カルチャー

【#1】Island Talk

執筆: 山縣良和

2023年3月15日

photo & text: Yoshikazu Yamagata
edit: Yukako Kazuno

僕は2018年に小値賀諸島に初めて降り立って以来、なぜかずっとこの島々に心が惹きつけられて来ました。しかしながらコロナ禍の3年間は、何度も来島を試みましたが断念せざるを得ませんでした。

来島を断念した昨年は、三浦半島で撮影を行いました。
島に行くルートは主に博多港からと佐世保港から。博多からは23時45分にフェリーで出港して早朝4時40分に小値賀港に到着。
いつも僕の重要なプロジェクトに関わってもらっている磯山くん。彼とは10年以上の付き合いです。
幼少期に住んでいた島原の実家近くの風景。

元々僕の父方が長崎の島原出身ということもあり、ずっと興味がありました。島原は古くはキリスト教信者が大勢いたところでもあり、弾圧や禁教令の後にも多くの潜伏キリシタンが移住した地である五島列島は、もしかしたら祖先が何らかの繋がりがあるのかもしれないと妄想だけはしてみますが、家族の知る限り親戚はキリシタンはいないらしいです。

ではなぜ僕は、日本の端でもあり、交通の便も決して良いとは言えない島に魅了されるのでしょうか?

島の朝は早い。

僕は、父の実家のある幼少期に島原で過ごしたあと、母の地元である鳥取で暮らしました。島原の環境と鳥取の環境は共に素朴な田舎町でした。僕の記憶を辿れる最も古い原風景は島原で暮らした風景です。そこは歩いて5分ほどで海にたどり着き、その海の向こうには有明海の対岸が見える場所でした。鳥取に移り住んだ後の数年間は、鳥取で生まれ育った他の子供と違いを感じるようなことも意識することもなかったですが、子供ながらに、自分の中にほんの少し異邦人的感覚があったことは、うっすらとではありますが記憶に残っています。幼少期から青年期に触れた環境が共に素朴な田舎の環境であったことが、今の自分にとって大切な感覚になっているのは言うまでもありません。

そして2022年10月に、ようやく3年ぶりに来島が実現しました。そもそも島に関わるきっかけとなったのは、コロナ前より東京藝術大学大学院生の五島列島でのプロジェクトに関わることになったことから始まります。そして今回も大学院生らと合流して共に島の時間を過ごしました。

藝大生と一緒に島のリサーチへ。

小値賀島とその周辺の群島は人口2000人ほどの小さな島々で成り立っていて、いくつかの島は、以前は人々の営みがありましたが、現在は無人島となっています。

小値賀島には、所謂コンビニやチェーン店といった、どこの田舎にもありそうなものがほとんどありません。日本的な情緒ある街並みが残っています。僕は仕事柄、いろんな地方に行くことが多いですが、近代化された同じような風景を見ると、正直残念な気持ちになってしまうのですが、島の物理的な距離のせいか、中途半端に欧米化された建物も少ないのではと思います。そして島のどこへ行っても海が近く、どこを歩いても体感として島を常に感じられると言うのも好きな部分です。そのようなこじんまりとした素朴な島に魅了されて、島に移り住んだ素朴さを愛する人たちにもとても好感を覚えました。

島に流れ着く韓国や中国のペットボトル。
カチコチのモップ。

そのような素朴さと相まって否応なく表裏一体となっているのが、多文化交流における重要地点であり、常に国境線上であるが故の緊張感や西欧とアジアの宗教的な概念の対立を経て、長い時間をかけ、世界でも類を見ない土着的調和と融合などが起こった場所であり、壮大な歴史を感じざるを得ない場所です。

小西旅館で頂いたかんころ餅。素朴で癖になります。

僕は素朴さと同時に複雑な歴史にも向き合った上で、創作活動がしたいのだと思います。

海風で風化した通称『牛の塔』。

九州の最西端に位置する五島列島の北部にある小値賀諸島は、中国大陸に最も近い貿易ルートの一つとして古くは、遣唐使の時代から貿易の要として栄え、海のシルクロードと言われるその地は、江戸時代に潜伏キリシタンが移り住んだ場所が数多く残る野崎島は目の前です。

コロナ禍によって移動が制限されたことで、僕たちは自らが願ったタイミングと場所に訪れることが困難な時間を過ごしました。その影響からか、自らが置かれた境遇や環境、縁を大切にし、その場所に身を委ねることによって生まれるクリエーションにより興味が沸くようになりました。

そのように感じる場所で、僕たちはもう一度装いに秘められた可能性に向き合うべく、自分達にとってのファッションの役割を再考する事ができないかと思いました。島の方々との対話や共同作業を行いながら、 歴史や故人が紡いで来た忘れられた装いを再考し、新たな心の拠り所となる場所は作れないだろうか。そして無人島を含む群島において新たな人間像を想像することはできないか。

小値賀島の人々。

そのような問いが僕の頭をよぎったのです。

プロフィール

山縣良和

やまがた・よしかず | 1980年、鳥取生まれ。〈writtenafterwards(リトゥンアフターワーズ)〉デザイナー・「coconogacco」代表。2005年セントラル・セント・マーチンズ美術大学ファッションデザイン学科ウィメンズウェアコースを卒業。2007年4月自身のブランド〈writtenafterwards〉を設立。2015年、日本人として初めて LVMH Prizeにノミネート。デザイナーとしての活動のかたわら、ファッション表現の実験と学びの場として「coconogacco」を主宰。2019年にはThe Business of Fashion が主催するBOF 500に選出。2021年第39回毎日ファッション大賞 鯨岡阿美子賞を受賞。