ライフスタイル
【#2】花咲く制服少女のイングリッシュ問題
執筆: 鈴木涼美
2023年5月15日
photo: Takao Iwasawa(portrait)
text: Suzumi Suzuki
edit: Yukako Kazuno
早めに起きて朝ごはんを食べ、適当なリュックにサンリオの筆箱やお弁当など詰め込んで、満を持して校舎の前に立ってみたものの、10歳の私はやや不安を感じていた。というのも「あそこ行けば買えるから」と聞いた制服が、どうにも規定がふわっとしていたから。赤かグレーのセーターかトレーナー、白いシャツにグレーのスカートか、赤と白のストライプのワンピース、靴はなんとなく革靴、ジャケットは指定のもの。ワンピースのデザインは店によって、丸襟もあれば開襟もあるしベルト付きもあればローウエストもあるので、なんとなくそれっぽく見えるグレーの膝丈スカートと無難な白シャツに赤のトレーナーを選んだが、果たして当たってるのかどうか。
ただ校内に入ると私はそれなりに溶け込み、とりあえず杞憂だったことはわかった。実はこの後それなりに長く学生生活を送るにつれ、このゆるさや自由さが決して優しく簡単なものではないと知るのだが、少なくとも赤の色味がちょっと違うとか、スカートのプリーツが皆と違うということで初日から浮くことはなかった。全体的に日本の学校の方が欧米に比べて校則が厳しく、細かいことにうるさい、理不尽な校則が多いという印象はあるが、少なくとも私が経験した限り、日本なら絶対誰も気にしなそうな、教員室でノックの回数が多かったとか、絵の具の洗い方が汚いとか、そんな理不尽なことでブチギレる先生はむしろ英国に多くいた。ただ、確かにちょっとでも人と違う昼食や服装であるとか、何月生まれなのに違う学年にいるとか、横一列ではないことに対しては極めて寛大なのは間違いない。
学校全体の(といっても日本で行っていた学校の一学年よりちょっと少ない)朝礼の後に教室に行くと、さすが子供同士、他の少女たちはすぐに色々と気を使い話しかけてくれて、リュックの置き場所などを教えてくれた。私の他に黄色肌は香港の子が一人。アフリカ系の子が一人、ユダヤ系が三人、他もノルウェーと英国、英仏、インド系、中華系などのミックス。制服も食べるものも多様性に開かれている理由は一目瞭然ではある。
私はトイレどこですか、と、はじめまして、くらいの英語しか喋れなかったのだが、10歳くらいだと子供の会話であるから、割と身振り手振りでわかったような気がして先に進める。と、思っていたのは私だけで、一週間くらい経った後、母親がクラスメイトに、「みんなスケバンごっこが好きなんだって?」とか、「サビーナちゃんがこのクラスの王なんでしょ?」と答え合わせをしたところ、「え、違うよ、みんなで兵隊ごっこしてたんだよ」とか、「このクラスで一番の中心はゾーイちゃんだよ」と色々間違っていたので、私は勘と当てずっぽうでしばらく過ごしていたらしかった。ちなみにサビーナちゃんは、苗字が「King」で自己紹介しただけなのを、私が勝手にこのクラスのキング(=ボス)か、と思っただけだった。
というわけで、言葉の壁というのは少なくとも13歳くらいまでの子どもにはあまりストレスにならない。ただ、授業は正直まるっきりわからないので、活躍の場は非常に限られており、承認欲求はあまり満たされない。英語が不得意な子の中で、圧倒的に人気だったのは一つ上の日本人でピアノが上手い子、それからロシアから来た運動神経が一位の子。海外で学校に行く場合、一に楽器、二に側転を練習しておくのが大事だと学ぶ。両方できない私が唯一見出すことのできたアピールポイントは、日本の慣習のおかげで一年ちょっと前にマスターしていた九九だった。英国にそのような数え歌的なものがないため、6×7とか8×4を瞬時に答えられるという特技一本頼みで、なんとか夏休みまではやさぐれずに過ごすことができたのでした。
プロフィール
鈴木涼美
すずき・すずみ | 1983年、東京都生まれ。作家。慶應大環境情報学部在学中にAVデビュー。キャバクラなどに勤務しながら東大大学院社会情報学修士課程修了。修士論文は後に『「AV女優」の社会学』として書籍化。日本経済新聞社記者を経てフリーの文筆業に。小説から書評やエッセイまで幅広く執筆。著書に『身体を売ったらサヨウナラ』『ニッポンのおじさん』『JJとその時代』『娼婦の本棚』『ギフテッド』など。最新刊『グレイスレス』は、女優たちにメイクをする化粧師の目を通して家族やポルノ業界を描いた中編小説。
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