ライフスタイル

【#4】花咲くスポーツ少女の逆転現象

執筆: 鈴木涼美

2023年5月29日

photo: Takao Iwasawa(portrait)
text: Suzumi Suzuki
edit: Yukako Kazuno

 移民も多く人種に多様性があるロンドンの学校は髪の色などはもちろん自由だったし、お弁当もお菓子やジュースなど好きなものを持って行けた。一応キリスト教の学校だが、あまり厳格な宗教性はないのでヒジャブをつけて通っているアラブ系の生徒なんかもいたし、一時期学校で流行った、髪の毛にカラフルな糸を巻き込んでブレイズを作るというのも沢山の生徒がつけていた。それから授業内容も比較的自由で、同じ教室で学んでいても、理解のスピードによって別の問題集をやっていることは多いし、アートの授業で人形を作るとなっても、親の方針で裁縫の教育は不要、となった子が水彩画を描いているというような光景もよくあった。多様性については極めて寛容、その代わり日本の学校が神経質なほどに重視する公平性についてはあまり気にしない。だから演劇の授業で主役をやる子はいつも一番演技が上手い同じ生徒だし、ポスターを描く子は絵の上手い子だけだったので、それを不公平と思う人にとっては居心地はそうよくなかったかもしれない。

 ただ、自由だからといって別に先生がみんなフレンドリーで優しいというわけではない。単に多様性に慣れているだけで、先生によっては理不尽なことで怒り狂う人もいる。いつも全校生徒がわいわいと朝礼を待つ朝のホールで、いつも通りわいわいと遊んでいたら、今日は私は頭が痛いのよ! とキレてくるなど。要するに、先生たちにも多様性と自由が認められているので、あの人のクラスはぶら下がっているタイプのピアスも許されるのに、この人のクラスは耳に密着したシンプルなものしかつけてはいけない、というようなことはごまんとあった。

 特に芸術系や運動系の授業は自由の幅が広く、得意な人はどんどんやるが、苦手な人はあまりまともに参加しない。驚いたのは一応年に一度だけある運動会に、半分以上の生徒が制服のまま参加していることだった。見学者が多いのかと思えばほとんどがスカートに革靴のまま走っている。スプーンに卵を入れて走る競争や、借り物競争などは確かに制服のままで何の支障もない。ちなみに出場する種目は全8種類くらいの中から、1種目につき1ポンド払って好きなだけ出場できる。なんで有料とも思ったが、なんで制服とも思った。でも確かに、運動会なんていうのは日本でも楽しい人はすごく楽しいだろうけど運動神経のない私のようなものは気まぐれに応援などして良い天気の下でぼけっとしているくらいのものだし、別に社会に出る訓練というよりは楽しい思い出作りなわけで、やる気に応じた格好で全然良いと思った。楽しさというのは強要されるものではないし。

 ところで私は言葉通り運動神経にはとことん恵まれないので、中学でも高校でも足の遅さなどは後ろから数えて5番目くらいに入っていたのだけど、なぜかロンドンの学校では体育で一番輝く生徒に選ばれた。英語が不得意なせいで作文や文法の授業で輝かないのはそれはそうなのだけど、実際に日本でビリクラスに遅かったはずの徒競走が学年で一位になったのだ。別に日本人が飛び抜けて運動神経が良いわけでもないと思うけど、とにかくロンドンのみんなは鉄棒の逆上がりどころか前回りもできない、足も揃いも揃って遅い。そう考えると日本の強制的な運動会や体育の授業というのも、多少は何かの役に立っているのかもしれない。

 そんなわけでたった2年弱のロンドン滞在は、何かと戸惑いや驚きに満ちていて、最後まで飽きることなく、私は帰国が決まった折には是非とも残りたいと思うほどそこが気に入っていたのであった。日本に帰ってきたら90年代の日本の若者文化に圧倒されて、すぐに英国のことなど忘れていたけど。

プロフィール

鈴木涼美

すずき・すずみ | 1983年、東京都生まれ。作家。慶應大環境情報学部在学中にAVデビュー。キャバクラなどに勤務しながら東大大学院社会情報学修士課程修了。修士論文は後に『「AV女優」の社会学』として書籍化。日本経済新聞社記者を経てフリーの文筆業に。小説から書評やエッセイまで幅広く執筆。著書に『身体を売ったらサヨウナラ』『ニッポンのおじさん』『JJとその時代』『娼婦の本棚』『ギフテッド』など。最新刊『グレイスレス』は、女優たちにメイクをする化粧師の目を通して家族やポルノ業界を描いた中編小説。