TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム

【#2】駄菓子研究の成果

執筆:畑井洋樹(仙台市歴史民俗資料館)

2025年5月21日

石橋幸作は駄菓子を人間の生活の中でどのような役割を果たしているかという観点で5つに分類しました。

①子どものおもちゃとして遊びに使うこともある「食玩駄菓子」
②寺社の祭礼などでご利益があるなどとして販売されるような「信仰駄菓子」
③ノド飴やハッカ味のお菓子など薬効を感じさせるような「薬駄菓子」
④各地の名物として土産物としても知られるような「道中駄菓子」
⑤日常的なおやつのように食べられる「お茶請駄菓子」

石橋は駄菓子を食品学的な原料や製法による分類ではなく、人々の暮らしの中で果たす役割によって分類しました。
これが民俗学的な手法であるとして注目され、駄菓子に学術的な意味のあることが示されたのでした。

うさぎの形の落雁
子どもたちの守り神とされた毘沙門堂(仙台市若林区荒町)の祭典で売られた落雁を石橋は信仰にまつわる駄菓子として「信仰駄菓子」に分類しています。

ひとつひとつ手作業で作られるうさぎ形の落雁

石橋が絵に描き、模型で残した駄菓子と行商人の姿は、かつて存在していた生業(なりわい)がどのような姿かたちであったのかを今に伝えます。たとえば明治時代に仙台の街中に存在した行商人がどのような風体であったのか、同時代を生きた人が書き残した回想録や当時の新聞記事とあわせて石橋の作った人形を見ることで、より立体的に、生き生きと当時の人々の暮らしを知ることができます。

学術的にも歴史学(文献史)と民俗学を組み合わせることで当時の日本人の生活誌を窺い知ることが可能となります。写真や映像による記録が手軽ではなかった時代に、独自の手法で行商人の姿かたちを残した石橋の研究成果は、当時のことをリアルタイムで知る人がいなくなった今、大きな価値を持つことになりました。
次回はなぜ石橋幸作がここまで駄菓子にこだわって記録を残そうとしたのか、その時代背景も含めてお話しします。

こんこん飴売り
明治時代の中頃に仙台にいた太鼓をこんこんと打ち鳴らして売り歩く飴の行商人

飴売り大将
日露戦争後に払下げの軍服を着て、仙台の町で飴を売り歩いた行商人

八百屋菓子売り
明治時代の後半の仙台で野菜や果物を模した菓子を売る露店の菓子屋

石橋幸作自筆の画集「駄菓子百趣」
巻物状に仕立てられています。

プロフィール

畑井洋樹

はたい・ひろき|1972年生まれ。2006年より仙台市歴史民俗資料館に勤務。
2024年に特別展「仙台駄菓子と石橋屋」を担当。
過去に特別展「おやつ~今や昔の甘味事情~」「餅・もち~ハレの食~」などを担当した。
食文化が専門ではないが、いろいろなご縁から展示を企画している。

Official Website
https://www.sendai-c.ed.jp/~bunkazai/~rekimin/