カルチャー

「私は新宿である」ヴィヴィアン佐藤さんロングインタビュー。/前編

「新宿ゴールデン街 秋祭り」開催間近の特別企画。読者プレゼントも!

photo&edit: Masaru Tatsuki
text: Ryoma Uchida

2024年11月6日

 国内屈指の飲み屋街・ゴールデン街。11月10日(日)、「新宿ゴールデン街 秋祭り」が開催される。約300軒もの個性的な飲食店がひしめくこのエリアで、気軽にはしご酒をしようという一風変わったイベントだ。

 このイベント内で、ゴールデン街をはじめ、新宿を主な撮影場所として選んでいた写真家・渡辺克巳の展覧会が開催される。渡辺克巳の写真を街や遠くのビルに投影する、不思議な展示である。

 監修したのは美術家、文筆家、非建築家、ドラァグクイーンのヴィヴィアン佐藤さん。鮮やかな青のリップスティックに巨大なヘッドドレス。取材日は曳舟の商店街の一画だったが、道ゆく人がひっきりなしに声をかけていく人気ぶり。

 お話を伺ってみると「I am 新宿」と、冗談混じりに挨拶をしてくれた。いや、これは冗談だけではない。建築のお仕事もするヴィヴィアンさんだからこそ、都市や生活を巡る考えがあるのだ。今回は、そんな言葉の真意から、写真家・渡辺克巳との関わり、そしてもちろんお祭りのことや新宿での飲み方(!)まで、たわいもないけど、とっても大切な話が詰まったロング・インタビューを敢行しました。後編の記事の最後には読者プレゼントもご用意! 最後まで読んで、ぜひ応募してみてね。

アングラ演劇・舞踏・ゲイバーの三択。

 ヴィヴィアン佐藤さんとは何者なのか。遡ると、マルキド・サドの翻訳や幻想文学で知られる小説家・澁澤龍彦やアングラ演劇の重鎮・唐十郎を愛読する、ちょっと早熟な高校生だったとか。

「唐十郎の『佐川くんからの手紙』(実際に起きたパリ人肉事件を追ったルポタージュ風小説。芥川賞受賞作。)の公演を観に行ったんです。そしたらガッカリして。掛け声や間合いのような、演劇の形式を重んじる姿勢が、なんだか違和感を覚えまして。それで色々観ていくうちに『舞踏』の身体をそのまま提示するあり方にしっくりきたんです」

 舞踏は、土方巽や大野一雄らが1960年代に始めた前衛的ダンス。白塗りや裸体、スローな動きが特徴で、いわゆるダンスとは一線を画した独自の身体表現の芸術だ。

「何かを表象するでもない肉体そのものに面白さを感じたんですね。高校時代、金沢で舞台美術の手伝いを始めたんですが、でもそれも、終わったらお辞儀して帰るみたいな形式がだんだんしっくりこなくなってきて。演劇も舞踏からも距離を置いてたら、ある時にニューハーフクラブ、ゲイバーの人たちに出会うわけですね。人のお金で昼間からお酒を飲んで、旅芸人のように渡り歩いている。社会に入っていないような人たちの存在を知って、自分はこれだ、と思ったんですよ。要するに、お店や舞台裏でお化粧して、終わったら着替えて帰るのではなく、もっと『現実の生』を生きたかったんですよ。家を出る時からこれをやりたいし、コンビニも行くし、レストランも行くし、銀行にも行くしっていう、そういう現実の生を生きたかったんです。それがゲイバーの人たちにぴったり来たわけなんですよ。自分にとって、アングラ演劇か舞踏かゲイバーかの3択で、ゲイバーが今の自分を形成していますね」

 今の自分は一つの演劇かもしれないと語るヴィヴィアンさん。でも演技をしているわけではなく、自分の表現として「現実を生きているってことが大事」と語る。不思議な3択だが、なんだかしっくりくる。

「ゲイバーで働きながら、金沢の大学院で助手などをしつつ、建築の勉強をしました。1992年頃です。その学生のときにアルバイトをしたのがショーパブ、ニューハーフクラブだったんですよ」

 そこのママが、今回「ゴールデン街秋祭り」で展示をする、写真家・渡辺克巳のモデルだったんだとか。70年代に新宿にいた、元祖ドラッグクイーンともいえる1人で、また、ヴィヴィアンさんの名付け親だ。

「90年代当時、テレビでもよく取り上げていたこともあって、女性らしく、面白いニューハーフが流行していたんですよ。でもそのママは、誰が見ても綺麗とかでなくても、太っていたり、醜いとされていたりしても、その美しさもあるっていう考え方のある人だったんですよね」

 その後、1995年頃に上京し、東京の建築事務所に出入りするようになる。

ヴィヴィアン佐藤さんのゴールデン街史。

「東京に出てきてすぐはアトリエ系の建築事務所にいて、NYの建築事務所にもインターンなどしていました。さらに日本で貯金をして、もう一度出直そうとした頃、歌舞伎町のとある大きな店でママをやらないかと誘いを受けたんです。ドラァグクイーンがいたり、女の子がトップレスでショーをしたりするような、ショーパブですね。そのうちお金が出なくなり、お店と従業員との板挟みにあいました。それから銀座、六本木とお店を転々とすることになっていくんですね。貯金できないどころか、借金だけが増えていくという。後輩のドラァグクイーンと、もうちょっと稼げるような店を始めようと辿り着いたのがゴールデン街でした。98年頃でしたが、ゴールデン街も荒んでて。今は360軒ぐらいのお店がありますが、当時はその3分の1ぐらいで、場末感がありました。それが非常に居心地が良くて。今度やるんだったらここがいいんじゃないかと思ったんですね。小さなお店が多いし、お客さんにも見た目では分からないような変わった人たちが多くて。面倒臭い人たちがいるなあ、というのが最初の印象でしたね」

 そんな印象とは裏腹に、ヴィヴィアンさんはゴールデン街を活動の拠点とするようになる。場末感漂う、面倒臭い場所。そんな街や人のことを嫌いにならないのはなぜだったのか。

「システム化されたキャバクラや大きなゲイバーは、先が見えるというか。分かりやすいというか。まあ、歌舞伎町はぼったくりも多いですけども。ゴールデン街の場合は、お店1軒1軒が全然違うんです。1つ1つが宇宙というか。宇宙が繋がって、1つのゴールデン街ができてるような。それが非常に面白いんです」

「それに、安心安全な酒場ってつまらないんですよ。なんか人によって値段が違うと『あの人常連だからそうなのかな』とか『ツケが効いてんのかな』とか、なんかそういうのも酒場の魅力というか、同時に危険で面白いところなのかなって感じがして。ゴールデン街はおそらくそういう雰囲気がちょっと残っていたんでしょうね。それが心地よかったんですね。例えば、山手線で駅を降りてみると、駅前はほとんど同じお店しかないですよね。大企業どころか、世界企業のフランチャイズです。それだけじゃ面白くないというか。もっと不均一で独自の時間と空間を持ってるような町じゃないと危険だと思うんですよね。 その意味で、ゴールデン街というのは、非常に不均一で、それぞれの価値観でジャンル分けもできないうちに動いてる。『アジール』みたいな言い方をしますが、それが“らしさ”でもあると思います」

 アジールとは、一般のルールが通用しない「聖域」「避難場所」「自治区域」といった意味を持つ言葉。都市の余裕が含まれる場所がなければ、それはある意味危険な場所なのではないかという直感がヴィヴィアンさんにはあったのだろう。たしかに、あらゆるものを排除していくことだけが正解とは限らない。

 そして写真家・渡辺克巳と出会ったのもその時期だったとか。

渡辺克巳がヴィヴィアンさんを撮った一枚。

「あ、撮られた!」流しの写真家・渡辺克巳。

「あれは1999年とかですね。明け方、仕事終わりに歌舞伎町のクラブから出てきたところでした。ちょこちょこっと横から出てきた垢抜けないおじさんがいて、写真を撮られたんですよね。『あ、撮られた』とは思いましたけど、観光客とかカメラマンとかにもよく撮られていたから、特段変わったこととも思っていなかったんです。それが渡辺克巳だと気づいたのは、ワタリウム美術館で大回顧展が開催された時でした。2枚ほど私の写真が展示してあったんです。で、やっぱり見てみると曲者がたくさん。チンピラにホームレスに……。誰が撮っても撮れる写真じゃないんですよ。懐にこう、さっと入るような、そういう人だったんじゃないかなと。他の写真を見ても、被写体により寄り添うというか、一緒に入るっていうかね」

 写真家・渡辺克巳は新宿を舞台に活動した写真家。60年代から「1ポーズ3枚1組200円」でポートレート撮影を請け負う「流しの写真屋」として知られ、1998年の写真集『新宿』により日本写真協会年度賞を受賞し、2006年1月29日に肺炎により亡くなった。金沢のママの写真もこの『新宿』に収められている。

「彼の写真がすごく面白いのは、被写体はもちろん、 実はそのバックに偶然映ってる、街角、風景、それも主役だと思うんですよね。移り行く街の雰囲気や空気感の撮り方っていうか、切り取り方も非常に面白いなと思います。そもそも、『アジール』的なゴールデン街や歌舞伎町は、今でこそスマホで撮り放題ですけど、15年くらい前はスナップ写真なんか絶対撮れませんでしたよ。それなのに、彼の写真には風俗嬢もたくさん映ってますけど、みんないい顔してますよ。やっぱり鏡というか、写真は撮る人によって全然変わってきますからね。私もびっくりはしましたけど嬉しかったですしね」

ワタリウム美術館で開催された『流しの写真家 渡辺克巳 1965-2005』(2008年)フライヤー。

インフォメーション

「私は新宿である」ヴィヴィアン佐藤さんロングインタビュー。/前編

新宿ゴールデン街 秋祭り

約300軒もの個性的な飲食店がひしめく、国内屈指の飲み屋街・ゴールデン街で気軽にはしご酒。戦後に誕生して以来、幾多の変遷を経て、輝き続ける同エリアにフォーカス。

また、2006年逝去した流しの写真家という異名を持つ渡辺克巳氏の名写真集『新宿』から幾つかの代表作をゴールデン街の路地や建物、遠くのビルに投影する展覧会をヴィヴィアン佐藤さん監修により開催。当日は、5軒はしごで渡辺克巳氏のポストカードが進呈されます。

場所:新宿ゴールデン街
日程:11月10日(日)
時間:15:00~22:00
イベントの楽しみ方:全店チャージ無料、1杯500円~ ※雨天決行

Official Website
https://shinjuku-bar.tokyo/goldengai/