カルチャー

マジカルチャーバナナ Vol.3

2021年7月31日

cover design: Ray Masaki
text: Keisuke Kagiwada

マジカルバナナ。それは「バナナ”と言ったら”滑る」「滑る”と言ったら”氷」という具合に、リズムに合わせて”と言ったら”で単語をつなげていく、クイズ番組『マジカル頭脳パワー!!』で人気を博した連想ゲームのこと。これは毎回旬のネタを皮切りに、いくつかのカルチャー的な話題を、”と言ったら”で縦横無尽につなげながら語っていく連載コラムである。

今回取り上げられる話題

「ジャック・ケルアック『オン・ザ・ロード』とビート・ジェネレーション」展、ゲーリー・スナイダー、『バットマン & ロビン Mr.フリーズの逆襲』、ディープ・エコロジーなど。

 神戸のBBプラザ美術館にて、「ジャック・ケルアック『オン・ザ・ロード』とビート・ジェネレーション」展が8月8日まで開催中だ。オフィシャルホームページによれば、「ジャック・ケルアックとその周辺のビート・ジェネレーションと呼ばれる作家たちに焦点を当て、ケルアックの全著書の初版本やビート作家たちの旧蔵本、日本のカウンターカルチャー黎明期のミニコミ誌まで、初公開の資料を含む300余点を出品し、その魅力に迫ります」とのこと。なんかヤバそう。

「ジャック・ケルアック『オン・ザ・ロード』とビート・ジェネレーション」展は8月8日まで!

 ビート・ジェネレーションと言ったら、Dragon Ashの「Summer Tribe」(2000)だ。小5のとき、初めて“ビートニク”(ビート・ジェネレーションの作家たちに影響を受けた人たちのこと)って言葉を耳にしたのは、この曲のリリックだったから……という昔話はさておき、正直なところ、自分はケルアックのよい読者ではない。代表作「オン・ザ・ロード」(1957)はエモすぎて読了に難儀したし、その他の作品もちょろっとしか読んでない。ビートの作家で言ったら、ウィリアム・バロウズの方が断然好みだ。だけど、この展示のことを知り、いろいろケルアックの資料を漁っていたら、彼ってばこんな見逃せない発言を残しているではないか。

 「「ビート・ジェネレーション」と呼ばれるものは本当は態度の革命なんだ……ビートになるってのは僕の先祖たち、反抗者たち、飢えた者たち、おかしな奴ら、狂人たちに戻るってこと。どんぐり眼でハンバーガー食らうようにみつめるローレル&ハーディ、ポパイ、ウィンピーに、これ以上無理っていうやつらのどでかい目。「シャドー」の例の狂気じみたヒーヒーヒーって笑うラモント・クランストンにだ」
 要するに、ポパイはビートの先祖の1人ってわけだ(キャラクターのほうだけど)。これに啓示を受け、夏休みを利用してくだんの展示に足を運んでみたら、ビートの全貌がコンパクトにまとまっているし、当時の資料はグラフィックがやたらに洒落ているし、ケルアックが履いていたデニムもあるしで、大当たり。特に、ケルアックがタイプライターを21日間打ち続けて書き上げたと言われる 「オン・ザ・ロード」のスクロール原稿(全⾧約36m)を印刷再現したシロモノは、まるで耳なし芳一の肉体にびっしり書かれたお経のような迫力で大興奮。図録もめちゃくちゃ充実しているので、展示に行けない人はせめて図録だけでも買ったほうがいい。

 というわけで、帰宅してからはケルアックの著作をひと通り読んでみたのだが、自分の中でケルアックと言ったら、「ザ・ダルマ・バムズ」(1958)だな、という結論に達した(もしかしてこのタイトル、ハーモニー・コリンの「ビーチ・バム」(2019)に影響を与えてる?)。描かれるのは、仏教に深く入れ込んでいるということで意気投合した2人の男(レイとジャフィー)が、登山を通して悟りを開いていく姿。レイはケルアック自身、ジャフィーはこちらもビート詩人として知られ、後に京都の禅寺で修行に励むことになるゲーリー・スナイダーがモデルらしいのだが、この小説の何が重要かって、シティボーイの虎の巻「遊歩大全」(1968)の10年も前に、バックパッキングの楽しさを訴えまくっているところ。作中のこんな言葉からもそれは伝わってくるんじゃないか。
 「世界中をリュックサックを背負った放浪者で埋め尽くしてやるのだ、ダルマ・バムズで」「俺にはリュックサック大革命のヴィジョンがある。何万人、いや何百万人ものアメリカの若者達が、リュックサックを背に、放浪しはじめるのだ。山へ入って修行し、子供達を喜ばせ、年寄りを幸せにし、若い娘達を嬉しがらせ、年寄りの娘達をもっと嬉しがらせて歩きまわるのだ。……人には親切で、奇行を実践し、それによって無限の自由のヴィジョンを万人に与えつづけていくんだ」。アツい、アツすぎるぜ、ケルアック。まぁ、2人がテントなし&テニスシューズでヨセミテに登っちゃうあたりは、さすがに突っ込んじゃったけど。ウルトラライトが過ぎるだろ!

 ところで、ゲーリー・スナイダーと言ったら、環境保護活動家としても有名だ。彼の詩のほとんどはそれがテーマと言っても過言じゃない。例えば、ピューリッツァー賞を受賞した詩集『亀の島』(1969)は、ネイティブ・アメリカンや仏教の思想に霊感を受けつつ、「エネルギー大量消費中毒」に陥った現代の人間社会に警鐘を鳴らし、ありのままの自然の姿を重んじた、「人間以外の存在を含んだ、すべての領域からの代表を受け入れる新しい人間主義、新しいデモクラシー」への方向転換を提案している。
 こうした考え方は、ディープ・エコロジーと呼ばれたりもする。要するに、現代社会における文明のあり方を前提とした環境保護はヌルいのであって、地球にとっては害悪でしかないそのあり方自体を見直し、生きとし生けるものとの共存をディープに追求しようぜ、というものだ。そのディープさには論者によって濃淡があり、ポップ・カルチャーにおいて一番過激に体現しているキャラと言ったら、『バットマン & ロビン Mr.フリーズの逆襲』(1997)のヒールであるポイズン・アイビーが思い浮かぶ。

 なんせポイズン・アイビーは、愛する植物のために人類を絶滅させようと目論んでいるんだから。「地球の夢は/なんだろうね/俺たちがさ/いなるくなること」というわけだ(The Birthday「アリシア」(2007)の歌詞!)。ちなみに、もうひとりのヒールであるMr.フリーズは地球を冷やそうとしているわけで、評判のよろしくない映画ではあるが、エコロジー的視点で観るとなかなか興味深い。ポイズン・アイビーはバットマンと対立する前、ブルース・ウェインに環境破壊を止めるための提案書を渡してこう訴える。「地球は人類の母よ。人間にはそれを守る義務がある。なのにあなたは土を崩し、海を汚し、空を黒くしてる! 破壊よ!」。ウェインは「君の説は立派だが、もし暖房もできず、食料もなければ、大勢の人が寒さと飢えで死ぬ」と話の腰を折るが、彼女は「しかたないわ。地球のためよ」と食い下がる。そこでウェインが冷たく呟く言葉が印象的だ。「人間が優先だ」。

 ディープ・エコロジーという考え方は、環境保護と動物愛護に力を入れた末、簡単に人間を大量虐殺してしまったナチス・ドイツなんかを例にあげて、ファシズムに繋がりかねないと批判もされている。これに対し、汚れた地球をそっくりそのまま受け入れる「ダークエコロジー」なんて思潮も最近では注目を集めているが、話がややこしくなるのでここでは立ち入らない。漠然と思うのは、地球における気候変動のマジのヤバさを肌で感じざるをえない今日このごろ、「地球の夢は/なんだろうね/俺たちがさ/いなるくなること」っていうのは、まぁ、その通りだよなぁ、ということだ。とは言え、絶滅を望んでいるわけじゃもちろんない。ただ、バットマンみたくさも当然のように「人間が優先だ」とは言えない気がしている。

プロフィール

鍵和田啓介

かぎわだ・けいすけ|1988年、東京都生まれ。ライター。大学在学中、映画批評家の樋口泰人氏にリクルートされて執筆活動を開始。『POPEYE』『BRUTUS』他で、主にポップカルチャーについて執筆。