カルチャー

実態のない「秋田美人」

文・村上由鶴

2024年9月30日

秋田県に住み始めて半年が経ちます。東京で仕事をすることもあって、行ったり来たりしているうちにあっという間に時間が経ち、まだまだ知らないことだらけではありますが、秋田に戻るとちょっといい匂いがする、と感じられるくらいには愛着がわいてきました。

秋田に暮らすようになって驚いたのは、令和に入ってもまだ秋田にとって「秋田美人」がこの郷土にとって誇らしい「産物」であるということ。日々、ところどころで「秋田美人」という言葉を目にするのです。

そんななか、勤務先の大学の図書館をうろうろしていたら、秋田県写真協会編『秋田美人』(1974年)なる写真集を発見しました。
ひらいて見ると、秋田のアマチュア写真家たちが、思い思いの「秋田美人」の写真を応募し、写真家の稲村隆正の審査によって選ばれた100点の写真がまとめられているとのこと。幼い少女から妙齢の女性、そして、個人や複数人など、その切り取り方は実にさまざまではありますが、すべて女性のポートレートであるということは一貫しています。
雪景色や田んぼでの仕事着、そして祭りの様子など、秋田の風土や風俗を感じさせる写真は確かにありますが、1974年らしいおしゃれを楽しんでいる女性の姿もあります。

応募したアマチュア写真家による思い思いの「秋田美人」の写真はさておき、この写真集のなかでおもしろいのは、「秋田美人」という下世話な企画を地域の芸術として成立させるためなのか、なぜか充実している寄稿のテキストです。

例えば、当時の秋田県知事である小畑勇二郎は、「これは、全国的にも初めての試みであり、種々の困難が考えられるところでもありますが」と前置きしたうえで、秋田美人を「私ども秋田県人が、祖先から受けつぎ、そして子孫に伝えなければならない地域の宝」と語ります。「秋田美人を、そしてこれを産み育てた秋田の風土と人を理解していただけるよう念願してやみません」と、なんだか若干、および腰というか、「秋田美人」を地域の目玉にすることにはちょっと迷いもある感じでしょうか。

当時の秋田芸術文化協会会長の人見誠治はこの写真集から「最大公約数的“新秋田美人像”が生まれ出ることが期待される」、「秋田の男性たちが、秋田の女性美をどう理解しているか、という回答になるかもしれない」と語っていて、「女性美」は男性が決めるものであるという考え方がナチュラルに根付いていたことがわかります。
さらに言えばこの写真集に参加している(名前から判断しておそらく)女性と思われる2名の写真家はいないことにされています。

秋田県・湯沢市の医学博士である杉本元祐のテキストは「まわりから美人研究をしているなどとかなり雑音も入ったが」という苦労話からスタート。
高校生男女6千人を調査した杉本氏は、皮膚の色が「白人種に近い白さの膚のものが多かった」、「毛髪、瞳の色は純黒に近いもののパーセンテージがかなり高く、顔だち(頭の大きさを含めて)、体格の構成が有名な美女の彫刻(ミロのビーナス)に近い女の子もいた」ので、これが「美型を示している」としています。ところどころに、西洋の美的な感覚が内面化されていて、(当然ですが)秋田独自の美人像を特定するのに苦慮している様子がうかがえます。

とはいえ、外見的な「美」に関する記述が多いというわけではなく、「美人とは内面からにじみでるもの」と言って、「秋田女」の性格に関する考察も多様です。

秋田魁新報社の井上隆明は、都会の「現代の女たちは高層ビルのようにかさかさし、ウーマンリブとかで、男を顎で使い、エロスに蓋をしたようなウカラ・ヤカラが多い。こうしてみると東北の辺境にひっそりと大輪の楚々とした花を結ぶ秋田女は男性の鏡体」となる、と、「ウーマン・リブ」を実践する都会の女性と「秋田女」を比較し、秋田の男性の振る舞いによって、秋田の女性の振る舞いが左右されることを示唆しています。

数少ない女性の寄稿者のひとりである沢木隆子は「秋田女の心意気」という文章のなかで、秋田の「きめ細かで色白が生れつきの若い女性が、アイシャドウやまつげなどつけて加工すると『後れた秋田の背伸び姿』とからかわれる。くやしいではないか。何をしようと自由なのだが」と反発。勝手にさせてくれ、ということですね。わかります。
沢木は続けます。「秋田女は概して性格的にも明るくて、東北的な重い暗さはもともと無い。ハイカラ好みは昔からのことで、別に後れているから背伸びして東京づいているわけではなかろう。大体古いものに執着しない。伝統なども別に意に介しない極めて日本人的長所短所を持っている」。このように、『秋田美人』という写真集におさめられたテキストでありながら、「秋田らしさ」の押し付けを拒むような態度が見て取れます。

さて、写真集におさめられた写真に目を戻せば、そこに写る多様な女性たちの姿から、特定可能な「美人的要素」を取り出すことなどできない、と思わずにはいられません。アマチュア写真家たちの写真は正直で、写真集への寄稿のなかで多くの人がいろいろと秋田や美人について意気込んで語っていても、その写真家たちによる100人分の「秋田美人」に対する考えのあらわれが、結局のところ「秋田」および「美人」という言葉が示す唯一の決定的な姿などないことをはっきりと示しています。
ですから、結局、最大公約数的秋田美人が期待されていた写真集『秋田美人』が写し出していたのは、「秋田美人」に実態などないのだ、ということだったのではないでしょうか。ではまた!

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秋田県写真協会編『秋田美人』D.Iフォト、1974年

プロフィール

村上由鶴

むらかみ・ゆづ|1991年、埼玉県出身。写真研究、アート・ライティング。日本大学芸術学部写真学科助手を経て、東京工業大学大学院博士後期課程在籍。専門は写真の美学。光文社新書『アートとフェミニズムは誰のもの?』(2023年8月)、The Fashion Post 連載「きょうのイメージ文化論」、幻冬舎Plus「現代アートは本当にわからないのか?」ほか、雑誌やウェブ媒体等に寄稿。