CULTURE

マジカルチャーバナナ Vol.7

マジカルバナナ方式でカルチャーについて縦横無尽に語ってみた。

2022.04.29(Fri)

cover design: Ray Masaki
text: Keisuke Kagiwada

今回取り上げる話題

『花盛りの椅子』、昨夏にバズったTikTok動画、『ザ・チェア 〜私は学科長〜』、『ユーフォリア/EUPHORIA』など。

 数日前、今年2月に発売されていた『花盛りの椅子』という連作短編集を読んだ。著者の清水裕貴は「女による女のためのR-18文学賞」という穏やかじゃない名前の賞をもらった人で、これがデビュー2作目らしい。初めて触れる作家だったけど、朝日新聞の文芸時評で取り上げられていて気になったのだ。

 舞台は千葉の山奥。古家具をアップサイクルして販売する「森の古家具店」で、職人見習いをする鴻池という女性が主人公だ。表題作では、1つの脚を失ったロココ調の椅子がキーアイテムになっている。鴻池が入社当時から気になっていながら、長年手を付けられずにいるものだ。

 終盤、実はこの椅子が、鴻池自身も忘れていたものの、東日本大震災で亡くなった彼女の祖母の持ち物だったことが明らかになる。そして、被災地で失われた脚が奇跡的に発掘されたのを機に、彼女は修繕に着手し、職人としての道を歩み始める。「森の古家具店」の社長が語る「古家具を直す人は、まず家具に染み込んだ過去を見つめられる人でないといけないんだ」という言葉が印象深い。アップサイクル従事者は、環境への配慮だけでなく、過去を見つめて現在に伝えるという役目を担っているってわけだ。

 その一節を読みながら脳裏によぎったものと言ったら、昨夏に大バズりした衝撃的なTikTok動画だ。もとはYouTubeにアップされていた映像を、別の人物がTikTokにリポストしたらしい。撮影者はアメリカの家具修理職人。「みんな見てくれ。これはプロパガンダじゃない」と語る職人は、200年以上前にジョージア州北部で使われていたという椅子のクッション部分を解体する。と、手摘みコットンの下から表れたのは、なんと人間の髪。職人の言葉を信じるなら、黒人奴隷の髪らしい。これといった演出のない映像だったけど、マジで身の毛がよだった。

 最近、『ゲット・アウト』や『アンテベラム』など、アメリカにおける黒人の奴隷制度をテーマにしたホラー映画が数多く作られているけど、その想像力を下支えしているのは、にわかに信じがたいこんなホラー的な現実だったのか……。知識として知らないではなかったが、映像で見せつけられると手触りがまったく違う。この職人は、椅子のアップサイクルを通して、そんな過去を見つめて現在に伝えてる役目を、図らずも担ってしまったわけだ。

 椅子と言ったら、Netflixで配信中の『ザ・チェア 〜私は学科長〜』が興味深かった。アメリカの一流大学で、有色人種の女性として初めて英文学科のチェアマン(学科長)に就任した、韓国系アメリカ人キムの奮闘を描く連続ドラマだ。

 キムの前には主として2つの難題が立ちはだかる。1つ目は、仲良しの同僚ビルが起こした不祥事だ。彼は授業中にファシズムとは何かを説明するため、ナチス式敬礼をする。本人的には軽いジョークのつもりだったようだが、生徒によって撮影されたその動画がSNSで拡散され大炎上。ビルは学生たちの猛烈な抗議運動により、最終的には失職に追い込まれる。

 ナチスが最悪なのは言うまでもない。その敬礼を再現するというのが、ジョークとして低劣であることも理解できる。だけど、彼はあくまでファシズムの説明の一環としてやったのであり、ナチスを信奉しているわけじゃない。その文脈を無視して「ナチス=悪」という旗印だけを根拠に、批判はともかく失職に追い込むというのは、お手付きがすぎやしないか。ジェニー・オデルは著書『何もしない』に、SNSっていうのは「見出しを1行読んだだけで「わかった」気になって大声を出したり、ごく単純な反応を示したりする」よう仕向けると書いていたが、まさにそれ。SNSネイティブであるこの学生たち(Z世代と言ってもいい)にとって、こんな反応がスタンダードなのだろうか。

 同じような疑問は、キムが直面する第2の難題を通しても浮かび上がってくる。学生に不人気な割に給料が高いベテラン教授たちをどうするかで頭を悩ませるキムは、白人のベテラン男性教授エリオットと、学生から絶大な支持を集める若い黒人の女性教員ヤスミンに、共同講義を開講させることでお茶を濁す。テーマはともにハーマン・メルヴィルの名著『白鯨』だが、2人の講義スタイルは正反対と言っていい。前者はひたすらテキストと向かう合う精読スタイル、後者は学生たちに『白鯨』を自由に演劇化させてテキストの中に巣食う問題点をあぶり出させるアクティブ・ラーニング・スタイルだ。

 見逃せないのは、エリオットの授業に飽きた男子学生が、「メルヴィルって奥さんにDVしてたんですよね?」と質問するシーンだ。言外には、「そんな奴の書いた小説と真面目に向き合うってどうなの?」というネガティブな感情がほのめかされている。エリオットは「そのように考えるフェミニズム学者もいる。しかし、決定的な証拠はない。だから、作品そのものに目を向けよう。私たちが研究するのは人柄ではなく作品だ」と応じるが、学生を納得させることはできない。一方、アクティブ・ラーニング的な演劇では、『白鯨』の登場人物が男性のみであることに対する批判が全面展開される。

 ジェンダー的な批判をやめろという話ではもちろんない。ただ、やるなら本気を出せばいいのにとは思う。実際、『「男らしさ」のイデオロギーへの挑戦――ジェンダーの視点からメルヴィルを読む――』を読めば、『白鯨』に登場する男たちが、いかにジェンダー的な複雑さを抱えているのか知れる。メルヴィル自身が、自分の作品は女性向きではないと自認していたにもかかわらず、だ。

 そういう発見っていうのは、作品と本気で向き合い、精読することによってしか見出せない。でもって、それこそが芸術に触れる醍醐味だと個人的には思う。少なくとも、SNSで聞きかじってきたような不確かな情報だけでもって浅い批判を繰り出こと、要するに「見出しを1行読んだだけで「わかった」気になって大声を出したり、ごく単純な反応」をするだけじゃもったいない魅力が、メルヴィル作品にはある気がするのだが。

 話題の新書『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレーーコンテンツ消費の現在』によれば、日本の話ではあるけれど、「タイパ(タイムパフォーマンス)」を求め、映画を倍速・10秒飛ばしで観るZ世代(だけではないけど)が急増しているという。TikTokがその「せっかち」気質に拍車をかけているとも。まぁ、そういう人は実際によく見かける。っていうか、僕の妻がまさにそれだ。『ザ・チェア』はフィクションだし、教師サイドからの話ではあるけど、登場する学生たちにはZ世代のある種の傾向が、結構リアルに盛り込まれていると思った。

 そんなことを思いながら、このたび日本でも配信が始まった『ユーフォリア/EUPHORIA』のシーズン2を観たら、いるじゃないか。そうじゃないZ世代が。念のために説明しておくと、A24が製作し、ドレイクがプロデューサーを務めている、Z世代のリアルを描いているって触れ込みのドラマだ。インスタを流し見していると、アメリカの若い子たちが登場人物たちのメイクやネイルを真似した投稿をめちゃくちゃしているので(この波に乗じてA24はコスメブランドを始めるらしい)、実際のZ世代にも響いているのだろう。

 で、そうじゃないZ世代とは、ドラッグディーラーのフェズコだ。ちょっとどうかと思うくらい故マック・ミラーに激似の彼が、劇中で一番真面目なレクシー(ジャド・アパトーの娘モードが演じている)とこんな対話を繰り広げるのだ。

レクシー「インスタはやっている?」

フェズコ「まさか」

レクシー「なんで?」

フェズコ「俺の考えを他人に知られたくねぇだろ」

レクシー「同じ興味を持つ人と繋がれるのに」

フェズコ「みんな何でもシェアしすぎだ」

レクシー「ネット上に?」

フェズコ「そうだよ。せっかくの楽しみが台なしだ。好きなやつができたら、俺は自分でそいつのことを知りたい。ネットの情報はいらねぇ。皮を剥くように少しずつ知りたいんだ」

レクシー「だけど、共通点がなかったら時間の無駄になる」

フェズコ「どうかな。俺がお前の一番好きなところはそこだ。共通点がひとつもない」

レクシー「共通点ならあるよ。ユーモアのセンスが同じだし、情にもろくて好奇心旺盛。子供がほしいところも」

フェズコ「そういうのは興味じゃない。リアルな中身だろ。それが重要なんだ。SNSじゃわからねぇ」

 フェズコくん、僕も皮を剥くように少しずつ知ろうとすることは、好きなやつじゃなくても重要だと思うよ。

プロフィール

鍵和田啓介

かぎわだ・けいすけ|1988年、東京都生まれ。ライター。大学在学中、映画批評家の樋口泰人氏にリクルートされて執筆活動を開始。『POPEYE』『BRUTUS』他、主にポップカルチャーについて執筆。
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