カルチャー

2,000点もの民家を描き続けた画家の息づかいが感じられる『向井潤吉アトリエ館』。

東京五十音散策 桜新町④

2024年10月28日

photo: Hiroshi Nakamura
text: Eri Machida
edit: Toromatsu

東京都内の駅名を「あ」から五十音順に選出し、その駅の気になる店やスポットなどをぶらりと周っていく連載企画「東京五十音散策」。「さ」は桜新町へ。

 生前2,000点とも言われる数の民家を描き残し「民家の向井」と呼ばれる画家・向井潤吉の足跡をたどることができる瀟洒な美術館が弦巻にある。

『向井潤吉アトリエ館』は、向井氏が1933年より家族と住み、自宅兼アトリエとして使用していた場所。火災による建て直しや土蔵の移築などを経て1969年に現在の形になった。家と同様に靴を脱いで入ると、玄関のそばにはすぐに和室、横には庭を眺められる縁側があり、絵の具が豪快に飛び散った床からは創作活動をしていた光景がありありと浮かんでくる。

 元々武家屋敷や豪農など威厳のある建物には興味がなく、無造作な民家にこそ生活の強靭さが詰まっていると考えていた向井氏。戦後、日本の民家が失われていくのを惜しみ各地を巡った。草葺き屋根の家を描くため全国へ足を伸ばし、旅先で購入したとっくりやこけしなどの工芸品はもちろん、シウマイの包み紙や箸袋まで丁寧に保管した。同じ民家といえど、描いている場所はさまざま。絵から各地の土地の風土や気候なども見えてきてイメージが膨むから見飽きない。見たことない風景もどこか懐かしくて、向井氏が惹かれていた理由もだんだんとわかってくる。

 好きなことを好きと言い続ける向井氏の作品を前にしていると、そっと背中を押された気分になるはず。忙しい日々を送る中で自分らしさを見失いそうになっているときこそ立ち寄りたい場所だった。

庭を眺めるのに最適な席。愛用していた椅子と照明は、鳥取の新作民藝運動の指導者である吉田璋也氏によるデザイン。

武蔵野をイメージして造られた庭はほとんど毎日手入れを欠かしていない。秋は紅葉や柿、栗、冬は山茶花や椿、春はツツジやヤマブキ、夏は紫陽花やクチナシなどと四季折々の表情豊かな風景が見られる。

向井先生が全国各地で買った工芸品が至るところに並んでいるのも見どころ。

置いてある画材や絵の具が跳んだ跡を見るとアトリエとして使われていたことがよく伝わってくる。

アトリエ館へ向かう歩道で見つけた案内は近くにある中学校の生徒が彫ったもの。

アトリエ館へ向かう歩道で見つけた案内は近くにある中学校の生徒が彫ったもの。

インフォメーション

2,000点もの民家を描き続けた画家の息づかいが感じられる『向井潤吉アトリエ館』。

向井潤吉アトリエ館

1993年に世田谷美術館の分館として開館。現存する絵画のほとんどは世田谷美術館に寄贈しており、年に2回展示を入れ替える。来年3月までの企画展のテーマは「向井潤吉の心をとらえた名もなき風景」。草原の中のあぜ道や車窓から見えた1本の桜など旅の途中でふいに出会った光景を描いた作品も紹介している。洋画家の中村研一氏の自邸と同じ、佐藤秀三氏が設計。

○東京都世田谷区弦巻2-5-1 ☎︎03・5450・9581 10:00〜18:00 月休

Official Website
http://www.mukaijunkichi-annex.jp/