カルチャー
二十歳のとき、何をしていたか?/小山田圭吾
2025年4月11日
photo: Takeshi Abe
text: Izumi Karashima
2025年5月 937号初出
二十歳の僕はまだ子供だった。
ミュージシャンになれるとも
思ってなかった。
すべての始まりは、
『ポパイ』だったんです。
「あの日はバンドの練習があって。夜は小沢の家に泊まり、読売ランド前駅近くのファストフード店で『今日は成人式だね』って小沢としゃべっていたのをよく覚えてるんです。『僕らは行かない派だね』って」
成人式って行きましたか? というポパイ編集部員(24歳)の質問に、小山田圭吾さんはそう答えた。「小沢」とはかつての盟友・小沢健二さんのことである。
「二十歳になった1989年1月に平成が始まって、その年の夏にバンドでデビュー。僕の『二十歳のとき』は本当にいろんなことが起こった1年だったんです」
時間をそれより少し前に巻き戻そう。
時は1987年。高校を卒業した小山田さんは美術学校「セツ・モードセミナー」に通っていた。入学の動機は「もともと絵を描くのが好きだった」から。
「美大に憧れはあったけれど、僕にはハードルが高すぎて全然無理。そうしたら、抽選で入学できて授業料も安い学校があると友達に聞いて。それで行ってみたら本当に抽選だったんです。箱に手を入れて三角形のくじを引いて。当たった! って」
そして当時はバイトにも精を出していた。それは「好きなレコードを買うため」に。
「何個かやってました。原宿のキャットストリートにあった雑貨屋さんとか。いちばん長続きしたのは、渋谷のシードホール。昔、公園通りに西武百貨店のシード館というビルがあって、いまは無印良品になっていますけど、そこの最上階にイベントスペースがあったんです。映画を上映したり、展覧会を開いたり、ライブが行われたりする場所。チケットのもぎりをやったり、展覧会の監視係をやったり、ライブのときは機材運びや設営を手伝ったり。近藤等則さんだったり鮎川誠さんだったり岡本太郎さんだったり、いろんな人をそこで目撃することができたので楽しかったんです」
何をしたいのか、何になりたいのか。当時の小山田さんは「将来のことなんてなにも考えてなかった」と言う。好きな音楽を聴き、好きな楽器を鳴らし、好きな絵を描ける学校にとりあえず通い、レコードを買うためにバイトをする、そんな日々。いまの若者からすれば「のんきだな」と思うだろう。でも、当時の若者の多くはそうだった。日本はバブル景気真っ只中。子供と大人の狭間で宙ぶらりんでいることが許される時代だったのだ。そんなとき。小山田さんは本誌『ポパイ』がきっかけで後に自身の運命を決めるバンドを組むことになる。
「実は高校生の頃から『ポパイ』にはたま~に出てたんです。2個上の先輩が編集部でバイトをしていて、ストリートスナップをやるときによく声をかけてきたんです。『明日原宿に来てくれないかな』って。撮影に行けば数千円の謝礼がもらえるし、レコード代の足しにもなる。それで何回か出たことがあって。『オリーブ』に出たこともありました。で、ある日、家に突然電話がかかってきたんです。『雑誌で見かけたんだけど、一緒にバンドやらない?』って」
電話の主は、現在はエディター&ライターとして活躍する井上由紀子さん。当時大学生だった井上さんは、自身のバンドのフロントマンとなるボーカル&ギターを探していたそうで、偶然立ち読みした『ポパイ』で小山田さんを発見、ユニセックスな容姿がイメージにピッタリだと感じ、人伝に連絡先を入手し電話をかけてきた。小山田さんは、とりあえず会いに行ってみたという。
「ギターを弾き始めた中学生の頃から学校の内外でいろんなバンドに参加してきたんです。あるときはヘビメタ、あるときはニューウェーブ、あるときはギターロック、あるときはハードコア、さまざまな種類のバンドを掛け持ちして。10個、いや20個ぐらいやってたと思う。なので、井上さんから電話があったときも軽い気持ちで引き受けたんです。『僕でよければ』と」
そして’87 年秋、井上さんとのバンド、ロリポップ・ソニックの活動が始まった。翌’88 年春になると小山田さんは高校時代の音楽仲間だった小沢さんに声をかけてバンドに呼び寄せ、5人態勢に。
「で、その年の終わりぐらいに僕らのデモテープがある人を介してポリスターレコードのプロデューサー牧村憲一さんのところに渡ったんだと思います。翌年のお正月ぐらいに田島貴男さんのオリジナル・ラブとの2マンライブがあって、それを観に来ていた牧村さんに声をかけられました。今度レコーディングしてみない? って」
それが’89 年1月のこと。1月27日が誕生日の小山田さんにとって二十歳になる直前・直後のできごとである。
そこからはトントン拍子で話が進んでいく。すぐにデビューアルバムのレコーディングがスタートし、8月にはリリースすることが決定。バンド名も「フリッパーズ・ギター」と改めた。ただ、小山田さんには戸惑いがあった。バンドは「あくまで趣味であり、遊びの延長だった」からだ。
「そもそも自分がプロになれるなんて思ってなかったんです。一般的にはマニアックといわれる音楽が好きだったし、これで一生食べていこうとも考えなかった。だからこそ、ジャケットのアートワークを含め、自分たちの好きなものだけを詰め込んだんです。結果売れなくても仕方がない、もともとマイナーな存在なんだからって。自信も覚悟もなかったからだと思いますね」
そして、ファーストアルバム『three cheers for our side~海へ行くつもりじゃなかった』が完成する。がしかし。
「発売日が8月25日だったんですが、その月の頭ぐらいに友達の車に乗ってたら交通事故に遭っちゃったんです。なので、発売日は病院で迎えました。ベッドに固定され脚を牽引した状態のまま(笑)」
後方からの追突事故だった。車は対向車線に押し出され、助手席に乗っていた小山田さんはダッシュボードと座席の間に挟まれ骨盤を骨折、全治6か月の重傷を負う。当然ながらデビューライブは延期に。
「で、11月にようやく退院して松葉杖を突きながら戻ってきて。以降は、僕と小沢と2人きりで活動することになりました」
なんとも激動の「二十歳のとき」である。
AT THE AGE OF 20

1989年、フリッパーズ・ギターとしてデビューした頃の小山田圭吾さん(右)。シングルやアルバムなど一連のビジュアルをデザインしていたのは故・信藤三雄氏。ピチカート・ファイヴのアルバム『Bellissima!』のジャケットを気に入った小山田さんたちがアートディレクションを依頼。ミュージックビデオも信藤さんのディレクションで撮影されていた。フリッパーズ・ギターは3枚のアルバムを作り、’91年に解散。2人はその後ソロアーティストとして活躍することになる。
27歳になった頃、ようやく自分の
足で立って歩けるようになった。
その後、フリッパーズ・ギターは翌’90 年に「恋とマシンガン」がスマッシュヒット。「マイナーだと思っていた」音楽性も新しく到来した「平成時代」の気分とマッチ。イギリスで録音したセカンドアルバム『カメラ・トーク』もヒットし、後に「渋谷系」と呼ばれる音楽ムーブメントも生むことに。しかし小山田さんは、当時のことを振り返るたびに「とにかくあの頃は何も考えてなかったから」と言って頭を掻く。
「結局、子供のままだったんです。毎日が社会科見学の気分だったし、このままこれが続いていくとも思えなかった。ミュージシャンとしての自覚もなかったんです」
じゃあ、いつ頃から自信が持てるようになりましたか? ソロになってコーネリアスを始めた頃(’93年)でしたか?
「いや、それでもまだ全然地に足がついてなかった。そういう意味では、3枚目のアルバム『ファンタズマ』(’97年)からだったと思います。27歳の頃。ようやく自分の足で立って歩けるようになったなって」
プロフィール
小山田圭吾
おやまだ・けいご|1969年、東京都生まれ。’93年、コーネリアスとして活動開始。国内外のアーティストとのコラボレーションも多く、音楽と映像がシンクロするライブパフォーマンスで世界中の音楽ファンを魅了している。最新アルバムは『夢中夢』(2023年)。
取材メモ
二十歳のとき、デビューアルバム発売目前に交通事故に遭い3か月の入院を余儀なくされた小山田さん。しばらくの間は足を動かせなかったため車椅子を使うこともできず、病院内で移動するときはベッドごとだったそう。幸い手は動かせたので病室ではひたすらギターを練習し、空前のバンドブームを巻き起こしたテレビ番組『三宅裕司のいかすバンド天国』も「文句を言いながら楽しく」視聴。「好きなイカ天バンドはリトル・クリーチャーズでした」とのこと。
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