ライフスタイル

【#2】Jimbocho in the mid 90s

執筆: 中武康法

2023年4月24日

illustration: Sayoko Nakadake
text: Yasunori Nakadake
edit: Yukako Kazuno

「B級グルメの街」なんてまだ呼ばれてはいなかったと思うが、当時から神保町にはバラエティに富んだ食堂がひしめいていた。『ボンディ』や『キッチン南海』など現在も続く人気店はもちろん、低価格を極めた学生向けのお店もいっぱいあった。ご多分にもれず貧乏学生だった私がよく利用していたのは、すずらん通りの『たつや』。牛丼などの丼ものを安く提供していた店だ。メニューも豊富で、肉が少ない代わりに豆腐がのった牛丼をはじめ、カツ丼や親子丼などの定番、そしてあさり丼や開化丼(文明開化の頃の牛飯のイメージ?)といった珍品もあり、低価格で毎日ローテーションできる魅力があった。とはいえ、ちょっと薄味なので飽きやすくもあったが。薄味といえば、パチンコ屋『人生劇場』の奥にあったカレー屋を思い出した。味こそ薄いが、あそこもかなりの格安でお腹いっぱい食べられた記憶が。店名を思い出せないのでネットで検索したら、「伊峡の向かいにある水っぽいカレーライス店」と出てきて妙に納得。そしてそのすぐそばにあった『はらの』にもお世話になった。今でこそ“ひとり焼肉”の店など珍しくなくなったけれど、その『はらの』の特徴は“ひとりすき焼き”である。どこかの合宿所の食堂のような無機質でだだっ広い空間で、一席一席にミニコンロが用意されており、そこで自分で加熱しながらすき焼きを楽しむのだ。「フライドチキン鍋」という、鳥の唐揚げを鍋で玉子とじにするという変わり種もあったが、フライドチキンがいつも冷たくて、揚げたてだったらどんなに旨いことかと夢想して食っていた。

そしてガツンと食べたい時に頼っていたのが、今も人気の『ライスカレーまんてん』。小麦粉でネットリした濃厚なルーはただでさえボリューム満点なのだが、むしろ大きな揚げ物がのってこそバランスが成立する危険な感じ。箸休めのために豚カツをかじるというそんな高カロリー感は、腹ペコ大学生にとって最高の養分だった。そして、なぜかいつも「申し訳ない!」と言っていた店長さんも思い出深い。そういえばあの頃の『まんてん』は、隣接する店舗で姉妹店のような定食屋もやっていて、鮭フライ定食が私のお気に入りだった。また食べたいなァ。神保町において食べ物の話は尽きる事がない。『洋食屋バンビ』の白いカップのコンソメスープ、『とんかつ駿河』の少し硬くて香ばしいコロモ、パラパラ感皆無でこってりした『さぶちゃん』の半チャーハン、そして明大の地下にあった学食ランチの、ハンバーグ上のまったりとしたホワイトソース。これらの味覚や嗅覚の鮮烈な記憶が、いつだってあの時の神保町を想い出させる。

明大生は基本的に、大学生活の前半を京王線の「明大前」駅で知られる和泉キャンパスで過ごすのだが、我ら「二部」の場合においてのみ、四年間すべてを御茶ノ水で過ごす。上京して初めてバンド活動をスタートした自分にとって、“楽器の街”であるこの地に大学があるという事はとてもラッキーな事だった。ドラムを始めた私は先輩などに連れられて早速楽器店めぐり。まずはスティック探しで、見た目はほぼ変わらないドラムの“バチ”も、こんなに種類があるのかと驚かされた。人気ドラマーのシグネチャーモデルが気になったが、肩の力が抜けない初心者はどうしたってすぐにへし折ってしまうので、ノーブランドで複数本が束になった安価なものを選んだ。

ドラムという楽器は演奏の場所を選ぶ厄介なもので、大抵のプレイヤーは練習する環境を得るだけでもひと苦労なのだが、防音スタジオもドラムセットも常時使えるサークルに入ったので、そこは非常に恵まれていたと言えよう。とにかく毎日、少しでも時間ができたらスタジオに入って練習した。練習内容は主に楽曲のコピー。譜面はよくわからないし、ドラムなら耳コピが一番だと先輩にも教わったので、カセットテープを何度も巻き戻しながら、その真似事をした。一年生同志でバンドを組まされ、そこからコピー(ないしはカバー)にてサークル内での公演に挑んでいくわけだが、楽曲はそれぞれバンドで話し合って決める。公演の度にラジカセを囲んで選曲会。既にCD全盛の時代だが、自分が選んだ曲を持ち歩くには、まだまだカセットテープが主流だった(後にMDというものも出回ったが、ドラムを叩きながらだとバスドラの振動で音が飛びまくった)。そして当然、その頃はスマホもサブスクも無い時代。自分がやりたい音源を集めるのも決して容易ではない。友達とCDを貸し借りしたり、テープにしてもらったり、近所の『disk UNION』で安価なキズものを探しまわったりした。そうそう、やはり『ジャニス』にもいっぱいお世話になった。レアな音源があるだけでなく、ビデオテープも豊富に揃っており、YouTube以前の世の中でありながら、結構な数のライブ映像を観る事もできた。そして気に入った映像があったら、白山通りの『タクト』に行ってダビングしてもらった。いやホント、音楽をやる人にとって最強の街。あの頃はレコードショップもいっぱいあったし、本当に話が尽きない。

プロフィール

中武康法

なかだけ・やすのり | 1976年宮崎県生まれ。2009年、古書店『magnif』を古本のメッカ神田神保町にてスタート。古今東西のファッション雑誌を集めた品揃えは、服好き雑誌好きその他の多くの趣味人の注目を集めている。

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