CULTURE

a History of Horror Films ’90s(1/2)/文・入江哲朗

自己模倣するホラー映画。

2021.08.17(Tue)

text: Tetsuro Irie
photo: ©Alamy/aflo
2021年9月 893号初出

1996年に公開された学園スプラッター『スクリーム』は、劇中で過去のホラー映画に言及するという点が斬新だった。しかしそれは“終わりの始まり”だったのかもしれない……。

 “落差”が、ホラー映画が観客に恐怖を与える上で、もっとも重要な原理のひとつだと私は思います。例えば、スタンリー・キューブリック監督の『シャイニング』(1980)には、主人公の息子が三輪車で誰もいないホテルの廊下をぐるぐる巡るシーンがあります。カメラはそれを背中から追うことを通して、観客にこのホテルのデフォルトの状態をまず認識させる。すると、その後にまた息子がぐるぐる巡るシーンでは、237号室のドアが少し開いているのを目にするだけで、観客は恐怖を覚える。これなんかは、典型的な“落差”による恐怖演出です。

 逆から言えば、その映画を下支えする世界観のデフォルトが何であるか、観客にしっかりと認識させることがとても大事になってくる。でないと、何が“落差”かも伝わらないですから。しかし、それさえきっちり設定できれば、ドアをちょっと開けただけでも恐怖を作り出せる。こうしたコスパのよさも手伝って、’80年代以後のアメリカでは「郊外で暮らす若者の平和な日常」をデフォルトとし、「殺人鬼が襲ってくるという非日常」で“落差”をつけるスプラッターが大量生産されることになります。

 そうした前提を踏まえて『スクリーム』(1996)の新しさについて考えてみましょう。本作もまた、「郊外で暮らす高校生の平和な日常」をデフォルトとする学園スプラッターには違いありません。大きく異なるのは、その高校生たちが過去のホラー映画を普通に観ていて、「変な電話には出ちゃいけない」とか「殺人鬼が追ってきたら2階へ行っちゃダメ」とか、ホラー映画でお約束とされていたことに対してどんどんツッコミを入れていること。つまり、これまでのホラーで“落差”に該当した「殺人者が迫ってくるという非日常」が、日常的な娯楽として消費されてしまっているんです。デフォルトとしての日常のベースが、拡大されていると言ってもいい。その上で整理すると、『スクリーム』では「ホラー映画を通してフィクションの恐怖を楽しんでいた高校生の平和な日常」をデフォルトとし、「ゴーストフェイスというまるでホラー映画のような本物の殺人者に脅かされる非日常」で“落差”をつけ、恐怖を演出している。加えて、劇中のツッコミによって、過去のホラー映画との“落差”もアピールしています。要するに、過去のホラー映画の「日常=平和」対「非日常=恐怖」という構図を、「日常=平和+フィクションの恐怖」対「非日常=本物の恐怖」というふうに組み替えた点が、『スクリーム』の斬新さでした。

 それはそれで確かに怖い。ただですね、この複雑な“落差”を取り入れてしまったことにより、『スクリーム』はかなり微妙な問題をも招くことになります。

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