TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム

【#1】「BEYOND NO MOUNTAIN」

執筆:土屋 誠

2025年9月12日

山梨と書いて“いなか”とルビを振って呼んでいた僕の10〜20代。20年以上前の“いなか”の定義は、昨今の『ローカル』となんだかもてはやされて呼ばれている田舎のそれとはわけが違う。それに田舎に求めるものも違っていたんだよなぁ。
街がシャッター街になるのではという焦燥感が、すぐ隣のなんでもある東京に憧れを抱かせるというよくあるストーリー。当時、山梨では好きなCD買えない(またはTSUTAYAのレンタルコーナーにこれぞというCDが入っていない)、ブランドの服買えない(当時は山梨のファッショニスタ武川くんとNOWHEREまでAPEやUNDERCOVERの服見に行ったもんだ)、映画館もなくなっていく、洒落たフリーマガジンもない、などなどカルチャーにどっぷりつかりたい僕は“いなか”に不満ばかり抱いて「俺ら東京さ行ぐだ」と親に息巻いて鈍行電車に乗って東京に出かけていた。

時はグラフィックやカルチャーをフルスロットルで盛り込んだ雑誌も全盛期。
relax、STUDIO VOICE、H、CUT、Tokion、流行通信、purple、TV Brossなどを読みその情報量とデザインにこれでもかと影響され、20代中盤で「俺は雑誌の仕事をするぞ!」と意気込み憧れの東京に上京した。ちなみに東京で働くことになった最初の会社で師匠がいないコンプレックスで悩んでいた僕を救ってくれたMJことみうらじゅんさんにも出会った。東京の仕事仲間はカルチャー好きが多かったので、山梨ではできなかった話もできる。あぁ、東京は僕の心の渇きを癒してくれる…当時はそんな想いだった。

その後リーマンショックで在籍した会社がリアル傾いて強制独立したぼくは、目に見えない仕事の成果に疑問を抱き、この頃から故郷・山梨のことを思い出す。
必死で雑誌の仕事のノウハウやエディトリアルデザインを身につけていったのはなぜか。2000年代の雑誌不況を目の当たりにし、その初期衝動を深掘りすると「山梨で今までにない雑誌を作りたい」という想いが心の中で大きくなっていることに気づいた。
さらに、自分の生まれ育った地域のことをお店やカルチャーでしか見ていなかったため、何も知らないし、教えてくれる雑誌がなかったことにも気づく。
ないなら、作るしかない。知らないなら、知るしかない。しかもそれを自分も含めて多くの人に見てもらうなら0円で配りまくるしかない。当時「風とロック」というクリエイティブディレクターの箭内さんの愛と根性とお金を投入したフリーマガジンにド影響を受けていたので、そう考えたのは必然だった。

そうしてぼくは2013年に山梨にUターンし、BEEKをいうフリーマガジンを作ることになる。
その過程で、“ない”と思っていたものが実は昔から“あった”ことにも気づく。

(つづく)

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【#1】「BEYOND NO MOUNTAIN」

土屋 誠

つちや・まこと(本屋YOMU店主)|1979年生まれ、編集者&アートディレクター。やまなしの人や暮らしを伝えるをテーマに山梨県で伝える仕事をしています。2024年にひとり出版社のMOKUHON PRESSを立ち上げ、2025年には新刊書店のYOMUをオープン

BEEK
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MOKUHON PRESS
https://mokuhonpress.stores.jp

YOMU
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