カルチャー

クソみたいな世界を生き抜くためのパンク的読書。Vol.8

紹介書籍 『お江戸暮らし 杉浦日向子エッセンス』

2022年8月15日

江戸のシティボーイ・シティガールたち

 多様性という言葉をよく耳にするようになって、素敵な社会になったんだなぁと思いきや、公園で昼から酒呑んでたら白い目で見られるし、電車に乗ればエステ、不動産、転職の広告ばかり目につく。結局、昼から酒を呑んだりせず、まともな見た目で、ちゃんとした家に住んで、高収入の仕事に就くのがよいみたいな価値観はしぶとくて、そういった価値観がエラソーに君臨する中で発せられる「多様性」って、「自己責任」にきれいなお面を被せただけなんか。

 挙動不審で不器用、優しくてコミュ障、ポケットに財産8割、酒呑みで無能、繊細で変態、ドスケベ。パンクのライブには多様なクソ野郎たちが溢れていて、ヨッコラショと暮らしつつ社会にファックと叫びながらみな楽しくやっていた。

 そんなパンクスに出会って救われた私は、いま猛烈に江戸の庶民に興味が湧いている。チョンマゲとモヒカンはなんだか似ているし、江戸人とパンクスの価値観は近いんじゃないかという気がしている。というのは、最近『お江戸暮らし 杉浦日向子エッセンス』を読んだからだ。

 著者曰く、江戸の美学はいまの社会の価値観とは全く違い「現代ではマイナスの、お金がないとか、家が狭いとかということもすべて肯定的に捉えてしまう、不思議な社会」だそうだ。

「出世しないほうが楽しい、無理して健康より、短命でも自分なりの一生を生きたほうがいいという――何も背負い込まないし、等身大の自分の人生を自分の速度で走り抜けるというのが徹底しているのです。」(P.79)

 当時、出世欲や上昇志向みたいなものは武士階級しか持っておらず、武士は人口の1割しかいなかった。江戸の庶民は自分と周りをくらべたりせず、自分の将来を悲観したりもせず、その日その日を楽しみながら暮らしていた。そういう江戸の価値観に触れたとき「自分自身が救われた感じがした」と著者は語る。パンクの価値観に触れて救われた経験がある私は、その感覚がよくわかる気がした。

 著者の杉浦日向子は漫画家として活躍した後、34歳で隠居して江戸風俗研究家と名乗って多くの著作を残し、2005年に46歳の若さで他界した。本書には江戸をテーマにした彼女のエッセイや漫画が多く収録されていて、読むと江戸が魅力的で、パンクスも暮らしやすそうな街に思えてくる。

 例えば、江戸人のルールとして、初対面の人に問うてはならない3つのことがあるという。それは、その人の出身、年齢、来歴(過去と家族)の3つだそうだ。その理由を著者はこう説明する。

「とにかく、今、目の前にいる一人の人物として扱うことからスタートしなさい、履歴は何の役にも立たない。データは無視してよい。これから私達のつき合いが始まるんだという心意気が江戸の人たちにはありました」(P.123)

 素敵だなぁと思う。

 生まれたところや、年齢や、来歴で、一体この僕の何がわかるというのだろう。

 もう1つ、素敵だなぁと思うのは酒の消費量。単純計算すると1人当たりの飲酒量が1日2合強になるほど江戸は「呑んべえの楽園」だったそうで、人々は昼間からソバ屋で普通に呑んでたらしい。現代の東京において、唯一昼間から1人で酒を呑んでも白い目で見られないのがソバ屋であって、これは江戸の人々が残してくれたレガシーだ。著者は、昼酒の楽しみを知ってしまうと、夜に酒を呑むのが淋しく感じると言い、こう続ける。

「暮らすということは、時間をつなぐことであり、酔ってうやむやに終わる一日からは、暮らしの実感は生まれてこない」(P.287)

 労働後の夜に酒を呑み、気づけば床で寝てばかりの私は激しく首肯した。人々が昼から酒を平気で呑み、ホロ酔いかげんで家路につきながら、暮らしの実感を得られる社会って素敵だなぁ、と帰宅ラッシュの電車で本書を読みながら思った。しらふで。

 ちなみに、江戸の庶民は男女とも明るくスケベだったらしい。詳しく説明したいところだが文字数が尽きた。同じくちくま文庫から出てる『杉浦日向子 ベスト・エッセイ』と併せてパンクス必読の名著。

紹介書籍

お江戸暮らし 杉浦日向子エッセンス

著:杉村日向子
出版社:筑摩書房
発行年月:2022年5月

プロフィール

小野寺伝助

おのでら・でんすけ|1985年、北海道生まれ。会社員の傍ら、パンク・ハードコアバンドで音楽活動をしつつ、出版レーベル<地下BOOKS>を主宰。本連載は、自身の著書『クソみたいな世界を生き抜くためのパンク的読書』をPOPEYE Web仕様で選書したもの。