カルチャー

遠野の送り盆に密着。墓じしと舟っこ流しを見て考えた、これからの死生観。

富川岳さんの著書『シシになる。──遠野異界探訪記』を巡って。

photo: Masaru Tatsuki
text: Fuya Uto

2025年10月17日

 インタビューを終えた翌日の8月16日は「お盆」の最終日。一般的には8月13日の迎え火ではじまり、16日の送り火で終わる数日間を指す。日中にお墓参りをして、夜はどこかの家に親戚同士で集まり飲み会をするイメージが強いかもしれないけど、本来の目的は先祖を迎えて、ともに過ごすことだ。「先祖供養」の慣わしであり、遠野では今もなおその文化が色濃く残る。彼らの魂が迷わず家に戻ってくるための目印として新盆から3年間は民家の軒先に「ムカイトロゲ(迎灯籠木)」が立てられていたり、いくつかのお寺で盆行事が行われていたり。はじめて見た自分にとって驚く光景の連続、死生観が違うことを実感する。言葉にするなら、生と死の距離が近いと言えるのかもしれない。いずれにしても誰かへ向けるものではなく、その集落、自分たちのために行われてきた。

ムカイトロゲ(迎灯籠木)とは、高く細い杉の木のこと。家の屋根よりも高くすることが定例で、先端には先祖の依り代となる葉っぱが残される。その下の白い布は、初盆を迎える故人の戒名。

「ぜひ見ていってください、うちはオープンなので」。そんな富川さんの言葉に甘えて、今回「張山シシ踊り」の1日を密着させてもらうことに! 流れとしては、まず午後から「附馬牛地区センター」と「附馬牛町徳昌寺」で行われるシシ踊りを見学。その後、踊り終えた方々の休憩に帯同してお話を聞く。日が落ちる頃に再び「附馬牛町徳昌寺」に集合し、送り盆の伝統行事「舟っこ流し」を観覧してフィニッシュ。

 ここから先は、13時から20時過ぎまで「遠野のお盆」を追ったドキュメントである。

刻:13:00
ところ:附馬牛地区センターと附馬牛町徳昌寺

実際の音源をどうぞ🪈

シシ頭の前方には大きな幕が、後方には「カンナガラ」と呼ばれるふさふさしたたてがみが長く垂れ下がる。これは木を薄く削ったもので、同メンバーの宮大工の方が仕立てるそう。最初は団体で管理しているシシ頭を使わせてもらうけど、踊りを長く続けると、自分専用のシシ頭を新しく作ってもらえる。目の上に飾られたシンボルマークは早池峯神社の社紋「剣九曜」。

 そもそもシシ踊りとは何なのか? 起源は諸説あるけれど、ひとつに鹿の供養と言われている。荒々しい顔は、そんな鹿と獅子(獅子舞などの)をベースに、牛の角や龍の目などさまざまな動物を寄せ集めた“キメラ”だと説かれているそうだ。そして、東北一帯に分布するシシ踊りは「太鼓踊り系」と「幕踊り系」にわかれる。遠野のシシ踊りは後者のほうで、集団で踊るのが特徴。現在、張山しし踊りに所属しているメンバーは計30人ほど。地元の方を中心に移住者もいたり、遠野出身だけど東京に住んでいたりとライフスタイルはさまざまだから、当日に来れる人で陣形を決めるとのこと。

 踊りの中心となるのは、山の神とも霊獣とも言われる「シシ」と、剣を持った人間役である「太刀振り」と呼ばれる女性である。この日の踊り手は7名で、他メンバーが太鼓を叩き、笛を吹く構成。腹に響く野太い拍子と甲高い音色が、夏の境内をすっぽりと包み込み、演者はときに軽妙に、ときに力強く舞う。「異界」という言葉との距離が次第に近くなる感覚を覚える。

 一度始まれば、ほぼ休むことなく踊り続ける。今回は「墓じし」と呼ばれる故人を偲ぶ演目が各場所で約20分ほど行われた。いかにも重そうな衣装を身に纏いながらも、口はギュッと縛られ、見てるこちらまで荒い呼吸が伝わってくる。

「太刀がけいッ」。そう合図とともに繰り広げられるパートが特に印象的だった。剣を持った太刀振りとシシが正面に向き合い攻防を繰り返すもので、その美しさに思わず口が開く。突進するシシに向かって人は剣を抜き立ち向かいながら、角のようなものと剣を交わしたり、回転したり。攻防とは言えども、ひらりと柔らかく受け止め、戯れているようにも見える。なんだかよくわからないけど、素晴らしい……と思っていると、またしても太鼓を叩く男性陣から一斉に掛け声が。方言もあって正直全く聞き取れなかったけど、途端に、ゆっくりと両者は争うことを辞めて、左右対称に踊り始めた。「人と自然が“争いながらも調和する”こと」を表現しているらしい。富川さんは著書に以下のように書いている。

「最後の演目『引端』では、シシと太刀が同じ方向にシンメトリーに踊る。こうして争いと調和の表現が完成する。人が自然をコントロールしようとするのではなく、向き合い、調和し、共に在り続けることを模索している。SDGsといまさら言わずとも、シシ踊りは数百年前からそれを体現しているのだ」

刻:15:00
ところ:附馬牛町・久之さんの家

 神社で奉納を終えると、各々休憩を取る。今晩の「舟っこ流し」に備えるためだ。僕らは富川さんの案内のもと、遠野で“誰にも真似できない踊り”だと称賛される達人・久之さんのご自宅へ。緊張しつつもお邪魔すると、畳の部屋には扇風機、座布団、大ぶりのスイカやお菓子が用意されていて、お盆らしい風景に和む。とはいえ、ここは芸能のまち・遠野。花を咲かせるのは、やはり踊りの話である。富川さんから聞いた「集落の人と話すと大半はシシ踊りの話題になる」ことを身を持って知りつつ、脳裏にある疑問が。久之さんはずっとそんな調子で楽しく続けているのだろうか。

「子供の頃は楽しくなかったね。厳しいっていうか、踊りの後の反省会とかでもさ、大人だけ酒飲んでさ、子供達は帰れみてえな感じで。自分は勝手にさ、上手だと思ってっからあれだけど……んだから、こんなもんでいいべって、結局壁にぶつかってやめてくんだ。子供達って残酷だからさ、平気で下手だなって言うんだよな。それで嫌になっちゃう。んだから、岳ちゃんみたいな子らは、騙して入れるっていう(笑)。大丈夫、大丈夫と言って引きずり込む。んで、はじめは褒める。上手くなりそうだなとかさ。踊りは楽しくないとね、続かない」

 では、お盆に寺で踊るのと『遠野まつり』など大きな舞台で踊ることに、テンションの違いはあるのか。

「あるね。見てる人が多いと、やっぱりアガる。子供の頃な、獅子も何匹いたべな、16ぐらいだったかな。それがどんどんいなくなって……俺はちょっと器用だからさ、種ふくべや太鼓やったりしてさ。でも、シシで踊ってると、やっぱり一番気持ちいいんだ。思った通りにふわっとまぐ(幕)が飛んでくれたりするとな。湿度とかもあんのかなあ? まぐが軽すぎてもだめなんだ、これがな。それに大きな祭りだと知り合いとか見っからさ。見てんな、おめえらと。このシシ頭かぶるとよっぽど上手くないと注目されねえから。ただ……今日も大人達(先祖)が見てるから真面目に踊っけども、いつもは真面目にやるといいわけでもねえ。エンターテイメントだから。観客に、今のとこ見てろ、見てろって具合でさ」

 久之さんはそう話しながら、実際に足を踏み、酔拳のようにゆらゆら踊って見せる。「そでね、そでね(違う、違う)」と、張山シシ踊りの極意を伝授しようとする大先輩の姿を見て、富川さんら若手はこう呟くのだった。「自分らはまだまだ衣装を着ただけ。シシと一体になり“表情を持てる”までどれくらいかかるんだろう」と。

刻:19:00
ところ:附馬牛町徳昌寺と猿ヶ石川

 日が暮れると、いよいよ送り盆の伝統行事「舟っこ流し」が始まる。初盆を迎えた故人の供物を乗せた100kg以上ある「藁の舟」を川に浮かべ、男たちはそれを水中で引っ張りながら火を放ち、先祖を一斉にお送りする風習だ。というわけで、まず舟を徳昌寺から運ばなければならない。昔から団員で舟を作って引いてきた百戦錬磨の彼らにかかればお手のもの。「せーのっ、ほい」と、息ぴったりに古い木製の手押し車に乗せてスムーズに出発した。

 19時30頃、猿ヶ石川に到着。慎重にイカダへ乗せ替え、川を下っていく。両手には松明と舟を引っ張る紐が持たれ、舟の前後には溢れんばかりの灯篭が流れている(各家で48個作られるそうで今年の総数は400個以上)。辺り一体は住職の読経と鈴虫の鳴き声が入り混じり、夏の終わり=舟っこ流しという遠野の季節感を目の当たりに。

「バチバチバチッ、ドッドッ、ゴゴゴゴォ」

 なんてことない電信柱を目印に、火はついに放たれた! 夜風で炎は勢いを増し続け、その巨大な火柱は夜空を焦がすほど高く上がる。土手沿いの観客の頬まで届く凄まじい熱気。燃え広がらないように、舟を引く何人かが水をかけている様子も見える。

 赤、緑、黄、白など紙灯籠が発する幽玄な明かり、ゴウゴウと燃え盛る舟、暗い川底に足を取られながらも懸命に舟を引く男たち。死者がこの世からあの世へ渡るときの境界こそ三途の川と呼ばれているが、目の前で行われているのは、この世とあの世を繋ぐ一本道そのものだった。見に来た人は、この光景から先祖や亡くなった人に思いを寄せるのだろう。

 身近な人が他界する悲しみは到底ひとりで抱えきれない。だから、生きている者は手を取り合い、前に進もうと無理やり気持ちに折り合いをつけるのが常だ。少なくとも自分の場合は家族でそうしてきた。一方で、今回遠野のお盆に密着してみて思い出すのは、とにかく皆んなで、前向きに共有するかたち。同じ地面を踏む自分たちの営みとして、家族を超えて地域全体でコミュニケーションを取る姿は、それはそれは美しいものだった。

 きっと彼らからすると、この世ならざる“何か”は、ある/ない、いる/いないで計っていないのだろう。「他の世界」の垣根は重なっていて、すぐ隣にあると想像してみること。そう思うだけで、ときに心はふっと軽くなる。自分にとってその扉をひらいたのが『シシになる。──遠野異界探訪記』だった。

プロフィール

富川岳

とみかわ・がく|1987年、新潟県長岡市生まれ。都内で広告会社勤務を経て、2016年に岩手県遠野市に移住。2018年から「張山しし踊り」の踊り手として活動する。〈株式会社富川屋〉代表として、民俗学をベースに様々なプロデュースや文化振興を行う。来年2026年に遠野市で古本屋をオープン予定。著書に『本当にはじめての遠野物語』(遠野出版)、『異界と共に生きる』(生活綴方出版部)、『シシになる。──遠野異界探訪記』(亜紀書房)がある。

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