぎるので、牧場での仕事は8時からとのこと。もちろん、ランニングや殺陣の素振り稽古など他にやりたかった日々のルーティンをこなすのも厳しい。そもそも肉体疲労と寒さで布団から出ることさえままならない。

初日の15時、牧場へ足を運んでみると、乗馬の前にまずは薪割りからだと言われる。それから倒木の解体、丸太運びなど、環境整備をする日々。いつ馬に乗せてもらうかは聞かない。

監督から「修行みたいだね」と言われたが、これがまさしく「修行」の始まりだった。

薪割りのフォーム一つをとっても、重心の置き方、斧の握り方、スナップ、体重移動など、さまざまな要素を考慮して洗練させる必要がある。だが、ただ単に効率よくやろうとしても、明治期の農民「らしさ」は醸し出されない。

殺陣の稽古で習った刀の使い方で「降り式」というのがあるのだが、初めは自分はこのやり方で、なるべく手に力を入れずに片膝を落として薪を割っていた。

すると一言、牧場主から「薪は割れているしフォームも悪くない、だが効率重視で不自然な斧の振り方を、俳優として身につけていいものか」と言われた。

俳優としての、斧の振り方。

目を覚ませ! と頬を叩かれたような気分だった。すっかり目の前のタスクを片付けることに夢中で、本来の目的である「役づくり」へつなげられていなかった自分を反省する。

いかんいかん、これも俳優の仕事の一環なのだ。そう自分に言い聞かせて、実際に、当時の農民たちがどのように振っていたのかを想像する。

正解はないが、明らかに自分がやっていた斧の振り方は「不自然」だった。

牧場主の蜷川さんは、きっとそういうことも請け負うつもりで、乗馬の訓練を引き受けてくださったのだろう。だからこそ、まずは薪割りから、トビ(鳶口)で木を運ぶ作業、倒木を解体する作業、そして馬が運び出した木を薪にするという「森の暮らし」の全体像まで見せてくださった。

結局、半月が経った今でも、馬には乗れていない。それでも、この半月で感じた先人への畏敬の念は、乗馬以上に役立つエネルギーになったと思う。

次回のコラムでは、いよいよ乗馬の訓練の様子をお届けしたい。

プロフィール

手塚日南人

てづか・ひなと|1995年生まれ。東京都出身。早稲田大学在学中にスペインへ留学。帰国後、アイヌ文化を探究するため2018年に北海道へ移住。森林ガイドや映像クリエイターを経て、2024年より俳優として本格的に活動を開始。

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